母のこと

母は思いの外、詩人だった という話。

母がこの世を去ってもう10年位かな…

最近、次男のお嫁さんがご懐妊との連絡を受けた。

わぁ~~~✨ 初孫・・・

そして時間が経つにつれ

自分が第一子を身ごもったころの記憶が
奥底から蘇生したようだ。

臨月を迎えてもなお、出産の兆候が見えず
「初産は遅れるから」と周りから助言いただいていた
そんなある日。

実家の母から手紙が届いた。

え?手紙  ?
実家は車ですぐの場所なのに。
電話があるのに。

封書を開けると
詩 が書かれてあった。

よくは覚えていない。しかし印象的な言葉だった。
その詩は

《なんのラベルも貼られていない・・・・・・・》

で始まった。
あ。これ(詩)は私に、ではなくて
生まれてくる子に宛てて書いたんだ。
そして
詩の結びは

《私は 広い海で   いっしょに 貝を 拾いたいのです》

だった。

この詩(母が、詩を書いた自覚があったかどうかは
定かではない)を読んだとき
出産を間近に控えて精神的には少し不安定だったのだろう。
私の目からは涙がこぼれ落ちていた。

その涙は、詩の中の《広い海》と呼応したかのようだった。
生命の源である 《海》と 《涙》は
どちらも しょっぱくて 懐かしい味 かもしれない。

広い海で 貝を拾う

この情景は 言いようのない 静謐な癒しを私に与えてくれた
その情景は
音のない 深海の孤島で ひとりになった私が
不思議な貝を拾う
拾う私は、こどもだったのだろうか
年齢も場所もわからない深淵で。

生まれてくる子を待つ。

母は、学歴とは無縁だったし、たまに挙動不審な一面も
あったし、いつも自分中心で生きていた。
「奔放」という言葉にしてしまうと
そんないい言葉でまとめるな!と
まわり(家族)からは反感を買うに違いない(笑)

あの手紙は、どこかに保存されていると思うので
いつか、再読してみたい。

そして 私は 今でも
《広い海で 貝を拾う》の情景に癒されている。


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