ヤクルト入閣見込みのBC埼玉・由規 引退会見「やりきった。悔いはない」 古巣で投手部門新コーチに
スワローズと言う球団の、大きな罪のひとつが、彼をエースとして大成させられなかった事だろう。
独立リーグでの彼のピッチングを観ては、なかなか球が来ているな、とポジティブになっては、でもNPBでは通用しないんだな、とネガティブになったり、色々想いを巡らせたりした。年齢的にチームでは若い投手から教えを乞われる立場。あるインタビューでは「この子には何をどう教えたら良いか」と常に考えると答えていた。
この言葉から、コーチ業に興味を持っている事はわかるので、今回のコーチ就任にはおめでとう、と思う。
「この子には何をどう教えたら良いか」を前提として考えられる由規は、良いコーチとなる精神的な資質はあるのだと思う。対照的に、ダメなコーチは自分の成功体験を唯一の正解とし、現場を混乱させる。
にもかかわらず、現役時代大成できなかった選手がコーチに就任となると、やっかみもあるのだろうが必ずケチをつけてくる者がいる。「何を教えられるんだ」と。
コーチは「コーチ」という職業であって、選手の余芸ではないし、現役時代の栄光を誇示するステータスの類でもない。コーチになるための勉強をし、経験を積む。自分の中にないものも吸収し、アウトプットできるようにならないといけない。しかし彼らの主張を正とするなら、「自分の中にあるもの」だけがすべてであり、勉強は無意味で経験は不要という事になる。「人にモノを教える」経験がないのか、高所から持論をぶつ事で教えた気になっているのか。
競技や組織によっては、コーチになるにはライセンスが必要なのが当たり前であり、当然、勉強しないといけない。その教育機関によっては「自分がプレイして勝つ技術と、人に勝ち方を指導する技術とは、全くの別物です」と言い切っているところもある。野球でさえ今は「コーチ修行」を積極的に積もうとする人は増えた。
由規は「ノーコン」だったから、投手にコントロールの付け方を教えられない、と短絡的に考えている人が多いようだが、例えばコントロールが完璧だった人が、自分だけの素養に基いた経験と方法論だけで「自分以外」の人間を導けるだろうか。
「(彼に)何を教えられるんだ」という声には、現役時代の彼に期待していたのに、それを裏切られたという怨嗟の念も多少混じっていると思う。
だが、「コーチは職業であり、ステータスの類ではない」という当たり前の認識が浸透していれば、怨嗟は怨嗟で残るにしても、コーチに就任する由規のような人たちへ攻撃の矛先は向かない筈だ。
つまり「名選手名監督(コーチ)に非ず」という、言い尽くされた筈の格言が、未だに野球界には根付いておらず、野球ファンには、大活躍したあのスター選手に、彼らにも色々やりたい事があるだろうに引退後も夢を見続け、いつまでもすがりつこうとする未練たらしい人が多いという事で、そこだけは他の国やスポーツとはだいぶ違うな、と今回も思わされるのだった。
由規、良いコーチになってください。
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