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It was 50 years today
1.「マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説」(Living the Beatkes Legend/The untold story of Mal Evans) ケネス・ウォマック(シンコーミュージックエンタテイメント 2024年10月)
2.”The death and life of Mal Evans”
Peter Lee ( Avon Pub Lic Aug 2015)
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ビートルズの解散が公になったのは一般的には1970年4月10日のポールによる脱退声明とされる。
しかし、彼らの収入の配分等のために設立した法的パートナーシップ(Beatles & Company)は忌避続き存続しており、この解消を求めてポールが起こした訴訟が4人の合意を経て、最終的にロンドン高等裁判所で認められたのは1975年1月9日。
したがって、本日2025年1月9日は、ビートルズのが正式に(法的に)解散してからちょうど50年という記念すべき日であるので、昨年刊行されて話題になっている「マル・エヴァンズ、もうひとつのビートルズ伝説」を取りあげる。
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800ページ、厚さ4cm、重さ849gという、まさに大作。さすがに一気読みというわけには行きませんが、3日ほどであっという間に読み終わりました。ビートルズに興味のある方にはおすすめです。
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著者のマル・エヴァンズは1961年本格デビュー直前のビートルズに遭遇、キャヴァン・クラブに入り浸るようになり、その巨躯を買われて、まずはクラブのバウンサー(用心棒)のアルバイトを始める。
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彼らが翌年レコード・デビュー、全国ツアーに明け暮れる疾風怒濤の時代に入るのに合わせて、ロードマネージャーに採用される。
そして1975年に悲劇的な事故により亡くなるまでの13年間、ソロの時代も含めて、ビートルズとまさに寝食(それ以外も、だが)を共にしたビートルズ関連の重要人物である。
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彼自身は、1935年生まれでビートルズと出会ったときは既に26歳で、郵便局の電信技師というおかたい仕事をしていた上、妻帯者で子持ち、ビートルズのメンバーよりは5-7歳年上で、マネージャーのブライアン・エプスタインとほぼ同年代である。
マルと並んでデビュー前から彼等と寝食(それ以外も、シツコイか)を共にしたもう一人の重要人物にニール・アスピノールがいる。
こちらはポールやジョージと同じ高校の友人で同年代、マルよりはかなり若い。マルの死後もアップル(ビートルズ)の仕事に関わり続けたが、2008年に66歳で死去。ちなみに1967年に設立されたBeatles & Coの社員はマルとニールの二人だけ。
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読み終わって思ったのは、ビートルズって本質的には、何かを目的にした事業体ではなく、仲の良い友達同士で楽しいことをしたいアマチュアの気分を持ち続けたんだなぁ、ということ。メンバーの4人だけではなく、汚れ仕事をやるマルやニールも含めて。
もちろん、当時は日々変化していくエンタメビジネスでプロといいうる人材が少なかったのかもしれないけれど、5万5千人を集めたスタジアムでの興業を含めて、巨大化していく史上空前の音楽ビジネスを友達に任せつづけるというのは、今の常識ではなかなか理解しにくいが、その信頼ゆえにマルやニールも必死で4人のために尽くし続けたんだろう。(多少のおこぼれはあったとしても)
マルとニールの二人は最初はビートルズがUKのドサ周りをする際に、クルマを運転したり、ステージに楽器を並べたり、食べ物を買ってきたり、ファンの突進からメンバーを守ったり、同じような仕事をしていたが、次第に、ニールはジム周りを(元々会計士志望)、マルは現場を仕切る役割へと分化していった。
マルはビートルズの第一のファンとしてメンバーに仕え、無理難題に応えることを人生の喜びとし、家庭生活はその次となった結果、家族生活は破綻寸前であり、そのことが悲劇にもつながる。
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当時は、ファンであれ誰であれビートルズの各メンバーのお近づきを得たいものは、まずはマルを通して話をする必要があり、特にツアーの乱痴気騒ぎに関するエピソードは山のように蓄えていた。
なぜかは分からないが、給与面ではあまり報われず家計は火の車で、それを補うべくメンバーのサインを真似たスーヴェニアや秘蔵写真を売って家計の足しにしていたのだが、ある時から自分の経験を本にして売ることを思いつき、克明なメモをとるようになった。
ビートルズがツアーをやめ、さらには解散するに及んで、マルの精神はかなり不安定になる。
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73年にはジョージのラヴィ・シャンカール・プロデュースや、リンゴのソロ・アルバム製作の現場マネージメントの仕事を引き受けLAに長期滞在するようになり、ジョンのいわゆるロスト・ウィークエンドにも付き合う。
ハリー・ニルソンらと乱痴気騒ぎは、60年代のビートルマニアのツアー時とは異なり、同じ業界の若いキャリア・ウーマンとUKに残した家庭との板挟みに陥り、いわゆるドラッグに加えて精神安定剤なども服用するようになった。
それでも、1975年には長年書き溜めたメモの出版契約をニューヨークのグロセット&ダンラップ社から勝ち取ったり(前金の額は1万五千ドル程度なのでさほど高額という訳でもない)
翌年のウィングスの全米ツアーの仕事をポールからオファーされたり、一瞬、躁状態になるのだがすぐに鬱状態いなったりを繰り返していた。
そして遂に1976年1月5日、精神安定剤を大量に服用した挙句、趣味の銃を恋人に向けるという行為に及んだ後、緊急出動した警察官に射殺されてしまった。
その後、原稿の取り扱いは代理人弁護士の過大な請求に驚いた遺族が出版を断念した結果、出版社の倉庫の奥に放擲。
1988年タンデム社(グロセット&ダンラップ社ウィ買収)で倉庫の整理をしていた派遣社員が発見。
上司の対応がグズグズしているので、独断でオノ・ヨーコに手紙を書いた結果、彼女の果断な動きで原稿と参考資料のハコは遺族の元へ届けられることになった。
それから30年を経て当該資料は、ビートルズ研究家、作家、NJのモンマス大学教授でもあるケネス・ウォマックに託され、ビートルズの解散からおよそ半世紀を経て、2024年、遂に刊行された訳である。
爆発寸前の時代からビートル・マニアの時代のツアーの様子面白いが、レコーディング・アーティストになってからの彼等の創作方法は彼等の創造の秘密の一端を覗けるし、解散をめぐるゴタゴタの裏にあったファクトなどからは関係者の人間関係などが垣間見える。70年代の乱痴気は60年代のそれとは違って、読み進むのが辛くなる時もあるが、それでもページを捲る指は止まりません。
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あ、2ですが、たまたまAmazonで関連文献を調べていたら、Kindle unlimitedで出てきたので、超飛ばし読み。
1976年に警官の銃弾に倒れるマルが薄れいく意識の中で、人生最大の後悔としてビートルズの解散に思いをいたし、それを防ぐべく過去へワープして歴史の修正を測ろうとするフィクション。
結局、ジョンは1978年にLAで交通事故死し、録音テープをヨーコと他のメンバーで争った末に、70年代の3人の作品と実際には1980年にダブル・ファンタジーとして発表された作品の一部が、ビートルズの最後の作品として1979年にリリースされる、というようなお話でした。
が、結局は夢オチで終わっているような不思議な作品でした。