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【ヤクルト】青木宣親が語った引退決断の理由「自分の思ったようなパフォーマンスが見せられなくなった」

 ヤクルト・青木宣親が13日、都内の球団事務所で引退会見を行った。グレーのスーツに茶色のネクタイを締めて登場。決断の理由を問われると、「一番は自分の思ったようなパフォーマンスがファンに見せられなくなった」と語った。

 21年間、身近な存在が原動力となった。「家族の支えは大きかった。妻には早い段階で伝えました。娘、息子は本当に最近伝えました。(子どもたちは)泣いてましたね。プレーをいつまでも見ていたかったと思う。子どもに伝えるのが一番つらかった」と、言葉を紡いだ。

 若手の台頭もあり、今季は61試合の出場で打率1割9分2厘、0本塁打、9打点の成績にとどまっていた。宮崎で自主トレを共にする村上は3冠王を取るまでに上り詰め、長岡は不動の遊撃手に成長し、丸山和は自己最多90試合に出場するまでになった。今後のチームを担う後輩たちが頼もしく育ってきたことも、自身が後進に道を譲る後押しとなった。

 早大から2004年ドラフト4位で入団。05、10年と2度のシーズン200安打はプロ野球記録。首位打者を3度獲得し、05年は新人王に輝いた。

 11年オフにポスティング制度でブルワーズと2年契約。WBCには3度出場し2度の世界一に貢献した。17年にアストロズで日米通算2000安打を達成するなど、華々しい成績を残した。
 たゆまぬ努力で、日米通算では歴代5位、現役最多2723安打を積み上げたミスタースワローズは「幸せな野球人生でした」。ファンから愛された背番号23が、21年間を過ごしたプロ野球生活に別れを告げた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/37417a46bfc4e52f46a13116ea9ddb4be92cc23d

 私がヤクルトファンになったのが、青木が大ブレイクした2005年の次のシーズンからだったので、良い時にファンになれたなという感じで、青木が打ちまくるヒットというものが自分にとってスワローズの一番のエポックだった。イチローの再来だ、と割と本気で思った。

 そんな彼がついに引退。「一人のスター選手のブレイクから引退。つまりひと時代分ファンを続けたんだな」という実感が沸く。弱い時も「青木がいるチーム」というのが何となく支えだった。

 スワローズが育て、スワローズがメジャーに送り出し、スワローズが受け入れ、スワローズが引退を看取る、正にフランチャイズプレイヤー。しかし良くなかった時の事もよく覚えている。

 クリーンアップに置かれた時は上手くいかず、失敗だった。また、やたらチャンスで打てない事も浮き彫りになった。

 それもやはり「他にいないから」というチーム事情から三番四番を打たされたからで、その結果ひとりで全てをしょい込むような形になってしまったのだと思う。出塁率や打率、率を残せる打者が一人でも多くいる打線が強い。やはり打線は「線」なのだと、今の村上を見ても思う。

 中軸が無理であると悟ると同時に「史上最強の一番打者」である事も再認識した。叩きつけた勢いのないゴロが三塁へ。脚でセーフ(こういう芸当は塩見にはできない)。スワローズが突破口を開く合図だった。全盛期の青木と村上がいたら、と思う。

 将来スワローズの監督になるかどうかは、来年コーチになるかどうかがひとつの目安という気がするが、どっちでも良い。最強の一番打者だった青木にそれ以上の事は望まない。長い間ありがとう、お疲れさま。


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