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「ずるい言葉」5選

「俺は別にいいけど、お前のためを思って言ってるんだよ!わかる?」

権威勾配のある会社・職場であれば、一度は似たようなことを言われた経験があるのではないだろうか?

「あなたのためを思って言ってるんだよ」という言葉は、「あなたのため」に本当になっているかどうかを説明しない(できない)ことの埋め合わせとして、つまり足りない根拠として使われている。

こう指摘するのは、『10代から知っておきたいあなたを閉じ込める「ずるい言葉」』の著者である森山至貴だ。

「あなたのためを思って言ってるんだよ」という発言は、「あなたにとってよい選択は私が知っているのだから、あなたはそれにしたがえばよい」というパターナリズムによる支配−被支配関係をつくり出す「ずるい言葉」だという。

同書では、こうした「ずるい言葉」が29フレーズ紹介されている。

今回は、そのなかでぼく自身が見聞きする「ずるい言葉」を5つ紹介したい。

❶言われた本人が傷ついていないんだからいいんじゃない?

例えばあだ名。

過去最強のあだ名の一つは何かと問われれば、漫画・アニメ『キテレツ大百科』に出てくる「ブタゴリラ」をぼくは真っ先に上げる。

豚🐖 × ゴリラ🦍

こんなブレンド、よく思いついたものだとある種の感動を覚えたため、今でも覚えているという訳だ。

しかし、これが実際にあだ名として使われていたらどうだろうか?

言われた本人が明確に拒否していなければ、使い続けていいのだろうか?

気をつけなければならないのは、否定的な意味を持つ言葉は、むしろその言葉がだれにもあてはまらないことを仲間内で確認するために、あえて仲間内の誰かを指して使われるということだ。

対処方法としては、人を傷つける可能性の少ないあだ名の付け方を考えること、それでも傷つけそうな場合のあだ名の付け直し方を考えることだ。

「言われた本人が傷ついていないんだからいいんじゃない?」は、誰かが傷ついていることに気づくチャンスを無視している。

言われた人の拒否感を見逃さず、誰もが傷付かずに済むように言葉の修正を続けることが大切だ。

❷一方的に批判ばかりするからわかってもらえないんじゃない?

あなたの会社・職場には、いつも口をとんがらせて会社や他人の批判ばかり口にしている人はいないだろうか?

ぼくの周りにはそういう人がいて、「そんなに一方的に批判ばかりしてても、なにも解決しないよ」と独り言ちることもしばしばだ。

しかしこの批判だが、明確な理由や根拠に基づくものである限り、それは問題提起である。

そこを無視して、「一方的に批判するばかりじゃ」と考えてしまうのであれば、それは「わからないでいる気満々」な人や「わからないふりをする」人にとって有利に働く。

ここにもある種の力関係を作ろうとする動きが見られる。「わかってもらいたい人<わかってあげる人」という力関係だ。

公正な議論は、わかってもらいたい側がすべての責任を負うのではなく、わかってくれない側に責任がある可能性を認めることによって成立することを肝に銘じておきたい。

❸昔はそれが普通だったのに

会社勤めを始めた最初の頃、始業前の清掃を暗に指示されているな?と感じたことや、それに似た経験をしたことのある人も多いのではないだろうか?

勇気ある新人は、恐る恐る「勤務時間が始まってからでいいですか?」とか、「これ残業つけていいですか?」と聞いたこともあることだろう。

そうすると、「いや、こういうのは昔からボランティアでやるのが普通だよ」なんて返答が返ってくる。

ここでいう「普通」には、「一般的」というニュアンスを超えて「みんながそうするべき」という意味が含まれている。

昔は一般的でみんながそうするべきとされていたことが、現在もそうであらねばならない理由にはならない。

昔は職場内でタバコを吸えていたからと言って、現在も職場内でタバコを吸っていいという理由にはならない。

「普通」という言葉は一般的という意味で使うとしても、「そうあるべき」と考えている人に都合よく解釈される場合がある。

そのため、「昔」を肯定する意見に引きずられず、よりより方法を模索することが必要だ。

「昔=普通」、「昔=よかった」ということに関して補足すると、価値判断は時代によって変わるということも忘れてはならない。

例えば、始業前の清掃は、業務指示によるものであれば労働時間になるし、仮に明確な業務指示がなかったとしても「黙示の指示」があれば労働時間として認められる場合がある。

タバコについても、いまは副流煙を防止し、健康を増進する観点から職場内では吸えないことが正しい行為として認識されている。

価値判断が時代によって変わるのは、過去の時代の価値判断を「おかしい」と考え、行動した人がいたからだ。

「時代の単なる変化」という受け身の認識は、「昔はよかった」と認識をねじれさせる原因になるため注意が必要だ。

❹これは差別ではなく区別

「差別ではなく区別」という言葉は、差別意識の持ち主の隠れ蓑だ。

東京女子医大の入試差別問題は記憶に新しいことだろう。

果たして女性よりも男性を多く採用するというのは、差別ではなく区別なのだろうか?

仮に女性は結婚や出産を機に仕事から離れる確率が高いため、そもそも採用しない、あるいは採用率を下げよう、あるいは合格ラインで競り合う男女がいた場合は男性に下駄を履かせようと言ったことを方針としているとしよう。

こうした方針は近視眼的には「合理的」な判断に思えるかもしれないが、女性一人ひとりの能力や適性を無視した不公平な方針であり、離職率や休職率の相対的な高さを利用した統計的差別である。

統計的な差別を行なっている人に対して、属性で判断される社会と個人が判断される社会のどちらを望むかと問えば、多くの人は後者を望むと答えるだろう。

であれば、属性によって区別できても区別してはいけない状況があると心得るべきなのだ。

「いやいや差別しているんじゃなくて、区別しているだけなんだよ」。

こう主張したからといって、その行為が不当でなくなるわけではない。

逆に区別にこだわることは、不当な状況を維持し、強めてすらいることに気づくべきだ。

一人ひとりの人間と向き合うことから豊かな人間関係を築いていくべきである。

❺あれもこれも言えないとなるともうなにも言えなくなる

「ずるい言葉」はぼくらの中にある意識的差別・無意識的差別を見える化してくれる。

「ずるい言葉」のような話をすると「あれもダメ、これもダメ。だったら何も言えねぇ」と開き直る人も出てくる。

しかし、何も言えないなんて大袈裟だ。そんなことはない。

失礼にあたる特定の話題を避けるだけで、その人についてなにも言えなくなるなんてことはない。

「他にも適切な話題はありますよね?」と誘導して失礼な話題を避けさせる技術を身につけたいものだ。

「ずるい言葉」に気づくことから始めよう

紹介した「ずるい言葉」をよく聞くという人もいれば、よく使っているとドキッとした人もいるのではないだろうか?

あるシーンで「ずるい言葉」を使われた経験があるということは、「ずるい言葉」を使っている他人がいるということであり、別のシーンでは自分自身が「ずるい言葉」を相手に使っている可能性があるということだ。

「アイツほんとずるい言葉使うよね!」と他人を責めたり、「こんなこと言われたら何も言えなくなる!」という怒りからさらに「ずるい言葉」の沼にはまり込んだりせず、まずは反省と後悔と向き合う。

そして、自分が使っている「ずるい言葉」、使われている「ずるい言葉」に気づく。

身の周りの「ずるい言葉」に気づくことができたなら、よりより人間関係を築くスタートには立てているのだ。

「ずるい言葉」を使うことはしょうがないこと。早々にあきらめて、豊かな人間関係というゴールに背を向けてはならない。

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