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野球紀行/ナゴヤ球場は今 ~ナゴヤ球場~

 良く晴れた爽やかな五月の名古屋。野球観戦が雨にたたられる事が多い雨男としては、この爽やかな天気は格別だ。たまにはこういう事もないと。
 先発はドラゴンズが今中、ホークスは渡辺。なんで五月にドラゴンズとホークスが?そう、ウエスタンリーグの公式戦。場所はナゴヤドームではなくナゴヤ球場。初めてのナゴヤ球場での野球観戦だ。
 ナゴヤ球場はずっと中日ドラゴンズの本拠地だった。ドラゴンズはセ・リーグのチームだから、ナゴヤ球場がテレビに映されるのは日常で、その内観については僕も知識としてはよく知っていた。また中継されるのが基本的に巨人戦だからいつも盛況で、ナゴヤ球場は周辺も含め「賑やかな場所」というイメージが僕にはあった。
 ナゴヤ球場を初めて生で見たのは、中学生の修学旅行の、新幹線の中からだった。ナゴヤ球場は「新幹線から見える」事で有名だったため、電車がナゴヤ球場に近づくと、誰かが「もうすぐナゴヤ球場だぞ」と言い出す。そして男子はにわかに色めきたち(女子は無頓着)、電車が球場の前を通過する一瞬、僕らは窓にへばりつく。ただ野球場がそこにあるだけの風景が、いつもテレビで見る熱戦の様子を脳裏に投影するのである。

ファームの試合ながら軽い行列ができる盛況。

 それから十ン年、実際に訪れたナゴヤ球場は、それをとりまく空気と合わせ、静かな佇まいだった。周りは遊園地などではなく、住宅や公園や、町工場が並び、むしろ川崎球場の雰囲気に近いものがあった。ナゴヤドームにとって代わられてから、静けさも度合いを深め、ナゴヤドームに慣れ、久々に訪れたという人などは「こんな淋しい場所だったかな」などと思ったかもしれない。
 ナゴヤ球場もまた、熱戦の表舞台から去った。「君も川崎球場の仲間入りだな」と思念波(笑)を使って問いかけると、「おりゃまだ現役だぎゃ」(名古屋弁正しい?)と一喝された。そう、ゴールデンウイークの真っ最中、皆、他にやる事はあるだろうに、正面の券売り場には長蛇の列が出来、ジャイアンツ球場くらいのキャパシティだったら溢れていたであろう観衆が、このファームの試合に詰め掛けたのである。
 その土地の野球ファンの「濃さ」を測る目安の一つに、ファームの試合がどれだけ観られているかというのがある。そのセンでいくと、名古屋は十分「濃い」街だし、ファーム専用として生き残れるナゴヤ球場は幸せだと思う。時には今日のようにエース今中慎二の調整登板が観られるのだから。
 今中は僕の好きな投手の一人で、今日偶然にも生で観れた事は幸運と言える。彼のカーブは無形文化財に指定してもいい位だと思っているが、球そのものは良くなかったようで、4回を5失点。が、球に力はなくても彼のタイミングのはずし方の絶妙さは、コントにさえ通じるものがある。

球場名物味付けタコ焼き。味付けなのでソースなし。食べたのは初めてだったが、何となく昔から名物だったような味。

 その今中から二回、最初に点をもぎとったのは去年までファイターズにいた小川皓市。彼だけでなくドラゴンズには安田秀之もスタメンに名を連ねており、二回に反撃のタイムリーを放った。そればかりではなく、八回には島崎毅が登板、彼もニエベスを見送り三振、坊西を遊ゴロ、小川との元同僚対決は投ゴロに仕留め、九回も被安打1の0点に抑える活躍を見せた。他にも見慣れた選手や知ってる選手が特にドラゴンズに多く、南渕、種田、仁平...あまり自分が「よそ者」という感じがしないが、四回裏に今中の代打で原田が登場すると、なぜかスタンドが沸いた。やっぱり自分の知らない選手の登場に沸くシーンがないと、旅をしている気がしない。
 旅の実感と言えば、その土地ならではの「名物」で、僕は昔から数ある球場名物の中で最も興味があった「どてめし」に期待していたのだが、売っていなかったのは残念。が、その代わりタコヤキと串カツは人気で、名物らしく味わった。赤だし、どて煮など、元々東海地方の食べ物は好きなのだが、食文化が関東に近いからだろうか。また、古めかしい球場というのはやはり食べ物が美味いという認識が僕にはある。これは、山で食べるものは何でも美味いという心理に似ているかもしれない。適当にうらぶれた空間というのは、しばし精神を日常から隔離してくれる。精神が切り替われば、五感に変化があっても不思議はない。そこで何かを食べることは、その空間を自分の一部にすることでもある。

昔ながらの野球場という感じである。

 心とお腹をナゴヤ球場で満たすと、伸びがしたくなった。伸びをすると、周りの建物があまり視界に入らない事に気付く。周囲の景観も、そこで育つ選手も、目まぐるしく変わっていく中で、この球場で泣き笑いを繰り返してきた人々は、ずっと変わらない空を見てきた。もっともこの球場は、一度大きな火災に遭って変化しているのだが、新しい芽は、そんな事は知る由もなくその土を踏み台にして育っていく。
 両軍で僕が注目しているのは、ドラゴンズは昨年ドラフト6位の高橋光信。ホークスは今年のドラフト1位ルーキー、東北福祉大のエースだった松修康。この2人が登場。初めてのウエスタンリーグで、今日は見たい選手のオンパレードである。
 高橋は五回に同点タイムリーを放ち、その前には特大ファールで長打力をアピールするなどいい働きをしたが、松の方は六回に二死一、二塁で登場。しかしいきなりショーゴーに勝ち越しタイムリーを許し、七回にはサード吉本のエラーで一死一、三塁のピンチを招くと降板。ホークスは6エラーが痛かった。

ファームにしてはなかなかの入り。

 試合は6-5でドラゴンズ勝利。内容はともかくこういう1点差ゲームだと、特にフーリガン的と噂に聞いたナゴヤのドラゴンズファンはさぞエキサイトするだろうと思いきや、意外なほど静かなスタンドだ。ヤジ将軍もいない。爽やかな五月の空である。ここにいると時代の流れが止まったように思えてくる。しかしビールの売り子とファンの会話を聞いていると現実に引き戻される。
 彼はこの後すぐナゴヤドームでの巨人戦に移動し、ビールを売るのだそうだ。そう、この空が翳ると、空のない「今の野球」という現実に戻っていく。今日は巨人戦だから忙しくなるという。野球場に屋根があろうとなかろうと、そんな事に関係無く、彼は一杯でも多くのビールを売るべく動き回る。その姿もまた変わらぬものの一つである。過去と現在が一つの空間で交錯する。僕は「ドームは必要だ」と一応は思っているのだが、野球空間を包むのにこの空はあまりにも甘美で、どんな強靭な屋根にも代えがたい。どんな強打者でも無限に打球を飛ばす事はできない。だから屋根があってもそれは不合理ではない。だが、無限の空間が開放されているからこそ夢を見る事もできる。野球は、プレイヤーとギャラリーの、精神においては無限の空間を必要とする希な競技なのである。
 ところで、今までテレビで見たナゴヤ球場では、ポール際にまで注意して見てなかったのでわからないが、実際に行ってみるとポールから10mくらいまで、フェンスがファールラインと平行になっている。後からグランドを拡張した球場はみなこんな感じなのだが、特にそれで広いとは感じなかった。はて、ナゴヤ球場は昔からそうなのか、それとも外野が拡張されたのか、どうも気になるので、ご存知の方、一報を。(1999.5)

売店。今日は営業しているのはここだけ。「どてめし」もここで売っていたんだろうか。

[追記]
 ナゴヤ球場が両翼100m、中堅122mに拡張されたのは1999年の事なので、この時は既に拡張されている筈である。フェンスの高さも4.8mになっている。
 現在のナゴヤ球場はグラウンドを残してすべてが変わっており、昔の面影はない。かっての本拠地が二軍の本拠地として現在も使われ続けている例は他にない。


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