心の中で焼き尽くす

最近、この日本で「女」として生きていくことに不自由さを強く感じている。

この日本で、と敢えて書いたのは、この不自由さを感じずに生きていける世界や国もあるのかなぁと思ったから。そんな理想郷、あったらいいなあ。


今日の私はいつもより荒ぶっている。
直近の1週間で2回もセクハラに遭い、ずっとモヤモヤしています。具体的に書くと、いろんなことが明らかになってしまうから抽象的なことしか書けないけど、私はそれによって存在を蔑ろにされたと感じて傷ついたし、怒りを覚えた。あれ以来、気付いた時にはずっと悶々と考えてる。
なぜ私はあの時、あんなことを言われたんだろう。なぜあの時、あんな態度を取られたんだろう。

それを考えた時に出てくる答えは、私が女だから。

私が「女」じゃなかったら、きっと言われなかった。私が「女」じゃなかったら、きっとされなかった。家に帰ってからも、ずっともやもや。男性は男性で大変なこともあるだろうなんてことは百も承知だけど、「男だったらよかったなぁ…」なんて考えてしまいます。


女性の方が、男性よりもスタートラインが後ろにあるというイメージがあります。いや、スタートは同じだとしても、ハードルの数が多いイメージか。きっとこのイメージは、環境によって大きく違うだろうし、当てはまらないこともあるだろうから一概に言えることではないと思います。でも私から見える世界は、こんな感じ。あくまでも私の中でね。


もっと悩むなら仕事上の業務のことで悩みたかった。本質的なところに行くまでのハードルが多すぎる。なぜ「貴女のことを下に見てます」と間接的に伝えてくる人が一定数いるんだろう。なぜ「私もあなたと同じだけ価値のある人間です」と伝えないと、尊重してもらえないんだろう。なぜ人と関わるうえで「舐められない」ための対策をしなければ対等にかかわってもらえないんだろう。意味がわからない。

きっと、これを読んでなんのこっちゃか分からない人もいるでしょうよ。でも分かる人もいると思うの。ここに書いたことは、私自身の身に起きたことがはっきり明確に書けないからこそ抽象度をかなり上げたもので、だからこそ、これに重ねられる経験をした人もいっぱいいるんじゃないかと思う。

Metoo運動が起こった当初、私はどこか他人事だった。世の中にはこんな理不尽な扱いを受ける女性たちがこんなにいるんだと。でもよくよく考えてみると、記憶の断片の中には当事者の私がいっぱいいたし、私は当事者であり続けている。今まで書いたことは私1人だけの問題ではなくて、社会における人権の問題だと思う。

「女」である前にひとりの人間。みんな性別はともかく人間であることは間違いない。そんな当たり前のことなのに、どうして相手を大切にできないんだろう。いつから自分が上だと思ってた?対等じゃんね。比べられないよ。みんな唯一無二の大切な存在なんだから。

それができない人はみんなまとめて破壊光線で焼き尽くしたくなります。やらないけど。


今日はちょっと爆発気味。
これも私の一部です、へへへ。
こんな日もあるよね、ばいなら。

自分を大事にしてくれる人を大事にしていこ。

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