野球紀行/賢治と野球 ~花巻球場~
午前9時、小雨がパラつく花巻球場。入口でパンフを売る部員。「おはようございます」と体育会風な挨拶。「おはようございます、パンフください」と僕。「500円です」隣の部員が「高えよ」。
高いというのは、「地方の大学野球のパンフが500円」という事に対してという事になるが、どこかに自虐的な意識があるのだろうか。それともテレ隠しのようなものか。
野球者として、花巻に興味を持ったのは、数年前に出た『日本の名随筆-野球』という、日本を代表する文学者の、野球にまつわる随筆集の最初にあった宮沢賢治の「芝生」という詩がキッカケだった(個人的には寺山修司のエッセイが出色)。
小田中というのは、賢治の教え子の名前らしい。詩は芝生の上でのキャッチボールという光景を描写している。作中に野球という言葉は一つもない。野球という言葉が出てこないのは、この随筆集の中でこの詩だけである。
とにかく、賢治の作品が入っているという事は、賢治と野球は深い関係があるのだと思わずにはいられない。関係があったらどうなのかというと、何となく嬉しいのだ。なぜなら賢治作品の中の風景には、野球がよく似合うように思えるから。
しかし賢治の作品に、野球が描写されている個所というものを寡聞にして知らない。この詩同様、野球と近そうで近くない。花巻には、賢治と野球を結びつける何かがあるのではないか。
今年は週末になると雨というパターン。予報も「曇り→雨」。せめて午前中はもって欲しい。小雨の中、まだ寒い4月の花巻。リーグ戦は昨日開幕したばかり。雨にけぶる野に『風の又三郎』の、嘉助が馬を追って迷い込んだ霧の中の趣を感じようとしてみる。嘉助はその後、空を飛ぶ又三郎の姿を見るが、僕も、都会の大学野球では決して見れないものを見る。
三塁側内野スタンド前に整列する八戸工大ナイン。無人のスタンド(ほんとに無人)に向かって「応援、よろしくお願いします!」。
この捨て身のギャグ。グスコーブドリのような自己犠牲の精神が僕の心を掴んだ。ただ、相手の八戸大側のスタンドも無人に近かったので、ギャグのキレが鈍ったのが惜しい。
八戸大といえば、大学野球界ではかなり名が知られてきた存在。プロ注目の石川賢(04年中日)、川島亮(04年ヤクルト)を擁する。500円のパンフには、もちろんメンバー表はあるものの、背番号が表記されていない。だから名前がわからないのだが、八戸工大は21番、八戸大は19番が先発。どちらも右の正統派だ。
ボールが八戸工大三番打者の肘をかすった。「いてて」とアピール。こういうのは地方の大らかさと解釈するべきだろうか。何にしても、あまり八戸工大が勝てそうな気がしなかった。その裏、いきなり満塁のピンチも、後続を内野フライに。その直前、投手が治療を。どこか悪いのだろうか。どこかコミカルながら、根はシリアス?僕の中ではそんなキャラになりつつある八戸工大だった。
二回には得点のチャンスさえ掴む。五番の背番号1がヒットで、一死の後七番背番号14レフト前ヒット。好返球で1は本塁憤死。いつも言っているが、クロスプレーは野球の華だ。ギャグをやっても、当たり前だが野球はしっかりできる。それが何となく嬉しい。「バッターでいいぞ!」と声をかける内野。その通り背番号39とはバッター勝負で一ゴロに。こういうのを見ると、やはり八戸大の格上の余裕というか、そういうものを見せられているような。
八戸工大の21番もなかなか頑張る。しかし八戸大の19番はフォークを披露。ラストバッターは当然三振。スピードも出てきた。四月の雨の花巻は寒い。さすがに早く試合が進行する事を望む。「打順は一番に返ります」と親切なアナウンス。でも、それよりもパンフのメンバー表に背番号を入れてくれ。
即席八戸工大ファンとなった僕は、実はこの寒さに乗じて試合に番狂わせが、などと淡い期待を寄せていた。実は野球と賢治の接点を見出す事は既に諦めており、この寒さを吹き飛ばす、痛快な下克上ドラマに関心が移っていた。やっぱり野球は賢治よりも大衆小説である。しかし工大の得点は七回表の1点のみ。それまでに9点を失う事になる。
投手は21番から15番に交代。もう少し投げて欲しかったが、さっきの治療と関係があるのだろうか。15番はスピードがいまいち。いきなり2球目を八番の背番号29に右中間二塁打に。この試合初の長打。その後バント、ヒットとこれ以上ないオーソドックスな形で1点。捕手も18番に交代するが状況変わらず。この回4点で0-5。
雨の中グラウンド整備。僕も寒さには強い方だが、選手達は少なくとも見た目には平然とやっている。地元の人間にとっては当たり前の気候のようだ。考えてみれば、この試合途中での、トンボを使ったグラウンド整備は野球独自のもので、特に今日のような静かな日では、そんな地味な作業が特別な尊厳性を湛えているようにも見える。平板な表現をするなら「絵になっている」。何か、名画を観ているような。
後で知った事だが、賢治は運動が苦手で、スポーツ全般に縁がなかったという。僕がありもしない賢治と野球の関連性を見つけようとしたのは、野球特有の芸術性というか文学性に関係があったのだ。
ところが試合は大衆小説の趣すら奪おうとする。六回、プロ注目の石川賢(04年中日)が出てきてしまった。つまり試合は事実上決まった。投球はもちろん危なげない。特に彼の独断場であろうリーグ戦という場では、尚更欠点がないように見える。八戸大は着々と加点。
「第二試合の代表者はメンバー表を持って」とアナウンスが。この雨で第二試合をやるのか(結局中止になったのだが)。それも驚きだが、石川から工大が何と1点をもぎ取ったのも驚きだった(ちなみに工大は02年秋3勝6敗1分で5位)。四番、五番の連打によるもの。四番は初球を打ってライト前だった。大喜びの工大ベンチ。無人の応援席もきっと盛り上がっている。しかし後が連続三振。最後の打者は代打も外の速球に手が出ず、あえなく三振、コールド負け。02年秋の工大も八戸大にコールドで2敗しているが、スコアは0-11と0-9。今日は1-9だから、進歩しているのだ。なるほど八戸大から得点するのが嬉しいのがよくわかる。東京からやって来た身としては、とにかく雨の中最後まで試合をし、成立させてくれてありがとうという感じだ。
工大の1点。この1点が、花巻までやって来た「甲斐」と言って良い。賢治と野球の関係はおろか、花巻球場にさえ賢治に因むものは見つけられなかった僕にとっては。
しかし「芝生」という詩が、随筆集のトップに選ばれている。野球という言葉が一切出てこない詩が。賢治は野球とはあまり関係がなかった。そんな彼が野球などとは距離を置いたまま、何気に見ていた球遊びの光景を記した一遍の詩が、野球を愛でる人々の心を捉えたのである。賢治は野球をとりまく全てとは関係がある。そうでなければ、飛び交うボールを「光の標本」などとは表せない。(2003.4)
[追記]
JR東日本が発行する『トランヴェール』2022年6月号で北東北の高校野球を特集していて、その中で宮沢賢治と野球の関わりについて触れていた記事によると、賢治が盛岡中学校の寄宿舎にいた頃、同室で仲が良かった先輩の藤原健次郎が野球部で活躍していたらしい。その藤原が16歳で亡くなった事を悲しんだ賢治のメモに「野球」という言葉が記されていた。
たぶん大谷の活躍をきっかけに花巻つながりで宮沢賢治と野球を結び付けたかったのだろうが、編集の方も賢治と野球の、つながりの曖昧さに煮え切らなさを感じたのではないだろうか。