ホームスクールから海外大学に進学した話〜①〜
「私は大学に入るまで14年間学校に行ったことがありません」
自己紹介でこのように切り出してホームスクールの話をすると10分は質問攻めにされる。最近いろんな人に聞かれるようになって上手く質問の数が減らせるような説明を心がけているが、カバーできない部分や誤解を生んでしまうことも多々ある。
ならいっそのこと文章にまとめてしまおう!!
と思い、ホームスクールを選んだ理由、そこからの大学進学や大学に入ってわかったホームスクールの良さ・難しさについてnoteを書くことにしました!長くなるのでシリーズ化して、今回は生い立ちとかホームスクールを決断するまでの道のりについてまで書きます。
先に注意書きとして、私の話はあくまで一例であり、個人の意見が多く含まれています。全ホームスクーラーを代表しているわけではありません(むしろ私はホームスクーラーの中でも特殊な方です笑)。ただ、こういった生き方もあるんだよという参考資料程度になればと思っています。
生い立ち+ホームスクール始まりのきっかけ①
私は会社員の父と当時英語の教師の母のもと、三人兄弟の末っ子として生まれ、4歳の時に両親の決断でホームスクールをすることになりました。
理由はいくつかあったのですが、その中でも大きかったのはバイリンガル教育を早くからさせたかったから、そして仮に将来父の仕事の都合で海外赴任などが起きた時にスムーズに対応できる体制でいたかったからというのが大きかったようです。(ただこんなことはもちろん大きくなってから知ったので、当時はなぜ突然保育園に行かなくて良くなったんだろうという感覚でした)
どうやって勉強してた?
ここで皆さんが気になるであろうポイント一つ目。
「家で何しとったん?」→はい、説明します。
両親が見つけたアメリカのホームスクール用の教材をベースに本屋で買った漢字ドリルや国語・社会の参考書をプラスで学ぶというまさにバイリンガル方式で学んでいました。英語の教材がメインでしたが、小学生くらいまでは主要5教科ほぼ全部英語と日本語両方で勉強していました。英語の方の教材は長めの説明文の下にその内容の穴埋め問題があり、問題をやる前に親の前で説明文の原文(英語)と自力で日本語に訳した日本語訳を両方読む必要がありました。今思うと頭がパンクしそうですね…
この教材のユニークな部分は自分で勉強のペースを設計できることでした。日本の学校ではあらかじめ時間割が決まっていて、身一つで学校に行けば先生が全て指示を出してくれるので言われたことをやればいいのですが、この教材は小学一年生から毎日の勉強の配分を考えさせるというスーパー個人主義教材でした。具体的には毎日どの科目を何ページ進めるか、いつテストをするかを自分や家族のスケジュールに合わせて無理のない計画を立てることを要求されました。テスト日程の決め方はある程度指示があるのですが、例えば習い事が忙しい日は全体的に量を少なめにして暇な日に調整したり、同じ日に受けられるテストの数に制限があるのでどのように回避できるかを考えたりしていました。
実際に私が小学生だった時に毎朝考えていたことを文章にすると、
「えっと、今日はOOとOOのテストか。んでXXは親のチェックが入るからテスト終わったらすぐにこれに取り掛からないとな。今日はママが11時には仕事に行かないといけないから今9時だけど間に合うかな、、、おっとYYは来週末までに終わらせないといけないのに全然進んでないじゃん!よし、明日はYYの配分多めで、逆に先に進んでるXXはもうちょいスローペースにしよう。」
今考えると仕事してる大人ばりのマルチタスキングですね笑
このような自己マネジメントの猛特訓の他にも、家の外でも社会から分断されないように習い事をして友達を作ったり、親以外の大人と接する時のマナーを学んだりしていました。特にスポーツ系の習い事はスパルタな先生との接し方、友達との競争、いじめなど今でも色々学びになることが多かったなあと感じています。
でもホームスクール辞めたいかも…?
このように大人から見るといいことずくめのように見える生活ですが、成長するにつれて他の人との違いをより気にするようになっていきました。特に目立ったのが気の合う同年代の女子の友達がとても少なかったことでした。習い事やホームスクールをしている人たちのコミュニティにいる女の子たちは当時なぜかバレエに興味があり、ずっとバレエの話ばかりしていました。一方私はバレエなぞ全く興味がなく、強いて言えば姉が高校生までやっていたのでそこ経由で聞いた知識があるくらいでした。どちらかというとその時私は豆知識をたくさん覚えたり好きな本の話をするのが好きなアカデミックな子供だったので話の輪に入りづらい状況でした。仲の良い子がいても年上や年下の子が多く、どこにも所属できていないような孤独感を感じていました。一方で学校に行っている子たちの話を聞いて「自分も学校に行けば同年代で仲がいい友達が見つかるかもしれないし、もっと好きな勉強も高いレベルでできるんじゃないか」と思い始めました。
同時期に両親からも「これからどういう風に勉強したいか」という話を持ちかけられました。本当に必要なこと以外は本人の希望を尊重してくれる親あったのでホームスクールを強要することはなく、地元の中学校への進学、受験、インターなど色々な選択肢があるから何がいいと思うか考えるように言われました。当時自分なりに考えていたホームスクールを続ける利点としては英語力が担保できる、予定を柔軟に組めるので課外活動がやりやすくなるというのが大きな理由でした。一方で学校に行く利点は友達・コミュニティの強いつながりがある、偏差値の高い学校に行けばハイレベルな勉強ができるという部分でした。どれも捨てがたく、結局最終的な決断をするまでにおよそ3−4年、中学2年生になるまでかかってしまいました。
悩みに悩んだ末選んだのがホームスクールでした。
いや、やっぱり、、、
あれだけ悩んだ結果今まで通りの道に戻った理由は、ホームスクールをしていても工夫すれば学校でしか手に入らないように見えるものも手に入れられることがわかったからでした。たとえばあれだけ悩んでいた友達の件。真面目に考えれば今まで学校に行ってなくても他の場所で友達作れてたじゃん!と腑に落ちた瞬間がありました。文脈を見れば当たり前のことなのですが、その時「学校でしかこれは手に入らない」と思っていたことが一気に崩されたAha moment(しっくりくる瞬間)でした。その後「学校でしか手に入らないものってなんだろう?」と考え続けた結果、実は自分が思うほど大きなメリットはないのかもしれないと思いました。その後高校生や大学生になってから「やっぱり学校ってココがすごいんだな」と気づくことは何百回もあったので学校反対とかでは全くないのですが、ホームスクールを辞める理由としては弱いなと感じてしまいました。
逆にホームスクールのいい部分としてはやりたいと思ったことを思った時に実現できる柔軟性が大きな決め手でした。私は今も昔もかなり飽き性で毎年将来の夢が変わるくらいありとあらゆる分野に好奇心がありました。高校生になるまでの間に「本気でこれがやりたい!」と思ったことが見つかった時、でも学校忙しいから無理そうだなと諦めるのはあまりにも勿体無いと思いました。留学や長期の探究プログラムなど最近増えていますが、学校の先生や規則が堅くて諦める学生が本当に多いです。ホームスクールであれば勉強の負担も自己調整できるし、勉強する場所に縛られていないので融通が聞く場面が圧倒的に多いことが他にはない魅力だと感じ、決断に至りました。
長くなってしまいましたが、今回はこれくらいで!楽しんでいただけたでしょうか?
次回はホームスクールを決めた私がなぜ海外大を目指すようになったきっかけ、そして高校時代に起こった思わぬ悲劇…?について語ります!ぜひお楽しみに!
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