天国に行けそうだった日
憧れだった神戸の国立大学に入学してから一か月たとうとしていた四月の終わり、私はodをした。
今から自傷行為についてかくので、苦手な方はブラウザバックしてくださるとありがたいです。
目が覚めたら、神大病院の寝台にいた。
自傷行為で救急車を呼んでもらったことへの罪悪感、もしかしたら本当に死んでしまうのではないかという焦燥感で、怖い、と私は泣き叫んでいた。
とにかく、何が起こっているのかわからずにパニック状態だった。
動悸が激しくて、収まらなかった。心拍数は120を超えていた。
無意識のうちに私は、
「ううちゃん、どうしたの、何があったの。大丈夫だよ。」
「全部夢だからね、大丈夫だよ。」
と、うわごとを言いながら、自分の体を抱きしめていた。
部屋の隅には、私が救急車で運ばれた三宮からついてきた警察官がいて、ごそごそと私のリュックを探っていた。
混濁する意識の中、ごめんなさい、ごめんなさいと泣いていると、きれいな女性のお医者さんが私の手を握って、頭をなでてくれた。
たぶん精神科のお医者さんだったと思う。
私は、まだ受験気分が抜けきっていなくて、神戸大学のお医者さんですか?
めちゃめちゃすごいです、憧れです、と迷惑をかけているのにさらに失礼なことを口走ってしまっていた。
お姉さんは、困ったように笑って、私は神戸大学の医学部をでていないの、ううちゃん神戸大学なの?すごいね、なんていって微笑んでくれた。
そうこうしているうちに、おばちゃんが私を引き取りに来てくれた。
ベットで泣きわめいていると、「ううちゃん、おばちゃんきたよ」と、ママに似ている優しい声で、私の頭をなでくれた。
深夜二時のことだったのに、電車で5,6駅離れたところからわざわざ来てくれた。
本当に申し訳なかった、迷惑かけてごめんなさい。
そのあと、私のリュックから6センチを超えるカッターナイフが見つかって、病院の帰りにどこかの警察所までいった。
担当の警察の人は、なんだかめちゃくちゃ厳しくて、どうしてカッターナイフをもっていたのかしつこく聞いてきた。
普通に、リスカするために持っているって言ったのに、何度も同じことを聞いてきて、私は泣きながらキレた。
結局どうなったのかわからないけど、気づいたら、またおばちゃんの家にいて、カーテンからは春のあたたかな日差しが差し込んでいた。
実家と同じ間取りの内装は、私を落ち着かせてくれた。
わたしはまだ、頭がおかしくなっていて、ここは天国ですか?とか、しつこく聞いていたと思う。
10時くらいにお姉ちゃんがお見舞いに来てくれて、膝枕をして頭をなでてくれた。ねげろをしたからか、口が臭いといわれたような気がする。
2時くらいにはお母さんと、お父さんがわざわざ遠い県からきてくれた。
ママは泣いていなくて、でも声から疲れが伝わってきた。
パパはいつもよりも表情がよめなくて、少し怖かった。
二人とも、なんかいつもと違うような気がして、ここは近未来いて、この二人はママとパパのクローンなのではないかと、心細さを感じた。
泣きはらした昼の空気は、なんだかドラえもんの世界みたいだった。
お父さんがお姫様抱っこをして、私を移動させてくれたんだけど、いつも大きく感じるお父さんの背中がやけに小さく感じて、老いでお父さんももうすぐ死んでしまうんだな、と思うと涙が止まらなかった。
生と死の間にいるような気がした。
リビングでは、いとことお姉ちゃんが楽しそうにお話ししていて、安心した私はまた眠りについた。
つぎに気づくと、受験の時にとまった、生田神社の近くのホテルにいた。
ここでようやく、意識がはっきりしはじめて、2日間くらい連絡していなかった元カレの存在をおもいだした。
お母さんに、スマホを返してもらい、もたつく指先で、パスワードを打ち込む。頭からはすっぽりとパスワードのことが抜け落ちていて、自分の頭に衝撃を受けた。
lineをひらいてから、通知を受信するまでの待機時間は私に受験期のことを思い出させた。
高校生の時に付き合っていた彼氏とは、受験勉強のため金土日しか連絡を取っていなかった。金曜日の夜11時、塾から帰ってきて、ママからスマホを受け取って、lineを開いたあのわくわく感を思い出した。
肝心の元彼からは、男?とだけ来ていた。
話は戻るが、それから警察に行って手続きをしたり、寮にもどってママとお部屋を片付けたり、大学復帰にむけていろいろした。
寮は山にある大学の近くにあったから、やっぱり景色がきれいだった。
はじめて、寮に来た時、お母さんに見せてあげたいと思った景色が、こんな流れで見せることになると思っていなかったので、なんだか申し訳なくて切なかった。
高校三年生の11月、受験のプレッシャーに押しつぶされそうになって、薬局でせき止め薬を買った。
結局、高校生の時にそれをつかうことはなかった。
ても、神戸に持ってきていた薬箱を開いて、この春その薬を飲んだ。
odした理由は思い出せないし、思い出したくもない。
でも薬をのんでからの2,3か月、私は死ぬことが怖くなかった。
今はもう怖いけど、無敵状態だった。
多分、一度死ぬことを決意して飲んだからだと思う。
大学の精神科の先生は、あの後、プレコール50錠では全然死ねないことを教えてくれた。
あの時死んでもよかったし、でも今は毎日が楽しいし、生きていてよかったなと思う。
あの時から、脳死で行動していて、今もいろんな人の気持ちを考えない行動をしているけど、それも徐々に直していけたらいいな、と思っている。
薬を飲む前に聞いていたw.o.d.の1994をきくと、今でもあの時のことを鮮明に思い出す。
結局天国に行けなかったけど、あの時たしかに私は天国にいた。