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炊事班長 ③

邱 力萍チュウ リーピン


6.

 六月の真ん中あたりに、天気が急によくなってきた。
 梅雨らしくないじゃないかと周りの人が心配しているが、特に地震のような天変地異もなかった。
 今日、二時間の授業が終わると、学校は終わった。先生達は生徒を連れて、畑に行き、収獲のお手伝いをするんだって。
 私は「幼い」から、うちへ帰れと言われた。
 学校から帰る途中、お昼の休憩時間だけ放送するはずの社内放送が急に鳴り始めた。いつもの中央ニュースではなく、変なことを放送している。
「公社社員の皆様、緊急連絡があります。ただいま、十一歳の男の子を探しています。身長、百四十センチ、二重の目。首の後ろに黒子が一つあります。この男の子を見かけた方は、人民公社弁公室まで連れてきてください!お願い致します。繰り返します……」
 それは趙姉ちゃんの声だ。
 何かあっただろう!
 男の子?田舎の子が居なくなったら、こういう風に探すんだろうか。
 私は、電柱のてっぺんに付けられた黒いラッパのようなものを見あげて、ニュースを聞いた。そして、あたりを見まわして男の子の姿をさがした。
 私が見つけてあげたら、きっとみんなに褒められるかも!
 しかし、どう探しても、迷子らしい子は一人もいない。
 公社に戻ると、母さんはまだ戻ってきていない。食堂にはご飯が炊きあがっているところだ。厨房の入口に、きれいに洗って切ってある青菜は、大きな竹ざるに山盛りになっていた。お昼の時間になったら、それを炒めておかずを作るのだ。
 部屋は食堂に向いているのは悪いのか、日差しが遮られ、電気をつけてないといつも暗い。
 李班長もいない。
 私は部屋のドアの鍵をあけて中に入り、鞄を下ろした。そしてまた外に出て、放送室の前まで来た。
 とても気になる。
 誰か迷子になったんだろう……
 ドアに「放送中」の札が掛けられてあったが、私はそっとドアを開けた。
 ちょうど放送が済んだところだった。趙姉ちゃんがマイクのボタンをオフにし、入ってきたばかりの私に向って大きな声を出した。
「夕雨。お母さんはお昼に帰ってくるのが遅くなるわよ。お兄ちゃんがいなくなったの」
「え?兄ちゃんが?」
 兄ちゃんがいなくなったって、どういうこと?
 どこかへ遊びに行ったのかな~!
 ちゃんと父さんの話を聞き、いい子にしなさいって、母さんが何回も言い聞かせたのに。
「お兄ちゃんがこっちに向かった可能性もあるからと、父さんから電話があったの。今、お母さんは畑から戻ってきて、町中、探しに行っているわ」
 さっきの放送は兄ちゃんのことだったんだ。
 私は体中から汗が吹き出し、目も熱くなってきた。
「心配しないで、きっと見つかるから!」
 事件だ!うちのような普通の家庭には、めったにこんなことは起きない。こんなことがあると、ものすごく緊張して苦しくなる。
 私は李さんが弾丸が雨のように降り注ぐ中、敵を倒した姿を想像した。
 それより、うちのいまのことはまたちっぼけなもんだ。
「私も探しに行ってくる!」
 道に迷った兄ちゃんを連れて帰ってきたら、すごくカッコイイ!なかなか兄ちゃんに勝つ目のない私は、これで兄ちゃんより偉くなる。
 兄ちゃんは今、きっと泣いているだろう!
「行っちゃだめ。お母さんが言ってたよ。ここで待ってなさいって。夕雨まで迷子になったら、みんなはもっと困るんだから」
「大丈夫。学校まで行けるもん」
「絶対に行かないで、母さんの命令よ」
 命令!なんだ、つまらない!
「これから、お昼の放送があるから、あんたの相手をしてられないの。ごめんね。李班長のところに行って。お手伝いすることがあるかどうか聞いてごらん」
 私は追い出された。
 李班長はどこかへたばこを吸いに行っただろう。食事の支度の前は、李班長の息抜きの時間だ。
 
「え、兄ちゃん?」
 しばらく石段に座って待っていたら、兄ちゃんが李班長に引っ張られて、公社の入口の方からやって来た。
 兄ちゃんはやっぱり泣いていた。
 目に涙はなかったが、赤みがまだ残っていた。
「兄ちゃん!」
 私は飛びついた。
 兄ちゃんは私ほどうれしそうな顔を見せなかった。あたりを見回して
「母さんは?」と聞く。
「母さんはね、兄ちゃんを探しに行ったのよ」
 私を見ると、李班長は兄ちゃんの手を放して、
「ほら、ここにいなさい。もうどこにも行くじゃないよ」と足を引きずりながら、放送室に向った。
「公社社員のみなさま、緊急連絡です。先ほど探していた男の子が見つかりました。今、公社で保護されています。皆様のご協力、ありがとうございました」
 
「母さんがすぐ戻ってくるから、部屋で待っているんだよ」
放送室から戻ってきた李班長はそう言った後、自分の厨房に戻った。そしてすぐにまた戻ってきて
「これ、先に食べなさい!」と。
李班長の手の中の真白な万頭からは湯気がまだ立っていた。
 
「母さんと、一緒にこのベッドで寝ていたの?」
「うん!」
 私は
「これは布団、これはご飯を食べるときに使う食卓…」といろいろ兄ちゃんに教えてあげた。
 兄ちゃんはベッドに座り、手を擦りながら布団から離れなかった。
「そこに、ビスケットがあるよ」
 私は食卓の上にのぼり、壁の棚に置いた缶をおろしてきた。
「いらない!」
 兄ちゃんは手をつけなかった。
 意地を張っているのだ。
 しばらく兄ちゃんに会っていなかったから、私は嬉しかった。
「何でここに来たの?」
 私は兄ちゃんの隣に座り、足をベッドに上げた。
「お前には関係ない!」
 兄ちゃんはお客さんのように、じっと座ったままだった。
 
「一体どこまで行ったの?どうして一人でここに来たの?お父さんが心配しているでしょう!」
 母さんは、飛んで来たかのように「はあはあ」と荒い息をしている。その後ろに、公社の社長と党支部書記、趙姉ちゃんもついてきた。そして、暖かいおかずとご飯を持ってきてくれた李班長の姿も。
「バカッ!」
 差し出された母さんの手は、兄ちゃんを抱きしめると思いきや、彼の頬の上でさく裂した。
「もう十一歳だよ!いつまで母さんに心配をかけるの?」
 母さんの目に涙が……私はそっとドアを出て、石段に座った。誰も私のことを気にしなかった。
「李班長が買い物に行かなかったら、あなたを見つげることもできなかったのよ。あなたのせいで、父さんも仕事を休んで家のまわりを探しているし、母さんも仕事から戻らなきゃならなかった。しかも、公社のいろんな人に探してもらったのよ。一体あなた、何で、何も言わずに、一人でここまで来たの?」
 兄ちゃんは涙をボロボロと流し、何も言わなかった。声すら漏らさなかった。
 党支部書記が李班長から茶碗を受け取って、テーブルの上に置いた。
「もういいよ。見つかってなによりじゃないか!さぁ、ご飯を食べなさい。ほら、李班長が持ってきてくれたよ」
 趙姉ちゃんが、厨房からお箸を持ってきてくれた。
「みんなにあやまりなさい!」
 母さんはまだ気が済まないようだ。
「あなたは男の子でしょう!お兄ちゃんだし、親の苦労を知っていると思ってたわ。何でこんなことをするの?」
「僕……、僕だっていろいろなことがあったんだ」
 兄ちゃんの声は震えていて、水ぽかった。
「何があっても、我慢するの!母さんは仕事があるのを知っているでしょう!仕事をしながら、夕雨の面倒をみるだけで十分大変なのに、あなたまで!あっちには父さんがいるじゃないの!」
「父さんは聞いてくれないだもんー!」
 兄ちゃんが泣いた。兄ちゃんは私の前でこんなに弱気になったのは、初めてだ。
 李班長は首にかけていた汗で汚れたタオルを取って、兄ちゃんの顔を拭いてやった。
「先にご飯を食べなさい。何があったとしても…、…」
 李班長は、兄ちゃんを母さんから離して食卓に座らせた。
 
 兄ちゃんの話によると、最近外部の子が数人、敷地に入ってきたようだ。その子たちはいつも、兄ちゃんの学校の帰り道で遊んでいた。何も言わない兄ちゃんに、その子たちは最初乱暴な言葉を投げつけた。最近、それが激しくなって、兄ちゃんが何も反応しないと見ると、石までを投げるようになった。ケガをするほどはなかったから、父さんに言っても、学校の問題は学校の先生に解決してもらえと言われたらしい。父さんは毎日、仕事が忙しかったからだ。ついに、昨日兄ちゃんがその子たちに浅い池に落とされたのだった。
 父さんは夜遅く帰って来て、ご飯を食べてから、また夜の党員学習会議に出かけ行ってしまった。
 父さんに言う間もないし、言ってもしょうがないと兄ちゃんは思ったそうだ。
 そして、学校にはもう行きたくないと……
 母さんは目に涙を浮かべ、兄ちゃんをギュッと抱きしめた。
 私も心の中で兄ちゃんの手を握った。
「勇気を持って、強くなるのよ」
「どうやって?」
 かすれた兄ちゃんの声は、助けを求めていた。
「あなたはちっとも悪くない。何もしていないんだもの。悪いのはその子たち!先生に言わなかったの?」
「だって、先生はあいつらのことを知らないもん!」
 私はビスケットを取ったあの二人組を思い出した。
「一緒に学校に行こうか?でも、行ってあげたいけれど、ここで、母さんの代わりの仕事をする人はいないし……夕雨の体調が悪い時によく休みをもらっているから、また、明日も抜けるというわけには…」
 母さんはいろいろ考え、迷っていた。
「あなたは男の子だから、まず自分でやってみたらどう?先生と相談して、週末母さんが帰るまで待っててくれない?」
 母さんが仕事を休めないのはよく分かる。
 家の事情で特別扱いされるのがいやなのだ。
 今回も私のことで、大事なグループ研究から外され、一人でも仕事ができるここに来させられた。
 母さんは父さんと連絡を取って、夕食後兄ちゃんを連れて帰ることにした。
 兄ちゃんは帰らないと言い張る。一人で中庭に座り、落ち込んでいた。
 突然のことで兄ちゃんのご飯は用意できなかったから、私と母さんの分を三人で分けた。
 その後、李班長はお万頭をひとつとおコゲを持ってきてくれた。
 自分の分を分けってくれたんだ。
「一晩、泊らせなさい。かわいそうに!」
 李班長がそんなことを言うと思わなかった。母さんは首をふった。
「明日行く畑も決まっていて、この二日の間に桃の木の枝を切り取らなきゃならないの。冬が来る前にやっておかなくちゃ。この子は、今晩、帰すしかないのよ」
「仕事を大事にしているのはわかるが、私の考えが遅れたかもしれないが、革命というのは、何千万人は何十年もかけって成し遂げられることだ。わが子に手をかけてやれる時間は何年もない。しかも親しかできないことだ。明日、学校まで行ってあげなさい。書記に言って、私が休みを取ってあげるから」
 班長だからなのか、あの弾の中で敵を打ったからなのか、この公社の中で李さんに言い返せるものはいない。
 一番偉い社長も、書記も!
 兄ちゃんは力強い味方を得たかのように、母さんの顔を覗き込んだ。
「そうね……」
 母さんは兄ちゃんを見てほほ笑んだ。兄ちゃんも初めて笑顔を見せてくれた。
 今晩、狭い布団の中、三人で寝るんだ!
 
 次の朝、太陽がまた出ていないうちに、部屋のドアがノックされた。
「はい!」
 着かえしていた母さんが慌ててドアを開けると、ひんやりした空気の中、李班長が顔をのぞかせた。その手には、万頭を二つ持っていた。
「バスの中で食べなさい!」
 大根のお漬け物もつけてくれた。
「ありがとう!」
 母さんは兄ちゃんの着替えを手伝いながら、万頭をハンカチに包んだ。
 
「これも!」
 出発間際、李班長はまたやってきた。
 木の銃を兄ちゃんに持ってきたのだ。薪を割る刀で削ったものらしい。
「これ!持って行け。ゆうべ作ったんだ。まだ細かいところは仕上がってないが、父さんにやってもらいなさい。強くなれよ、坊や!」
 兄ちゃんはとても嬉しそうだった。目がきらきらと光っている。
 服のボタンをとめかけていた手で、大きな銃を大事そうに撫でた。
 銃の下部、弾を入れるところに、小さな三角形の赤い布が付けられていた。映画の中のヒーローが持っているものとそっくりだ。
「あいつらまだやってきたら、俺が行ってやる。そう言っておけ!」
 
 兄ちゃんが公社を出るときも、ずっと李班長に手を振っていた。
 
 
7.
 
 兄ちゃんが来てから二週間後、夏が本格的にやってきた。
 週末の夜、母さんと一緒にバスに乗って、家に帰ることができた。
 久しぶりに便座付きトイレに座ると、落ちる心配のないその安心感が、家に帰ってきたことを思い知らせてくれた。
 兄ちゃんは私を「田舎の子」と呼びながらも、外に遊びに行く時に私を連れて行ってくれた。
 兄ちゃんは、敷地に住んでいた子たちと戦争ごっこをするのだ。いつも「ちびだから」と仲間外れにされていた私は、初めて兄ちゃんの部下として扱われることになった。
「弾を作って、運べ!」
 兄ちゃんは古い新聞を長方形に小さく切り、私に手渡した。
 細長い紙を直角に二つ折、「⇒」のような形にし、それから、長い方から巻きつけて、最後の三角のところまでに行ったら、グッと二つ折にすれば出来上がる。
 結構大事な仕事なんだ。
 兄ちゃんは私たちのグループの一番偉い司令官だった。
 そして、手に、あの大きな木の銃を握っていた。
 赤い三角い布は、もうずいぶん汚れている。
 兄ちゃんは銃身の先端に、自分で釘を二つ打った。その釘のところに輪ゴムをかけて、私が折った弾を付け、強く引っ張れば、世界一の銃だ。
 久しぶり会えた兄ちゃんは本当に強くなったようだ。
 グループの四人を率いて、丘の前で地形を分析をしたり、攻撃作戦を考えたりしている。
 戦争ごっこが始まると、兄ちゃんはゴムに弾を掛け、思いきりひっぱって敵に向ける。手を離すと、弾は勢いよく飛んで行った。
「私たちの弾は一番遠く飛ぶね」
 私は兄ちゃんに小さく声をかけた。
「しー」
 口に指をあてた兄ちゃんは、目を見開き、顔は真剣のそのものだ。
 相手のグループの弾もよく飛んでくる。
 それを避けて、私たちは敷地の道を走り、近くの幼稚園まで行った。
 誰もいない日曜日、幼稚園の建物の周りには、白いレースフラワーが群になって、咲き乱れていた。
 私は兄ちゃんについて、隠れながら、弾を作りつづけた。
「隠れろ」
 木の元に隠れていたつもりの私は、弾作りに夢中になって、お尻を思わず外にだしてしまった。兄ちゃんは私のお尻を軽く蹴りつけ、妹をかばうように外側に立った。
 そんな時間もたたないうちに、私たちのグループの一人が「死んだ」ことになって、一人が「負傷」、一人が「逮捕」されて「スパイ」になった。
「もう白い旗をあげて、投降しろ」
 相手の司令官は遠くで叫んだ。
「われわれ、まだ三人もいる!」
 兄ちゃんも叫んだ。「負傷」した子を抱え、私に指令を出して、隠れ場所を移った。私たちは建物の床下に隠れた。
「お前らはここにいろ!俺が戦ってくるから」
 兄ちゃんは私からポケットいっぱいの弾を受け取り、腰を曲げて「敵」の後ろに回って行った。
 
「わー」
「わー」
「敵」が「死んだ」声がした。
 私たちのグループが勝った。
 スパイも逮捕した。
「ごめんなさい!許してくれ」
 スパイ役の子は命乞をする。
 ここで兄ちゃんは銃を持ち出し、スパイを殺す予定だった。
 私はそんなカッコイイ兄ちゃんを期待している。
 しかし、うちの兄ちゃんは今、私の期待以上の大物になっていた。
「お前を釈放する」
 兄ちゃんは彼を縛る細い縫い紐を解いた。
「え?」
 死ぬ演技をしようとしていた子は不可解な顔をし、次はどうすればいいかとかえって戸惑っている。
「お前を信じて、もう一回チャンスを与えてやる」
 兄ちゃんはあの子をあらためて自分の部下にした。
 
「お前、本当に三国志の中の、項羽見たいカッコイイだな!」
 相手の司令官にも褒められた。
「しかも、銃のも百発百中だ」
 もう一人の敵も、感心したようにうなる。
「だって、本物のヒーローに教えてもらったんだ」
 兄ちゃんは目を細めて木の銃を太陽の光にかざし、じっと見つめてから大事そうに腰に巻き付けたベルトに差し込んだ。
「本物のヒーロー?そんな人がいるの?嘘だろう?」
 みんな信じてくれないようだ。
「これを見てろよ」
 兄ちゃんが腰を回して、その銃をみんなに見せた。
「その人が作ってくれたんだ。彼は本当に戦争中、弾の中で仲間を助けたんだ。そして、一本の足を失い、片眼は見えなくなった」
「本当にいるんだー」
 半信半疑の面持ちで、周りの子たちはざわざわと声を上げた。
「信じられないなら、妹に聞いてくれ!」
 兄ちゃんは銃を構えると、再び走り出した。
 
「李班長の話は私が兄ちゃんに教えてあげたのに」
 のどまで出てきたこの真実の話をとうとうみんなの前で話せなかった。だってそんなことまで話したら、兄ちゃんに除名されるもの!
 
 兄ちゃんが家出した翌日、兄ちゃんを送り届けた母さんは、やはり仕事を休んだ父さんと一緒に、学校へ行った。先生と相談して、兄ちゃんを池に落とした子たちを割り出した。
 隣町の小学校に通う同じ五年生の子だ。その子達の家まで行き、親にこれからは絶対やらないと約束してもらった。
「その子、自分のお母さんにすごく怒られた。殴られたんだ」
 兄ちゃんがそのときの話を教えてくれた。
「あの子たちがあんなに泣くなんて思わなかった」
 あの子たちが悪かったが、お母さんはきちんとした人だったらしい。
 母さんと父さんが対処してくれなければ、きっとそこまで知ることができなかっただろう。
 よかったね。兄ちゃん。
 
 家にいる時間はあっというま終わってしまった。
 母さんは布団しか干せなかったと嘆いた。
 夜、兄ちゃんの誕生日祝いをすることになり、母さんは肉スープを作り、そうめんをゆでて入れた。
 そして、兄ちゃんのお茶碗に玉子を二つも落としていれた。
「次、私の誕生日の時も玉子は二つだよ!」
 
 次の朝、次回帰ってくるまでの服やら食品やらを抱えて、迎えに来てくれたトラックに乗って公社へと帰った。
 家から出るとき、母さんは父さんの机の引き出しから新しいたばこを一箱こっそりとぬきだし、荷物の中を隠した。
「父さんに内緒よ」
 母さんは指を口に当てて笑った。
 二十本入りの「中華牌」。フィルター付きの煙草だ。一箱を買うために、供給券を随分使わなきゃいけない貴重なものだ。
 
「俺は買わないと言ったら、買わない!」
 公社に入った途端、書記の部屋から、李班長の声が聞こえてきた。
「喧嘩?」
 いつも笑顔で温厚な書記は、李班長と何かあったの?
 母さんは心配そうに、窓の下で私と一緒に聞き耳を立てた。
「上の人間が来た度に、魚や、肉を余分に出せと言うが、肉の配給量は決まってるんだ。毎月一人当たり250グラムもない。普通の職員の分はどんどん減らされるんだぞ。これは不公平だ」
「しょうがないじゃないかー!」
 書記の声だ。
「上の人達が視察しに来たら、楽しみの一つ作ってあげなきゃ!われわれの公社には、何も土産になるものがない。食事ぐらい豪華にしてやって上の人を満足させれば、資金やら、支援やら、いろいろ融通してくれるだろう!こんな簡単な計算もできないのか?」
「ダメと言ったらダメだ。皆平等なんだから。今は国が貧困な時期だ。みんなで耐えなきゃいかん。一人でも特別あつかいはだめだ」
 またか!李班長の話を聞いて、母さんは笑いながら私の手をギュッと握った。
「もし、どうしても肉をだすのなら、俺を炊事員なんてやめてやる!」
 え?李班長はどうするつもり?
「おいおい、そんなことを言うなよ!ここは君の最後の勤務場所だろう。ここをやめて、どこに行くつもりだ?君の家族が送金を待っているのを忘れるなよ!」
 だから李班長は、いつも同じ服しか着ていないのか。
 書記は机を叩いて
「みんな生きるために我慢しなきゃいけないことがある。君も、俺も!」
「それとは別だ。自分の信念を曲げていたら、俺はあいつらより早く県長になったはずだ!俺には怖いものがない。やらないと言ったらやらない。本当の共産党員なら、ささいな厚遇など気にするはずがない」
 趙姉ちゃんが向こうから手を振りながら、こっちに向って来た。
「李班長は、また同じことにこだわっているの?あーあ、もう少し性格がよかったら、どんな高い地位にでも就けたのにねえ」
 趙お姉ちゃんは李班長を待てず、自分で厨房から魔法瓶にお湯を入れてきた。
「まあ、彼みたいな人がいるから、この社会主義が存続しているのかも!」
 母さんは趙姉ちゃんの肩を叩くと、荷物を持ち直して私たちの部屋へ向った。
 
「あの……」
 夕方、誰もいない時に、母さんが私と一緒に李班長のいる厨房に行った。
「これを試してみて」
 母さんが差し出したのはあのケース入りの煙草だった。真っ赤なケースに中国人民共和国を体表する記念碑が描かれてあった。その煙草のブランド名は絵の通り―「中華牌」だ。
「え?」
 李班長は両手を汚れたエプロンで擦り、なかなか煙草を受け取ってくれない。
「そんな高いものは、俺には合わん!それはお前ら知識分子のものだ」
「みんな同じよ。知識分子も農民も!李班長はそう言ったじゃないの」
 母さんは無理やり李班長のエプロンのポケットに入れた。
「フィルターが付いているので、味が少し違うかも!一箱だけで恥ずかしいけど」
「いや……」
 李班長はポケットの中の硬い箱に手を掛けて、それを母さんに返そうかと迷っていた。
「お陰さまで、息子が元気になったのよ。今回、家に帰って安心したわ。久しぶり、仕事に集中できるような気がする」
「それは、それは……国のために身を捧げるのは立派だが、こどもはべつだ。巻き添えにする必要はないよ!」
 李班長の片方の目から、温かい視線が私に向けられた。
 数週間後、煙草の中身がなくなっても、その箱はずっと李班長のポケットに収まっていた。
「珍しいからね」
 母さんが嬉しそうに教えてくれた。
(おわり)
 
 

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