佐藤允彦の即興演奏講座・初級編 ~ランドゥーガに学ぶフリーインプロビゼーション~
■ランドゥーガを知るための参考資料
以下のサイトにも様々な参考資料があります。併せてご覧ください。
ランドゥーガ研究会(ランドゥーガを実践する任意団体)
ランドゥーガ研究会YouTubeチャンネル
■導入
□RANDOOGA Workshop
▶ ランドウーガ・ワークショップは、インプロ = improvisation = impro即興演奏 = の楽しさを発見する集まりです。
▶ 通常、インプロはどのような分野の音楽にも存在します。ある分野の音楽の形式、ルール、慣習などを身につけたうえでそれらを駆使して行うのがその分野におけるインプロです。
▶ それに対してこのワークショップでのインプロは、 free form = どの分野での形式(form)にも従わない、あるいは形式を持たない完全即興 = です。
▶ なぜフリーフォーム・インプロを追求するのか。
答えは、分野の垣根を取り払って、どんな音楽言語を持つ人たち同士でも交流できるようになるため、です。そしてその先には、世界中の人たちと音を使った会話を楽しむという段階が見えるでしょう。
▶ 形式のないインプロとは
音楽に形式が必要になるずっと前から「音」は存在していました。人間が聴覚を持っているかぎり、声を出し、何かを叩く、という行動をしていたはず。感情に従っていろいろな「音」を発し、聴いていた。
つまり、音楽以前にインプロがあった。
音楽全般を地層に例えると、基層にそうした「原初インプロ」があり、その上に音楽の様々な形や決まりが理論、奏法といった層として堆積し、最上層に(基層とは別の)「現代インプロ」が乗っている、と考えることができます。
実際の地層が世界中で均一ではないように、音楽の層も場所によって、また時代によって異なります。
従って現代インプロも分野によって姿・形が違うのは当然です。
現代インプロが分野ごとに違う論理・形式を持っていることで意思の疎通、つまり共演が困難であるならば、原初インプロに戻れば良いではないか、というのはたやすいことですが、ひとたびそれぞれの論理・形式を身につけてしまった人類が、瞬時に基層へ戻ることはなかなか困難です。現代文明を捨てて、明日から採集生活をしろ、と言われるようなものです。
つまり、原初インプロとフリーフォーム・インプロは全く違うものであるべきでしょう。
ランドゥーガが目指すのは原初インプロの上に堆積した一切のフォームを否定するのではなく、現代インプロのどんなフォームにも適用可能な「共通言語」を作ることです。
それが free form improvisation と呼べるものではないでしょうか。
▶ そのための第一歩として、参加者が各自の音楽的背景、つまり今まで培って来た音楽観、スキルといったものを一旦白紙にするという意識を持つことが必要です。(ワークショップで基本的な表現を習得したのちに、各自の音楽的背景をインプロに加味して行くことになります。)
▶ そのうえで、非常に簡単なゲーム的な音のやりとりを通して徐々にフリーフォーム・インプロの感覚を確立して行きます。
▶ ランドゥーガは最終的に多人数による集団同時即興演奏を目指しますが、前段階として少人数(主に3人)での演奏を通して個人の「インプロ能力」の向上と、集団での「インプロ行動」表現力の養成を行います。
▶ どんな分野の音楽経験者でも、また音楽の知識、技量に関係なく楽しめるように、ここでは楽譜をなるべく使わないように心がけますが、進むに従ってどうしても初歩的な西洋音楽の記譜法を使う必要が生じることになります。
□§ 1 予備として
実際の行動に入る前にいくつか考えてみます。
・インプロとは
自分ひとりのインプロを簡単に言えば、砂浜に小枝か何かで勝手に絵や字や模様を彫るようなものだと思って良いでしょう。潮が満ちて来れば消えます。白い紙に好きな色を塗る。何でも思いついた形を描く、ということもできます。これがソロでのインプロです。
相手がある場合には状況がかなり変わります。自分が描いたものを見て相手が描く。次にはそのふたつを見て自分が描く、といった連係が求められるようになります。あるいは二人同時に描いて行く。
それも事前に何を描くか相談なしに、です。相手が二人になったらどうなりますか? 三人では?
ワークショップではこのあたりを追求します。
・自分の「音楽観」を一度消去する、とは
ここに集まった人達は、皆違った音楽を経験しているはずです。
そのままインプロに突入すると、違った国の言葉で何かを言い合っているのと同じ現象が起きるでしょう。
意思の疎通には共通言語が必要です。言語の壁を取り除くように音楽のジャンルの壁を取り除く。
普段使っていた表現を文章だとしましょう。文章は文の集まり(各自の分野特有の言い回し=フレーズ)です。文は単語の集まり。単語を分解して行くと音節、音素になり、意味を失います。つまりまず単音だけを使う、という所に立ち戻ってみる。何のしがらみもない一個の「音」から出発します。
一個の音は音律、音階、調、といった「音楽」に組み込まれる前の粒子としての存在です。
・共通言語としての時間感覚
言葉を介さずに誰とでも通じられるのは「時間を区切る」感覚です。
それは人間なら持っていなくてはならないふたつの臓器でコントロールされます。
(1) 短い区切り=脈拍 心臓が司る。
脈拍・鼓動は規則的な身体運動に通じています。歩く、走る、踊る、などはリズムとそれをあらわすための打楽器を操作する感覚です。
(2) 長い区切り=呼吸 肺が司る。
息を吸う、吐く、は声を出すこと。歌、笛を吹く、また管楽器を操作する感覚でもあります。
このふたつの感覚は我々の中で別々に存在するものではありません。脈拍は通常一分間に60から100、安眠中は遅く、走れば速くなります。呼吸は成人で一分間に12から20。瞑想時の深い呼吸では3回以下と言われています。
瞑想では呼吸を鼓動で数えてコントロールする集中力鍛錬法があります。仏教で「数息観」と言います。
スポーツや武道では、腕の振りや足の運びに長い呼気、瞬間的な呼気を合わせる場合が数多くあります。
・空白=無音
・インプロは「遊び」=即興
即:その場。すぐ行う「即答」「即時」。仏教では<相反する二物がそのまま同等で差別がないこと>
興:面白く楽しいこと。当座のたわむれ。
improvise im:= in 否定をあらわす接頭語。pro:前に。vise:ラテン語 visa 見られる。
→ ラテン語の improvisus 「予期しない」「用意しない」が原義です。
Adlib:もとはラテン語の ad libitum ad:〜によって。libitum:気に入ったもの
→ 好みに合わせて、自由裁量によって。
spontaneous:もとはラテン語 spontaneus で、spont : 自分の意志で aneus : 〜に富む
→ 自発的な、無意識の、本能的な、自然な、野生の。
・インプロの起点
インプロは何によって引き起こされるのか。インプロのきっかけとは?
上に述べた即と興がインプロのはじまりです。犬や猫、子供が「あれっ?」と思うのと同じで、興味を引くものに出会ったとき心が動く。ここではそれが何かの音。
何の変哲もない音なら聴こえたという実感は起きないはず。何だろう?とか面白いな、と思う。
何らかの刺激に対する反応。これが始まりです。
□§2インプロ脳
脳の中にインプロ脳という部位があるわけではないのですが、「反応」「反射」がインプロの起点であるならば、そのような動作にかかわる部位は確かに存在します。右脳です。
右脳は直感、情緒、空間、イメージといった方面を、左脳は論理、言語、計算などを担当する。
従って、何かを聴き取って「面白い」と感じたら反応するのは右脳です。同時に[反応すべきか否か]、[どのような反応か]、といった検証を左脳がする。
幼児期には右脳が活発で、成長するに従って左脳が発達してくると相対的に右脳が弱体化すると言われています。
大人になると音に対する反応をまず論理的に解析するようになるわけです。
現代のような音環境では、左脳優位の聴き方で問題ないのかも知れません。しかし論理的にがんじがらめになった音とは違った、原初の音に対する無垢な反応を忘れているうちに我々は生命体としての何かを徐々に失っているのではないかと感じます。
そういう意味で、右脳優位の状態を作って音を聴いてみる。
インプロ脳をこんな所から形成してみよう、というわけです。
・右脳優位
右脳を活性化するために左脳を抑制する、という方法が現代の我々には一番効果的ではないか。
この観点から、参考になりそうなのが禅(曹洞宗)の「只管打座」(しかんたざ)です。何も目的を持たずただ正しい姿勢で座り静かに深い呼吸をする。正式には結跏趺坐という座り方、半眼、手の形、など細かい規則がありますが、要はゆっくり呼吸をし、意識を内面に向ける。雑念は流れるままにして追うことはしない。
これを数分続けるだけで心が落ち着いたと感じられるはずです。その状態で左脳が鎮静し、右脳の感度が上がっているのです。右脳は「興」を待っている状態です。
・インプロに踏み出す
さて、右脳が何かをキャッチしました。ここでは「音」ですね。心の内で鳴ったのか、他者が鳴らしたのか、外界から来たか。とにかく右脳が作動した。「興」が現れたのです。
あなたはここからインプロに踏み出すことになりますが、既存の音楽でのインプロなら、あなたの前に道とか線路のようなものがあるか、あなたが地図を持っているか、何らかのガイドが用意されているはずです。ところがフリーインプロではそういったものは一切ありません。どこへ行こうと勝手。
さあどうする?
実はここからが左脳の出番なのです。右脳がキャッチしたもの(仮にAとします)を左脳が検証していくつかの提起をします。すると右脳がどれか(むろん右脳が「興」だと感じたもの)を選んで最初のAに繋げます(B)。ただちに左脳がA+Bを検証していくつかの可能性を提示。右脳が選んでCを創出、左脳がA+B+Cを検証……
こうしたフィードバックの連鎖が脳内で瞬時に行われて音が繋がって行くのでは?
これは学術的に証明されているわけではありません。あくまでも私のイメージです。
つまり右脳が感性的に捕捉したり直感的に創出したものを、左脳が即座に論理的に解析し、次に右へ行くならこうなる、左へ行けばこんな結果、上なら、下なら、といった選択肢を示し、右脳がそれを瞬間的に選びとって……という車の両輪のようなプロセスではないかな、というわけです。
そう考えると、インプロの手がかりがかなり明確になってきます。
・受信
右脳と左脳の役割分担という細かい詮索をインプロ脳に一括して、直感サイドIと論理サイドLとします。聴こえた音を処理するとはどういうことか、を考えて見ましょう。デジタルカメラではレンズを通って来た画像の明暗、色を何千万の撮像素子がそれぞれの部分で受けとって解析し、スクリーン上に再構築します。音も空気振動が鼓膜から内耳に伝わり電気信号として脳に至ります。つまり我々はインプロ脳内に撮像素子ならぬ受音素子(?)を持っていてそこで「音」の姿を再現しているのです。ただし空気振動として再現しているわけではありませんが。
IとLの間にはゲートgがあります。通常は閉じていますが、聴き取った音mにIが「興」を感じた時だけ開いてmを通過させます。Lの前にはプリズム状の分音器pがありmをさまざまな要素eに分解します。Lは各eに対して判断し、いくつかの対応を作成し、Iにフィードバックします。
■初級
□Randoogaの基礎的な五つの質感(texture)=5原色
ランドゥーガはどんな楽器でも、楽器なし(声・手拍ち)でも参加できます。
したがってさまざまな音色・音量が合わさって大変カラフルなサウンドが生まれることになり、音の表情も実に複雑です。
そうした音の姿をいくつかに分けて考えるようにすると、インプロでの交流がスムーズになります。
ここでは基礎的な5つの質感(表情)を選んで身につけることにします。いわば5原色というわけです。
《WSP》はワークショップでの実践に関することです。
《Sound》参照音源です。
□【1】定速 constant pulse:P
時間を区切る感覚を誰とでも共有できる一番簡単で確実な方法が「定速」です。手首に指を当てれば必ず感じる脈拍、左胸で感じる鼓動由来の感覚なので、世界中共通。
一定の速度を保持する。速さは一分間をいくつに数えるかで測ります。
単位はbpm(beat per minute)。60bpmは一秒ずつに区切ること。
・1.1 pulse / 2分割
Randoogaでは1区切りをpulseと呼びます。
pulseはいくつかに等分されます。まずは二分割です。仮に60bpmならば1pulse=1秒。
はじめを「表」(up beat)うしろを「裏」(down beat)と呼びます。それぞれが0.5秒。
低音側を● 高音側を◯ 休みを× であらわしています。それぞれ0.5秒なので8個で4秒です。
※ ここで使うのは短い音のみです。発音の場所がわかれば良いだけで、長く伸ばす必要はありません。パッと切る意識で。
《Sound》
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