陸前高田は復興してた
夜中4時24分頃
まずスマホから地震警報が
その数秒後に町アナウンス用のスピーカーで
地震情報と共に落ち着いて行動してくださいと流れ一瞬で運転席に乗り目隠しをすべて取った
そして流れるアナウンス
"この地震で津波の心配はありません“
なんだ…寝ればよかった
夜中から朝までかなり風が強く揺れてたので勘違いして起きたのだが、地震で車が揺れたのはほんの数秒ぐらい
しかし早いな…大きい音だなぁと思いつつ再び眠りに
8:30頃だろうか起きて昨日の地震の震源など見ながら起きた
防波堤は2キロほどの長さで気仙中学校の方から陸前高田海水浴場より少し先まで伸びてる
上は歩けるようになっていてその前に松林予定地?と砂浜、海となっている
この後は伝承館の中をみて当時の深刻さ、歴史などを見た
写真・映像はシアターや重要資料などがある場所以外オッケーだけど制限ない方が良いのではないだろうか
と車に戻る際、昨日トイレの件でちょっとお話した夫婦で青森からこられたおばちゃんとちょっと立ち話
そして前回満腹食堂の店主におすすめされた
2つのお店の中(すごく悩んだが)みつわ飯店へ
飯を食べた後は震災の時、うちのボランティアグループの中で私だけが行ってた神社探しに
Google map的にも記憶の中の位置的にもこの
みつわ飯店の前にある小山を登ることに間違いないが入り口の階段が全然違う…かなり急斜面を苦労して登った気がしたが…まぁ、でも見た目はここだ!と登ってみたらわかった
けど…ここから上に上がれるんだったけ
震災後いろいろ整備したんだな、なかったトイレもあるし
坂道の少し登ると広場が出てくるが、ここが公園らしい、しかもまだ道は上に続いてる
歩いてみるとびっくり
神社がもう一つあったのだが入り口の鳥居はもう鳥居の機能を失ってるし神殿?も酷い様
隣にはとても立派な、なんなら他の場所でよく神聖な木とかいうくらい大きくて元気な松があるのに…
神社の後ろにも山道はあるがそっちは諦めて
鳥居を通って下に降りた
そして登った時と違う降りる山道があったので
向かったらそこはまた綺麗な景色があった
ここはそんな知られてないだろうか
と思いながら、駐車場へ向かって他の場所へ向かおうとしたが気になる’いわ井’という名の雑貨屋さん?と博物館に寄ってみた
いわ井というお店はお洒落な雑貨とお酒、醤油も置いてあった
博物館はとても綺麗でしかも無料入場できて
いろんな資料が見れる
特に陸前高田高校の実習用の船が震災で流れて2年と1か月後アメリカのある州で発見されて戻ってきたストーリーはすごかった
最後に気仙中学校へ行った
朝、一本松をみてそのまま見ることも可能だったが後回しにしていたのだ
私は寮がある建物をみたけどそれは見つからなかった、そして病院も取り壊されたため見ることはできなかった
このまま気仙沼へ向かうのもいいのだが、三陸復興国立公園の広田崎へ行きたかったので向かうのだがまだ気になるどころかあり回り道をしてたら
寄り道すぎたがなんとかまだ日があるうちに
広田崎へ着いた
温泉に行ってそのまま気仙沼で寝るのも良かったが、飯食べながら飲んじゃっ…
陸前高田はタイトルのように復興してると思う
ただ内部深くまではわからないので、言えないが細かい問題や課題は残ってるだろうけど大丈夫じゃないかなと勝手に思った
岩手の最後の夜
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