【西武】来季ヘッドに鳥越裕介氏招聘へ、若手指導に定評「西口-鳥越」体制で再建目指す
まず西口二軍監督が監督に昇格した事について何か書くべきなのだろうが、それはある程度予想されていた事で、このニュースの方がインパクトが強い。良いインパクトなのか悪いインパクトなのかは何とも言えない。
あえて悪い方のニュアンスで書くと、西口新監督にヘッドコーチを選ぶ権限すらない(と受け取れる)事に危惧を覚える。ヘッドコーチは「有能」に越したことはないが、大事なのは「監督とうまくやれる事」だと思うからだ。
こういう事を言うと必ず「監督に意見できる人が必要」「イエスマンではダメ」という意見にかき消されるのだけど、監督とヘッドが違う事を言いだすという前提で人事を考える事自体がすでに間違っている。
監督が間違った判断をする事を前提としているのならまず監督の人選を見直すべきだし、ヘッドが監督に反旗を翻す事を前提としているならヘッドの人選も見直すべきなのだ。
チームとして成功か失敗かという話なら、監督とヘッドが間違った考えで一致したら失敗する。監督とヘッドのどちらかが正しくてもどちらかが間違って対立するようならやっぱり失敗する可能性が高い。監督とヘッドが正しい考えで一致してはじめて成功する可能性が出て来る。
多くの人はその人が「有能」かどうかという事にしか興味を持たない。有能な人と有能な人が組んだら超有能で無敵、と算数のように考える。だけど人間のやる事だからそんなに単純にはいかない。
有能な指導者を招聘した筈なのにうまくいかなかった、という事がよくあるが、よほど選手がダメなのかと言うとそうではなく、結局人間関係なのだと思う。前提として、正しかろうが間違っていようが、チームを指揮する監督とヘッドが違う事を言いだしたらチームは混乱し迷走する。
古参のヤクルトファンが今も夢見る野村監督時代を思い出せばわかるが、当時のヤクルトは野村監督という有能な指揮官の周りを正に「イエスマン」が固めていたのだった。必要なのは有能な指揮官とその考えを忠実に実践する、言葉は悪いが「イエスマン」なのだ。
だからこそ「ヘッドの人選」だけは監督に任せるべきだと思うのだが、球団があてがったヘッドと果たして上手くやれるのだろうか。
良い方のニュアンスで書くなら、鳥越ヘッド(仮)はコーチとして実績のある人物で、西口新監督も指導者として成果を挙げてきた人だ。この2人が力を合わせてチームを再建に導くことを望むし、期待もしている。結果が出れば、監督に組閣の権限がない事などは大した問題ではなくなる。