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Wild horses couldn’t drag me away

Wild Horses could’t drag me away

マリアンヌ・フェイスフル死去、享年78歳。

ミック・ジャガーの元恋人、ストーンズのミューズ、ツィギーやアンナ・カリーナと並ぶ60年代のアイコン、「涙あふれて」でヒットを飛ばし、アラン・ドロン「あの胸に抱かれたい」で共演。

「あの胸に抱かれたい」の原題は、”Girl on  Motorcycle”
新婚ではあるが、凡庸な夫に飽き足らないマリアンヌが、素肌を革ジャンのジャンプスーツにつつみ、イデルベルクの哲学教授である危険な男ドロンに会いにバイクを飛ばず。間にさまざまな回想シーンを挟み込みつつ、最後は悲劇に至る。

U-nextで観たが、チラチラとではあるが惜しげもなく裸身を晒し、ドロンとの濃厚な絡みもあり、なかなかエロチックな作品でした。

ちなみにこの作品の革ジャンを着たマリアンヌの印象は強烈で、ルパン三世(モンキーパンチ)の峰不二子、ワイルド7(望月三起也)の本間ユキのインスピレーションになったとか。

知ってたことはそれくらいで、ゴダールの”Made in USA”を観た時に、アカペラで気だるげに「涙あふれて」を歌うシーンだけは印象に残っていた。

訃報を読むと、父は第二次世界大戦でスパイ活動をした後にロンドン大学で文学部教授を務め、母はマゾッホ男爵の末裔という上流階級の家に生まれたが、両親は彼女が6歳の時に離婚し、少女時代はあまり裕福とは言えない生活を送っていた。

17歳でロンドンのクラブ・シーンに顔を出していた時、ストーンズのマネージャーに見出され、レコード・デビューに至る。ここまでなら単なるアイドル歌手みたいだが、間も無くインディカ・ギャラリーの創業経営者であり、ロンドン・アヴァンギャルド・シーンの発信者だったジョン・ダンバーと結婚し、一児を設けている。

ジョン・ダンバーは共同経営者であったピーター・アッシャーとその妹のジェーンを通じてポール・マッカートニーにも大きな影響を与えた。

マリアンヌはそのようなカルチャー・シーンの洗礼を受けた後、ストーンズのミューズ、ミックの恋人となり、麻薬事件による逮捕等を含めて数々の修羅場を踏むったのであって、単なるかわい子ちゃんであるはずもなかった。

ミックが大半を描いた「悪魔を憐れむ歌」の歌詞は、ミハイル・ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」をヒントにしているというのが定説であるが、この本をミックに紹介したのはマリアンヌであるという。

また「ワイルド・ホーシズ」(スティッキー・フィンガーズに収録された名曲)のサビは、1969年、ミックの映画(「ネッド・ケリー」)のオーストラリア・ロケに同行したマリアンヌが、100 錠もの睡眠薬を飲んで人事不省に陥り、6日間の昏睡の後にかろうじて生還した際の一言に由来するとも(異説あり)。

ミックと別れた後、70年代の初め、彼女は本物のヘロイン中毒者となり、ロンドの路上生活者にまで落ちたということだが、そこからも生還。ただ声質は全く変わり、ドスの効いたハスキーボイスになった。

その声を新たな武器として、3-4年に1枚ずつアルバムを発表しつつ、ライブや映画、舞台での活動を続けていく。中でも次の3作品は名作とされるので聴いてみたが、特に”Broken English”は当時のパンク、ニューウェーブの匂いも感じさせて、非常に気に入りました。

1979年  “Broken English”
1987年 ”Strange Weather”
2018年 ”Negative Capability”

なお、意外だが、元々本人としてはフォークシンガーを志して痛そうで、1965年に「涙あふれて」ヒットを受けて出したデビューアルバムは、ヒットソングを集めたもの(”Marianne Faithfull”)と、フォークソングのカバーアルバム(”Come My Way”)の2本立てだったとのこと。

後者は「朝日のあたる家」(ボブ・ディランスタイル)や「Four Strong Winds」(イアン&シルヴィア)が収録されていて、興味深い。

どんなに荒々しい馬にも自分自身を持って行かせなかった人生がここにある。



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