サボりの美学と小さなハードル

こんばんは。田中柚月です。また日が空いてしまいましたね笑


緊急事態宣言が解除され、今日は久しぶりの対面授業がありました。教室に来て授業を受ける。学生として当たり前の行為ですが、「これだ!」って感じが凄くありました笑

大学院はそもそも授業がかなり少ないんですが、それでも4月からはずっとZOOMやTeamsを使った授業ばかりでなんか身が入らない感じがありました。でも対面授業を受けてみるとやっぱりなんか良かったですね。まあ私は不真面目なので良いといっても観点が違いますが笑

遠隔授業だと基本カメラオフのミュートです。つまり裏でなにやってようがバレません。そんなだとサボりがいがないわけです。絶対安置からポチポチやってても達成感がないというか。前にゲームの記事で書いたかと思いますがチート使って好き勝手っていうのは全然面白くないです。

それに対して対面授業。いかに周囲の目を盗んで内職をするかどうか。

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今日の授業中の成果です。一枚目はUSBと筆箱についているジッパーの持つとこ。二枚目は二つ前の席に座っていた人です。

いつもならサボりで絵を描いたりしないんですが、今日はちょっとした考えがありました。

僕は今色々やりたい事があります。ですがどれも長続きしていない。それは何故か考えた結果、日常レベルに落とし込めていないからだと思いました。やりたい事達はまだ「時間が空いた時にできる非日常」にあります。だから中々習慣がつかない。

サボりの僕は生活においてある程度の期間クズみたいな生活が続くと、それを脱出しようと完璧な生活習慣をやろうとします。例えば毎朝走るとか。毎日一枚イラストを描くとか。

でもそれらは理論上できるっていうだけで実際にはできません。その時の気分で建てた計画ほど脆いものはない。

過去の経験を踏まえて今回はかなりハードルを低くしてみました。いつも描くみたいな人物画じゃなくていいからとにかくなんか描く。それが当たり前になるまで。その他の趣味達も同様です。めちゃくちゃ低いハードルを越えまくる。僕はいきなり努力をガンガン始められるような人間じゃないので自分にあったやり方を極めます。

なんでできないんだろう。やりたい事なのにできないのはホントはそんなに好きじゃないんじゃないか。できない自分はダメだ。って考えるんじゃなくてこんな自分が続けられるためにはどう工夫すべきか?っていう考え方が大切なのかな。

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