伊豆大島ミステリー③ 「1月24日は海を見てはいけない」…あの魔性の正体は?
連日の暑さが続きます。皆さまお元気ですか~?と言うことで久しぶりになりましたがシリーズ最終章は、オカルトで締め括ります(^^)
伊豆地方の「忌み日」
皆さんは忌み日をご存知ですか?
忌み地は聞いたことがあるけど忌み日は聞いたことがない?
忌み日は特定の地域ごと(あるいは家ごと)に決められた、風習の一つ。
これからするお話は、昨今のオカルトブームの影響でご存知の方も多いかも。
このお話が世間の注目を浴びるきっかけとなったのは、2005年、ネットの某オカルト投稿サイトに書き込まれた体験談。その後、複数の怪談サイトにより拡散します。
タイトルが『籠と笊をぶらさげた寒村』、『海を見ることを忌む日』、『海から這い出してくるモノ』、『海からやってくるモノ』、『海から来たるもの』、『海辺の寒村』…と紹介者によって様々ですが、内容はいずれも同じ。
あの怪談のあらすじ(ざっくり)
伊豆地方(伊豆半島&伊豆諸島)の風習で、1月24日が忌み日であることを知らずにドライブで訪れた2人の学生&犬1匹による恐怖体験。
今までに伊豆のあちこちの浜辺に行きましたが(シュノーケル目的)、この物語に出てくる神社がどこか?まだ特定ができません。
日忌様
この1月24日を忌み日とする伝承、及び慣習については、島(地域)によって少し異なります。
伊豆七島(実際には八島)のうち、前回訪れた大島の伝承は次の通り。
大島では1月24日の夜に海からやって来るのは、悪代官をやっつけた若者25人の霊であり、人々が魔除けに用いるのは籠や笊ではなくトベラや野蒜ということです。
野蒜については知りませんでした。皆さんは食べたことありますか?
トベラも野蒜も強烈なニオイが魔除けの効果に。西洋のニンニクで吸血鬼から身を守る話に似ていますね。
因みに籠や笊を使うのは、伊豆半島のやり方だそうです。
いずれにしても事八日と同じ方法で身を守るようです。
※海の魔性に盛り塩は効きません!
事八日
皆さんがお住まいの地域では今でも事八日が行われているでしょうか?
まとめると以下の通り。
②と③とでは、この行事の目的が全く逆になりますね。
では、別の島々でのパターンを見て行きます。
海難法師
1月24日の夜、|利島《としま》や新島、式根島、三宅島にやって来るのは海難法師です。
この島々では、忌み日に現れるのは「海難法師=悪代官の霊」ということに。
つまり島々の伝説を合わせると、加害者と被害者の両方が魔性化してしまったという(悪代官は逆恨み?)、救われない話です…。
因みに悪代官がいたとされる八丈島ではどうでしょう?
八丈島に豊島忠松なる代官の記録はあるものの、民衆に成敗された悪代官ではなく海難事故で亡くなった人物のようです。
後に代官の名前だけが伝説に利用された可能性がありますね。
何故ならば、八丈島では1月24日を忌む習慣がない様子です。
(記述が間違っていたらご指摘下さい)
忌の日の明神
御蔵島では忌の日の明神が来訪します。
成敗された悪代官ではなく、成敗した若者たちでもなく、「明神様のご到来」です。
「神ーー!キターー!」…しかしながら賑やかに声を上げての大歓迎をする訳には行きません。
なぜなら明神様の御姿を見ると災いが起きるからです。まさに「触らぬ神に祟りなし」。
明神様は1月20~25日の5泊6日滞在。その間、明神様は島の南から徐々に北へと移動なさいます。
島民はソソウをすると明神様の高下駄で蹴られます。くれぐれも鉢合わせないよう要注意!
ところで「鉄下駄を履いた明神様」とは、大島に伝説の残る役小角のイメージと重なりますね。
こんな優しそうなおじいちゃんなら1度くらいは蹴られてみたい?
では最後に神津島での伝承を見てみましょう。
二十五日様
神津島に海から訪れるのは、二十五日様なる神様です。
悪代官ではなく、悪代官を成敗した25人衆でもなく、神様が二十五日様です。ちょっと不思議なお名前ですが、なんとご正体は猿田彦です。
先に挙げた「役行者像」とこの「猿田彦命」とではいくつか共通点がありますが、お顔が全く異なります。
さすがに猿田彦様だと畏れ多くて粗相はできません。家に隠れていた方が無難というもの…。
ちなみに「神様を見てはいけない」理由は、こちら側の不浄が神聖な神様に移ってはいけないからです。
海の向こうから猿田彦様が現れるシーンは、想像すると海を割ってエジプトの民を率いたモーゼさながら。
この「二十五日様神事」は神津島・物忌奈命神社の神主さんとごく少数の関係者により、夜間に島内の決められた場所を巡拝する形で厳密に執り行われます。
※物忌みをするから「物忌奈命神社」になった訳ではありませんが、民間の「物忌み」のルーツはこの神津島かも…?
注意しなければならないのは、関係者以外の者が神事を見てはならない規則がある点です。
たとえ神主さんが巡拝の移動中であったとしても、一般者と出会った場合には神事を最初からやり直さなければなりません。
神津島の人々が物忌みの慣習を今でも固く守り続けるのは、神への畏れでもあり、また神主さんへの配慮でもあるようです。
(神津島についてはまたいつか記事にさせて頂きたく思います)
因みに最初にご紹介した大島・泉津地区での「日忌様」においても、夜間になると浜辺での儀式を旧家の当主が務めるそうです。
さて、毎年1月24日に伊豆にやってくるモノは神か?魔性か?
ここからは海からやって来るモノの正体について考えてみようと思います。
1. 歳神説
日忌みの慣習を先に説明した事八日と同じと考えるならば、海から訪れるのも事八日と同じく「年の区切りを迎えるための歳神様」と解釈する、最も安直なポピュラーな説です。
神様を迎えるため、この日は労働しないで餅をこさえ、家でゆっくり休む…。
「労働者の休息日」であったのが「神の来訪日」になり、いつしか「海から怖い妖怪がやって来るから外に出てはいけない日」になったというものです。
昔話や伝説には得てして教訓が込められているものですね。めでたし、めでたし…では終わりませんよ!(笑)
【十和田の考察】
「労働者の休息日」→「神の来訪日」これは順番が逆と考えます。
むしろ「神津島に出現した何かを祀った」→「周りの島々に伝搬」→「伊豆半島を経て本州に伝搬」→「事八日が成立」と考えた方が自然ではないでしょうか。
つまり伊豆の日忌みの風習こそ事八日の起源、とする解釈です。
理由を言うならば…超古代の伊豆地方では島→半島の順に文化が栄えていったと考えるからです。
それを証明する1つは神津島から採掘された黒曜石の各地からの出土。
もう1つは阿波忌部氏の移住です。
縄文時代から既に黒曜石の産出で栄えていた神津島は、伊豆諸島の中では最重要。阿波忌部氏も見過ごすはずはなかったでしょう。
(物忌奈命神社の「忌」は忌部氏に由来すると考えられます)
もしかしたら神津島出土の黒曜石の伝搬ルート上に、事八日の風習があるのかもしれません。黒曜石と共に物忌みの風習も各地に伝わった、とする十和田説です。
(この検証は、学者の方にお任せします…)
2. 集合無意識の具現化説
「集合無意識の具現化」という言葉は、映画『貞子VS伽椰子』中に出てきた言葉です。分かり易い表現なのでこのまま使わせて頂きます。
これは「1月24日の夜に海から魔性がやって来る」…と信じ続けた伊豆地方の人々の積年の想いが実体化してしまったとする解釈です。
かつて「岐阜にいるはずの口裂け女」や「岡山にいるはずのトイレの花子さん」が全国を駆け巡りました。
これらも実際に彼女らが奔走した訳ではなく、噂を信じる子供たちによって日本中に生み出されてしまったモノたち(まさにモノノケ)のようです。
「そんなことが実際にあるのかな…?」
私たち日本人は神社仏閣を参拝します。墓参もします。神棚や仏壇がある家も珍しくありません。「神も仏もご先祖も、目には見えないけれど、私たちを見守って下さっているのだろう」…そうした信心と同じことではないでしょうか。
実際に、日本の国はそうした信心(良くも悪くも「呪」と言えるでしょう)により張り巡らされた結界が、あらゆる災害からの国防を担っていると言われています。
3. 亡者の集合体説
これは漫画『地獄先生ぬ~べ~』で海難法師が取り上げられた回にも書かれていた説。海で亡くなった人たちの魂の複合体、というものです。
多くの無念の魂同士が引き寄せ合い、1つに融合。邪悪な力をパワーアップさせ、生きた人間を妬み襲いかかり、あわよくば自分たちの仲間にしようと引きずり込む、海の魔物となってしまったパターンです。
彼らを成仏させることは難しく、魔物は永遠に海を彷徨い、毎年決まった日の夜、伊豆の海に訪れる…。
「しょうもん(水遊び)ばかりすると亡魂が来るぞ」(映画『リング』より)…これも伊豆地方の方言でしたね。
【十和田の考察】
しかしなぜ毎年1月24日に現れるんでしょう?
現代の暦は太陽暦を基にした世界標準仕様。閏年がある年も。
魔物も人間のカレンダー通りに出現するとは、なかなか律儀です。
ところで海から来るモノは島により異なるものの、いくつか共通点がありました。
1つは「赤」という色。もう1つは「25」という数字。
これって…クリスマス!?
つまり伊豆では昔から旧暦でサンタクロースが訪れている???
(にしてはオソロシ過ぎる~~~)
「赤」とはもちろんサンタクロースの衣装の赤ではありません。
サンタは元々、緑の衣装でした(ある時期から原材料不明の某炭酸飲料水のCMの影響で赤い衣装になりました)。
日焼けした白人の顔が「赤く」変色したことを表現したものが、いつしか「赤い幟を掲げてやって来る」と転じたのかもしれません。
天狗の起源も白人説を提唱する人が多いですね。
4. 白人系渡来人説
…と上記の流れで、魔性の正体はサンタクロースならぬ、かつて日本にやって来た白人系渡来人と考える説です。
異人を異界からの神とする「まれびと信仰」、この言葉を提唱したのは民俗学者の折口信夫でした。
海の彼方からの来訪神・猿田彦。もしかしたらこの猿田彦こそ白人系の渡来人なのかもしれません。
同様に阿波からやって来た忌部氏も、もとは大陸からの渡来人なのかもしれません。
渡来人たちが島に持ち込んだ多くの先進技術、それらに憧れを抱き、彼らを崇拝する純朴な島の人々。
しかしいつの世も、先住民族は後から来た移民に制圧される運命からは逃れることができません。
❘稀人《マレビト》は先住民にとっての神であり、また悪魔でもあったのです。
各地に猿田彦の伝説が多いのは、こうした白人系渡来人のマレビトたちのトップを、後にまとめて「猿田彦」と呼称したからかもしれません。
5. 外来種妖怪説
そもそも魔性が「笊や籠を嫌う」のはなぜでしょうか?
笊や籠の編み目は幾何学模様、とりわけ「籠目紋」といえば六芒星を表しています。
随分以前に「△」と「▽」のお話を書かせて頂きましたが、六芒星はまさに「△」と「▽」を組み合わせた形ですね。
この籠目紋を描く笊や籠は、主に竹などの植物素材を使い六つ目編みすることで作られます。
魔性はこの籠目紋の網目が連なる「目籠」をたいへん嫌います。網目がまさに「目」に見えるらしく、コワがって退散するのです。
つまり魔性は自分の姿を見られるのがイヤなのです(だったら来ないで下さい!なんですが)。魔除けに鏡を使うのも同じ理由かもしれませんね。
この笊や籠を六つ目編みする技術、縄文時代にはなかった?…と思いきや、平成5年、佐賀・❘東妙《ひがしみょう》遺跡から約8000年前の編み籠が700点以上出土。そのうち六つ目編みの籠も含まれるようです(世界最古のようですよ)。
ただ、縄文人が六つ目編みの籠を作っていたのは実用目的であり、魔除けに使っていたかは不明です。
【十和田の考察】
魔除けとして籠目紋を用いる風習は、伊勢神宮をはじめいくつかの神社にもみられます。唐から風水がもたらされてからはさらに盛んになり、今日でも日本の国の結界に用いられているようですが、魔除けとして用いた起源はいつ・どこだったのでしょうか?
海外ではヘキサグラムと呼ばれ、古代ユダヤのダビデ王やソロモン王の頃から魔除けとして用いられ、後にユダヤのシンボルとなり、現在はイスラエルの国旗にもデザインされていますね。
インドではシャトコナと呼ばれ、魔除けというよりも聖なるもの、「△」と「▽」の中間、世の中のバランスが保たれた「調和」を表すようです。
もしかしたら古代の縄文人が六つ目編みの技術を大陸に伝え、大陸でいつしか籠目の六芒星が魔除けの「目」の効力を持つようになり、その後、渡来人により日本へ魔除けとして逆輸入されたのかもしれませんね。
ヘキサグラムを魔除けに用いる渡来人、ヘキサグラムを怖れる海の魔性。
ということは魔性の正体は国外産、つまり外来種ということに…?
私たちが日本の妖怪だと思っている「ダイダラボッチ」や「一つ目小僧」も、ルーツを辿ると製鉄技術と共に海外から伝わった妖怪と考えられるそうです。
伊豆の海に出没するのも、はたして外来妖怪なのでしょうか?
6. 魔性はARKを探している?説
最後は十和田の完全オリジナル説です。
これははるか昔、日本に渡った渡来人をユダヤ系と仮定した場合です。
彼らは祖国を出る際、何かとんでもないモノを持ち出していたのではないでしょうか?
それは彼らの「神」から与えられた秘宝。人智を超えた叡智であり、ときには兵器に姿を変えるものかもしれません。
そうしたものが存在した場合、人はどうするでしょうか?
世の均衡「△」と「▽」の調和を望む者は、それを隠すでしょう。
逆に権力者はそれを利用すべく、追手を差し向けるでしょう。
両者とも、自身の信念に従い、自身の正義を貫き、任務を全うしようとするでしょう。
それは「悪代官と25人衆」の両者に似ています。
さて、それはどこに隠されたでしょうか?分かりません。
なぜならそこには結界が張り巡らされているのですから…。
人間の体を失ってさえも、未だ使命の呪縛に囚われた追手たち。
その者たちが伊豆の海で探しているのは「契約の箱」ではないでしょうか。
箱はどこに置く?
箱は元の場所に
それはエルサレムの神殿?
否、神の御許に
伊豆の島に島民がいる限り、これからも伝説は続くのでしょう。
思いのほか長い文章になってしまいました。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!(^_-)-☆