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再開。
久しぶりに書き始めるにあたり前の記事を読み返してみました。
記事の中で過去と未来を行ったり来たりしてるうちにすっかり50代に突入し、51歳はもう目前です。
ああもう折り返しに来てるんだなと
これからの10年をどう過ごしていくか。
大きなテーマを抱えながら過ごしています。
10代は自分とはなんぞやともがき
20代は自分探しに奔走して
30代は人生の確立のために日々働き
40代になって思い描いていた暮らしができるようになってきて
50代になり今までの人生を振り返りながらこれからを見つめている
人生って本当に早いんですね。
あんなに苦しかった10代、20代の頃の自分にもう少し深呼吸して落ち着いてって教えてあげたい。
周りにはそんなふうには見えなかったと思うけど。。。
意固地になりすぎるところがあり、いつも肩に力が入り、歯を食いしばっていたように思います。
自分がどうあるべきなのか、どうしたいのか、どう生きていけばいいのか毎日のように探していました。
いろんな職種にも挑戦したし、いろんな人とも出会ってきた中で熊本に戻りお店を始めたことでより一層、経験を重ねることが出来たし、さらに多くの人々と出会うことができました。
私にとってお店と歩んできた道のりは鍛錬するためのひとつのツールだったんだなあと感じています。
我が家の家系には商売人はいませんでしたが、姉が選んだ旦那さんは若い頃に起業した開拓の人。
義兄にはそういう意味でとても影響を受けましたし、ずっと尊敬しています。
自分のお店を持ち開業できるなんて勤めていた時には夢物語だと思っていましたが、26歳の秋頃に私が奮起するきっかけがやってきます。
それはまた今度お話ししたいと思います。
〜〜〜〜綴るアルバム〜〜〜〜
高校を卒業した私は一旦、職業訓練校のOAビジネス科に入り、なんとなくの生活を送っていました。
進学なのか就職なのかの選択を迫られた時に特に何も見出せぬまま、友人が美容師になると職業訓練校に進むことを決めたので私もついて行ったような曖昧な選び方でした。
しかしほんの2ヶ月ほどでその学校を辞めてしまいます。
天草に暮らす祖父にも相談せずに。
職業訓練校で習ったOAビジネス科の勉強内容に全く興味を持てず、なぜここを選んでしまったのか、安易に決めてしまった事に後ほど後悔したのでした。
友人も出来て学校生活は楽しかったものの、簿記という勉強には1mmもピンと来ない、行きたくない、辞めよう。。。
という若さゆえの単純で甘い考えの結果でした。
決める前に気づけよ!ってあの頃の自分に突っ込みたいくらいです 笑
祖父に伝えるべく辞めた理由を作らなければいけない。
そして働かねければならない。
初めて「自分のやりたいことってなんだろう」と考え出した時期だったかもしれません。
高校卒業する前に進路を真剣に考えてきめるべきだったのに、ワンテンポ遅い私は今かい!というタイミングで気付くのでしたw
求人誌を見て面接に向かった先は郊外にある、小さな雑貨屋さんでした。
店内にはオルゴールが流れていて所狭しと可愛い雑貨やフリルの施されたエプロン、造作されたカウンターの屋根にはガーデニング用の陶器の7人の小人が乗っていてとにかくメルヘンチック。
当時の私はそういう世界観が大好きで採用されて働くようになってからフリフリのスカートを履いたりエプロンをつけて雑貨屋での仕事を覚えていきました。
それからあらゆる「雑貨屋さん」というジャンルに興味が走り、いろんなお店を見て回るように。
そしてフリフリのお店を卒業し、当時街で人気のあった洗練された雑貨店へ勤め始めます。
祖父に働き出した経緯を知らせた時期は覚えてないのですが、祖父は怒ることはなく呆れて「あんたはもう・・・」と頭を抱えていました。
私が19歳の頃のことです。