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赤ちゃんができまして<5>

 そこからは、入院五日で退院という他の自然分娩と変わらない日程で進みました。
 ふと考えると、切迫早産で入院した時は、抑制剤で押さえていたわけですから、この薬がなかった昔は切迫早産したら赤ちゃんはきっと生きられなかっただろうし、私ももしかしたら死んでいたのかもしれないと思うと、現代医療が発展したからこそ私は生きているんだなと改めて思いました。
 本当に現代医療に感謝です。
 感謝といえば、こんなにウォシュレットって偉大なものだったんだなと感じました。
 傷があるからふくのは痛いし、そもそも清潔にしないといけないからふき残しあるとよくないから洗った方が楽だったし、先生に言われてたのもあって、必然的に使わざるをえなかったけど、とても良かったです。
 これがなかった時代大変だったろうなと、これも文明の利器に感謝ですね。
 普段は使わないのですが、こういう時のためのものでもあったんだなと思いました。
 その病院は母子同室で、義母からはしんどくないかという声もありましたが、結果として私は赤ちゃんと過ごす心構えができたのでよかったです。
 これで何の準備もなく家に帰ったら、助産師さんに教えてもらうこともできず心細い思いをしていたと思いますから。
 その日から、母乳を吸わせる練習も始めました。
 生まれた息子は、少し低体重気味だったので、ミルクも合わせて飲み、なるべく太らせる方向で頑張っていました。
 お腹にいる時は、順調な育ち具合と見られていたのですが、いざ出てみると小さめ。
 やはり生まれてみないとわからないものですね。
 ずっと不安な夜を過ごしていました。
 他の部屋から聞こえてくる赤ちゃんの声は、外に聞こえるほど強いのに、うちの子の声は弱々しくて、この子は小さく生まれてきたんだなぁということを実感して不安になっていました。
 それでも、心臓は動いているし、排せつはしている。
 ミルクやお乳もだんだんと吸ってくれるようになっていったので、私も頑張ろうと思えました。
 あの辺りから、産んでしまったからもう後に戻れないという実感もわいてきましたね。
 いや、妊娠してる頃からそれはじわじわと感じていたんですけど、ここで確定的になったというか。
 自分がやらなきゃ、という気持ちになりました。
 黄たんも出ていて、紫外線を当てる治療もしていたので、余計我が子が痛々しく見えていたのも不安の要因だったかもしれません。
 最終日にもまだ少し残っていて、少ししてから病院に見せに行って無事に抜けていたのでそれもよかったです。
 息子も体重が無事に増えていましたから、もうあとは自分の体調のことを気にしていました。
 家に戻ると、保育士のである夫の母がずっと家のことを手伝ってくれてて、私は本当に子どものことだけしていればよかったので助かりました。
 私の実家は北海道にあって、おまけに農家だったので、こちらに来るのが大変で助けを求めることができなかったので、本当に来てもらえて良かったなと思いました。
 何とかなるかなと思ったんですけど、そもそも産褥期は一か月ほど動いちゃだめな時期だから、助けがなければ無理なんですよね。
 夫は仕事があるから、ずっと家にいるのは無理だし。
 その辺り、本当に考えなしだった私に気を遣ってもらえて、こういうところも恵まれていたと思います。
 別に特別義理の母とは仲が良かったわけではないのですが、特別嫌いあってるわけでもなかったので、こうして子どもを通じて一緒にいると、色々話すことがあって、義理の母を身近に感じることができました。
 子どものこともたくさん相談できて、それも良かったです。

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