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あなたがそれを書く意味
「君の文章は読んでいて、暗い気持ちになる。もっとテーマから見直してみたほうがいい」
私は手に返された原稿を、思わず握りしめた。クシャッと乾いた音が先生の耳に届いたのかはわからない。それでも私の手の力は緩まなかった。
言葉が、喉元まで浮かんだが。それを言うには勇気が足りなかった。
「ありがとうございます……」
文章力以前の問題、突きつけられた現実だった。
テーマどうにかならなかったの?
まず読んで欲しいなら、読者の興味を引くテーマじゃないと。
つまりはそういうことだ。
私はそっと部屋から出て行くと、静かに扉を閉めた。静寂な廊下に対照的に、私の心臓はバクバクと音を立てている。クシャクシャになった原稿用紙の皺を伸ばした。その皺に涙が広がって、顔の中心が熱い。それなのに体の芯は冬風が通り抜けたように冷たかった。
書かれたことの否定は、自己を否定されているように感じる。
これは、私の半身なのだ。もともと自己肯定が下手だった私が、気持ちをアウトプットして生きていく術だった。
手の甲で涙を拭って、皺くちゃになった原稿用紙を片手に歩き出した。
***
なぜ、私が書くことをやめないのか。
こんな思いをするぐらいなら、書くのをやめよう。何度もやめようと思ったことだ。それでもやめられなかった。
フィクションというオブラートに包んでも、私が書いた文は生々しい。猛毒がオブラートを溶かし、口に入る前に吐き出されてしまう。
先生に注意されたのはそういうことだ。
だれが好き好んで毒を飲むというのだろうか。みんなに読まれたいのなら、豪華なケーキのような美しい文を書くべきなのだ。
私にはそれができなかった。
そんな美しい経験を私がしたことがない。
書けば書くほど自分の感覚に頼るから、心理描写が生々しくなる。
そもそも、どうして人は情報をアウトプットするのか。私の場合はその気持ちを抱えていたくないからだ。辛くて悲しい気持ちを外に吐き出してスッキリしたいからだ。私の話なんて誰も聞いてくれなかった、誰も気に留めてくれなかった。
だから、この気持ちを形にして外に出したほうがいい。
そうじゃないと、潰れてしまうから。
こんな文章を書いたって、こんな内容を書いたって。
誰も喜ばない、誰も興味なんて持たない。
そうじゃない。私はそんな思いを抱えて生きていけないから、外に出す。書いて書いて、落ち着きたいからこれを書いている。
読んで欲しいと願うのは、その傷を知って欲しいから。誰かを喜ばせたい、感動させたいわけじゃない。そんな自分には、やはり書くことは向いていないのだろうか。
そんなことない。
自分にそう言い聞かせて、進むしかない。
死ぬまでこんなことを繰り返していると思う。たとえ文字を書く仕事ができなくても、縋って生きていくのだと思う。
苦しくて、悲しくて。辛い思いが、私をこうして書くことへ誘うのだ。
良い意味なら、創作に活かせた。
悪い意味なら、創作さえも王道から離れてしまった。
それでも、きっと。
間違ってないと思うから。
死ぬまで書くことは続けていると思う。