【コンサルは必要?】コンサル業の意義について考えてみた
コンサルの意義とは?考えたことありますでしょうか?コンサル経験者であれば一度は考えた事があるのではないでしょうか?
まずは、コンサルの種類から考えてみたいと思います。
私は現役でM&Aアドバイザリーに従事しておりますが、コンサルの種類は無数だと考えます。ぱっと思いつくようなコンサルは、戦略コンサル・ITコンサル・経営コンサル・人事コンサルなど。
ただ、〇〇コンサルといった感じで、何でもコンサルになり得ますよね。
例えば、起業コンサル、恋愛コンサル、キャリアコンサル、副業コンサル、など。数えだすときりがないです。
更に具体化にすると、家電量販店にいる店員は家電コンサル、服屋にいる店員はファッションコンサル、家具屋にいる店員は家具コンサルとも言えますよね。
このようにコンサルの種類は無数です。ヒトの数だけコンサルタントはいるといっても過言ではないと思います。Consultの辞書的な意味は「相談する」「参考にする」「助言を求める」です。何か相談事や参考にしたいニーズがあって初めてコンサルの意義が生まれます。何か相談されたら、あなたは立派なコンサルタントです。
一方、プロフェッショナルファームのコンサルは専門性の高いコンサルを通じてお金を頂いてるとこに違いがあります。その為、顧客第一です。顧客には最高品質の成果物を提出する必要があります。たとえ議事録であっても最高品質の議事録です。顧客向けの議事録作成は全てのコンサルタントの憎悪の対象です。笑
さて、本題の問いですが、ネット・多様なメディア・専門書などでも情報を入手できる中、コンサルは果たして必要なのか?
私の見解は究極的には不要だが、ヒトという性質上あった方が嬉しいものだと思っております。
正直、究極的には不用だと断言できます。何故なら自分でも色々調べながら物事を判断することは可能である為です。一方、ヒトという性質上についての見解を2点述べたいと思います。
①ヒトは極力楽したい
②ヒトは絶対的に判断する事が苦手
①については、誰しもが納得すると思いますが、ヒトは極力楽したい生き物です。例えば、家電量販店に行って製品の性能について知りたい場合、自分でもネットで調べる事はできますよね。しかし、店員に製品の性能を聞いている自分がいると思います。それはなぜか。自分で調べるのが面倒くさい為ですよね(笑)その需要を汲み取って店員も存在している訳です。自分で調べるのが面倒くさい為、詳しい人から時間を買って相談しているのです。
②についてですが、日々クライアントとミーティングする中で頻繁にとある質問をされます。「〇〇について、一般的な見解を教えて頂けますか?」この質問を受けると、「出た(笑)」と思わず心の中で思ってしまうのですが、ヒトは一般論が大好きです。
一般論とは世間で広く認識されている論のことですよね。一般論にはどのような機能があるのか。簡単に言うと安心材のようなものです。自分の見解が本当に正しいか分からない為、一般的な見解をベンチマークとします。そして、そこから大きく外れていなかったら間違いないだろうという思考が働きます。つまり絶対的に物事を判断せず、一般論をベンチマークとした相対的判断になっているのです。
ヒトは自分の判断が本当に正しいか、それ単体で判断する事を嫌がります。その為、類似性・共通性の高いもの、広く認知されているもの、第三者の見解などを参考にします。コンサルタントの蓄積している知見を頼りに、一般的見解やコンサルタント個人としての見解があると、より安心して判断できるのです。
コンサルという職業は一見不要に感じますが、①②の通り、ヒトがヒトである限り、これからも永劫的に存在する職業だと思います。形に残らない知見を共有する事でお金を貰うというサービスが成り立っている事実からヒトの性質について考えてみました。
「ヒトの数だけコンサルタントは存在する」
この考え方は、あながち間違いではないと思っています。
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