誰でも映画を語って良い時代だけど、聞くに値する話はどれだけあるのだろうか
解説か、批評か、感想か、飛び交う映画話に溺れて考え込む。
キネマ旬報からスクリーンやロードショーまで、多くの人たちが映画雑誌を日常的に読んでいた時代があった。
映画ライターという肩書きの書き手はおらず、評論家、解説者たちの原稿を読んで育った。
それは作品選びのガイドというよりも、映画の見方を教えてくれるものが多かった。
三宅隆太の「これ、なんで劇場公開しなかったんですか?」を読んで、あの当時の感覚を思い出した。スクリプトドクターという職業を生かした興味深いテクニカルな分析が多く、とても時代にあった映画紹介でもある。
”見方”の幅を広げることの大切さを思い出した。
SNSでは誰もが自由に鑑賞した映画のレビューを発信できる。
「傑作だ!」と誰かが書く。
傑作とは傑出した作品であるから大ごとである。
ところが読んでみると「自分が観て面白くて感動した=私史上の傑作」という場合がある。
うーむ・・・映画雑誌盛んな時代に育ったものはついていけない。
レビューにおいて傑作と書かれていれば、それはこれまでの映画史や映像表現の進化と変遷を俯瞰したうえで、どこが傑出しているかを説明されないとなかなか納得に至らない。説明自体が個人の感動体験の説明だと、視野が狭すぎて腑に落ちない。
「自分が観て」の感想なら、「とても良かったです」で充分なのに。
近年は批評研究に関する本は多いし、最近のアカデミックな本は高いと思うならT・S・エリオットを例に出すまでもなく古典も文庫で安く手に入る。
レビューにおいて、感想か、批評かの線引きは大切にした方が良い。
そして映画のさまざまの見方を教えてくれる先人は多い。
映画を観る天才にして映画をわかりやすく語る達人だった淀川長治
淀川長治ことヨドチョーさんは、映画を一度見るとその作品のファーストカットからエンドまでのカットをそらんじて言えたという。
映画を観るために生まれてきた人だ。
評論家という肩書きもあるが、本人は解説者と名乗りたがったと聞いた。
映画の魅力を紹介する伝道師が自分の役割だったと考えていたようだ。
ヨドチョーさんは、テレビの洋画劇場の短い解説の時間で、その作品の見方をポンっとワンポイントで教えてくれる。
一つの場面をどう受け止めるか、その説明だけで作品全体が俯瞰できる。
その凄さったらない。
膨大な映画の知識の教養と、そこに対する自信がなけれな出来ないことだ。
残念ながら鬼籍に入られ、話を聞くことはできないが、残した本でその端緒にふれることはできる。
ヨドチョーさんの映画の見方は広く深く一言では語れないのだが、人間の面白さをつかまえ描いているかどうかを大切に考えていたことは伝わる。
人間のなにを発見し映像で映し出したのか。
とても読みやすく面白い映画解説のなかに、恐ろしく芯を食った批評が隠されている。
多くを語らずして的確に評する映画界の老師だった双葉十三郎
映画評論家であった双葉十三郎は2009年に99歳で亡くなられたが、高齢になっても試写室に通い、場があれば筆を振るった。
晩年はその文章を目にすることは少なく、健康上の理由なら致し方ないが、もし世代交代などというくだらない理由で、依頼が減っていたのならバカな話だ、しかし外からその理由はうかがい知れない。
なんせ昭和初期から気鋭の映画評論家として健筆をふるっていた人だ。
蓄積が違う。
映画の進化を同時代でずっと体験してきたことの価値は、後追いでいくら勉強しても手に入れられない。
双葉は映像表現においてモンタージュを重要視する。描きたいことをきちんとカットを組み立てて表現できているか。
双葉が「うまい」と書けば、それが達成されていると読者は理解し、作品を見て学ぶ。
作品の価値をあぶりだすのも、映画史の中に位置づけるのも的確である。
SNSで映画に関する文章を目にする機会が多い時代だからこそ、映画の歴史と真摯に向き合った人たちが、記録として残した文章にふれて、映画の見方を学ぶのは損なことではないと思う。
自戒を込めてね。