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私がいじめや仲間外れを許せない理由

 いじめは、許せない。「いじめを許さない」ではないんです。「許せない」んです。許さないは "Do not" 、許せないは ”Cannot" 。

 いじめは、絶対に良くないことですが、いじめ撲滅の言葉で使われている「いじめを許さない」という言葉。「いじめを許さない」ということは、いくら謝っても許されず、反省しても許されないという意味で捉えられてしまいます。よく漫画や映画でもありますよね、いじめられた子供の親がいじめっ子に「あなたのことは一生、許さない」というシーン。しかし、いじめっ子にも理由はあるはず。彼らなりのストレスや、家庭内での問題、育てられ方であったり、自分が以前いじめられていたなどという理由が考えられます。「いじめを許さない」といった後、いじめは大体なくならないということをみなさんはご存知だと思います。いじめっ子を「許さない」と切り捨てるのではなく、何故、そのようないじめに至ってしまったのかを考えるのが大切だと思います。これは、あくまで私の意見ですが、私は、いじめられていた身でしたので、本当だったら、「いじめは許さない」側につくのでしょう…

今、高1の私ですが、中1から中2の1年半のいじめでした。

いつ始まったのかは覚えていませんが、嫌がらせから始まりました。私が、トイレに行くと、「ついてこないで」と言われたり、数学の授業では、"You are Japanese, just tell me all your answers" (あなた、日本人でしょ、全部答え教えてよ。)と言われたのから始まりました。初めは、嫌だなと思っていましたが、私は、その当時、転入生で、英語も話せませんでした。嫌だという単語も知らず、数学の答えなどを教えたら、友達になってくれるんだと期待して、嫌がらせも我慢していました。

しかし、嫌がらせは、いわゆるいじめというものにエスカレートしました。私は、身長が低いので(ヨーロッパの人に比べたらの話)、イギリス出身の当時の身長172cmぐらい(中1の女の子)から、お財布や大切なものを取られ、おやつもカバンから抜き取られました…ですが、その子は、おやつをもらうと機嫌が良くなるんです。そう、私は、彼女の気分に揺らされていたのです。


「グループワーク」が一番辛い

 同級生との人間関係が一番苦しいものでした。クラスでは、発言力の強い子にみんながついていくようなところがあって、私は意見を言う権力さえもなく、手を挙げると50年お風呂に入っていない人を見るような白い目で見られるんです。仲間はずれや無視が何度も続き、体育の授業が一番きつかったです。グループでスポーツをする時に、グループ決めがあるのですが、私の前の学校とは違い、「どうぞ自由に好きな友達とグループを作って。」と自由自在なのです。今なら、嬉しいことかもしれませんが、友達がいるのかいないのか分からなかった私にとって、とてもハードなことでした。必ず、自分は一人ぼっちで作業をするのです。一年ほどいじめが続き、私は、次第に自分は(この単語は好きではありませんが)「ダメ人間」何だと思うようになっていました。英語も出来ず、クラスメートからは仲間はずれにされ、休み時間はいつも一緒に楽しめる友人を探していたから。英語がネイティブになって、成績優秀になって、みんなから認められる大人になって、いじめっ子を見返してやろうと思いました。それ以外、その当時ポジティブに考えられることはなかったんです…

人生最悪の誕生日

 人生最悪の誕生日っていう言葉はたまに聞くのですが、本当に起きるものでした。最悪でした、一言で言うと最悪。私の13歳の誕生日でした。誕生日に、ドーナツを学校に持参しました。それから、昼ごはん、クラスメートにドーナツを配りに行きました。"Do you want doughnuts?" (ドーナツいる?)と聞いたら、"Huh?? darnats?"(ん?だあらナつって何?)と言われ、2回ほど、"Doughnuts"(ドーナツ)と言ったのですが…発音を馬鹿にされ、終わりました。発音が悪くても、ドーナツは食べてくれるよね?と思ったのですが、"Ew, not gonna eat your darnats"とけなされ、見下され、それで私は、バタバタと学校の廊下を走り、トイレにすぐさま行きました。涙がポロポロ私の口に垂れ、ティッシュで拭いても拭いても涙が止まらない状態でした。悔しくて、悔しくて、目から血が出るかと思いました。今ならそう言えますが、この時は、辛くて死んで、呪ってやろうと思えるほど、悔しくて、いじめっ子の存在が憎たらしかったんです。それから、涙を拭いて、戻ると、私の誕生日を祝うのではなく、ただ単にドーナツを食べたい軍団がやってきて、私のドーナツはなくなり、誕生日は終わりを迎えました。

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このことは、家族の誰にも言えませんでした。誕生日に、いじめられ、大泣きし、食べてもらえなかったなんて、言えないんです…「そんなことを言ったら、自分の恥」だと思っていました。


いじめを乗り越えた私

 1年半のいじめと書かれていましたが、もしかしたら、2年続いたかもしれません。私は、このような残酷ないじめには耐えられないと思って、クラスを変えました。ボロボロの英語で、カウンセラーや主任の先生に訴えかけ、最終的に、私は、いじめという苦境から抜け出すことが出来ました。

今、思い出すだけでも、本当に、惨めな気がしてしまうんです。まとめはないです…なんか、いじめを思い出してしまって、一気に書き上げました。ありがとうございました。

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