野球紀行/新球場こけら落としに立ち会う ~上尾市民球場~
世紀末である。とても8月とは思えない程よく雨が降る。今、台風ン号だの秋雨前線だの、まさに地球上の雨雲が関東に集結という感じで、降雨率100%状態だ。
記念すべきこけら落としの日がこんな時と重なった球場は不憫だと思う。まして普通は雨など降らないこの時期に大当たりとは、運が悪いとしか言いようがない。客観的に見れば、試合がひとつ中止になるだけだが、これは「野球場にとって」かわいそうな事だ。野球場というのは、野球のために存在するもので、球場自体のために何か行われるとしたら、その球場の長い歴史の中で、こけら落としと、取り壊す前の「さよならイベント」くらいのものだからだ。しかもこの上尾市民球場のような中規模の地方球場では、いつかなくなる時に市民が名残を惜しんで何かやってくれるという気もしない。今日、8月29日は、上尾市民球場の記念すべきこけら落としイベントとして、イースタンリーグのライオンズ対巨人戦が予定されていた。しかも球場自体、上尾市には初の本格的硬式野球場だし、上尾といえば、大宮、浦和、与野の合併政令指定都市構想に入れてもらえなさそうな雲行きではないか。このイベントくらいは成功させたかったろうに。
暗い空を見上げ「かわいそうになあ」との感を強くする。上尾というと、大規模な水上公園がある。波のプールとか、流れるプールとか本格的な設備が揃ってて、民営の遊園地のプールなどより格段安く利用でき、中学時代はよく遊びに来たものだった。そういう親しみのあった土地だけに、なんとか今日のイベントは実現して欲しいと思っていたし、この日を楽しみにしていたファンも多かったろうと思うのだ。撲自身、野球ファンになってから色んな球場に行ったものだが、新球場のこけら落としというのは経験がないし、そうめったにある事ではない。「この街に球場が、プロ野球が...」そういう雰囲気を味わってみたいと思っていた。
唯一の可能性は、台風らしく荒れた天気であること。こういう時は雲の動きが激しく、晴れ間がのぞく事がある。まだ試合開始までだいぶある。地元としても、多少の雨では簡単に引き下がれないだろう。少しの晴れ間をついて、試合をする筈だ。だから一応、ダメモトで出かけてみようと思った。
やっぱり現地でも雨はパラパラ降っていた。しかしこの天気にもかかわらずスタンドのかなり多くが埋まっている。「本日はごらんのような天候ですので云々」と再三アナウンスがあった。「こういう天気だから、試合やらないかもよ。やっても途中までかもよ」という事を言ってるわけだが、詰め掛けた観衆の目が「そうはさせない」と言っている。そう、街にとって、球場にとって、ただ一度の晴れ舞台だ。絶望的だったさっきまでの天候の中、これだけ人が集まった。今、選手が練習をできる程に回復しているのは奇跡的とも言える。地元のファンの願いがかろうじて天気を動かした。ここまで奇跡が起きたのだ。何があっても試合をやるべきだ。
記念すべき最初の試合で気前がいいらしく「本日は、スタンドに入りましたファールボールは、そのままプレゼントいたします」のアナウンスにスタンドがドッと沸く。何度もプロ野球を観ているが、ファールボールをくれるというのは初めてだ。「試合をやるぞ」という気持ちがファンの胸の中で現実味を帯びてくる。そして上尾市長登場。ここまできて中止は許されない。
市長、合併政令指定都市に入れてもらえない鬱憤をこの場で(少し)晴らすのだ。「本日は、幸い天候も云々」とか言ってるそばで、空がゴロゴロ鳴っている。多少は動揺があったのか「西武ライオンズ」を「西武オリオンズ」と。一気に笑いをとり、聴衆の心を掴むところがにくい。今まで聞いた「市長挨拶」の中で最も喝采を浴びた。
お偉いの挨拶の後は、始球式と相場が決まっている。地元の中学生登場。小学生でないところが新しい。見事ストライク。上尾の歴史の1ページに彼の姿が残る。いつかプロの選手として大成し、この日のエピソードが披露されるのかもしれない。
選手が色付きのゴムボールを客席に投げ入れる。歓声を上げ群がるファン。こういう時の選手って、悪くない気分なのだろう。公園で鳩に餌をやる時に通じるものがあるのではないだろうか。
しぶとい雨の中、試合は巨人が佐藤充、ライオンズが小石沢の先発で始まった。こういう地方ゲームでの巨人ファーム戦ではお馴染みの光景なのだが、だいたい「何となく巨人ファン」多数と「劣勢だが熱心な相手チームファン」というのがスタンドの勢力分布図である。これは日本の野球ファンというものを表す縮図とも言える。巨人以外のチームというのは、こういう時に「何となく」派を取り込まなければならない。1-0巨人リードで三回のライオンズ、原井のタイムリーで同点に。僕はライオンズ寄りのネット裏席で小雨を避けて観戦していたが、この場面に喜ぶ人は結構いた。子供が結構目立ち、声を出して応援しているのも大体子供で、あまりムキになってる大人はいない。近くで兄弟が「他の場所行く?」「いや、垣内見てから」という会話。チームに詳しいのも子供である。孫を連れいた人もいたが、熱心なのは孫の方だ。巨人を応援してる子供のグループを見て「ムカつくぜ、あいつら」というのも子供。至る所で「ボールください」の声。サラリーマンが多くを占める、東京のベッドタウンならではの光景という気がする。
が、子供を見てるとライオンズが好きそうな子が目立ち、頼もしくもある。しかし四回に川中の2点タイムリー。ライオンズには不利な展開になってきた。どんなに天気が悪くても、応援してる方が負けてる時は「最後までやれー」というのがファン心理である。しかし3時半には照明が灯り始める。五回に登板の谷口も1点を失い、雲行きそのままの試合になってきた。
記念すべき日のイベント。雨など絶対に許さない。そんなファンの思いが雨雲をかろうじて遠ざけていた。しかし「敵」もそういつまでも黙ってはおらず、ライオンズに代わって(?)七回には本気を出してきた。コンコースがある事が初日から威力を発揮する。急に強くなった雨に大勢が避難してきた。七回表終了、ここで試合は中止に。観客が一斉にスタンドからコンコースに流れた事で、注目も試合からブルペンで投げ込む投手に移る。皆、どこまでも「野球」を観ていたいのだ。
しかし無情にも雨は収まらず、4-1で試合は成立。ライオンズの負けである。今日の関東はどう見ても一日雨に見舞われる筈だった。しかしわずかな晴れ間を突き、結局試合が成立するところまでこぎつけた。この日にかける市と、市民の願いが通じたのだと思う。今日が記念すべき日でなかったら、単に「ライオンズ惜しかったね」という試合だったろう。しかし、こういう日に試合が成立するのとしないのとでは大違いである。誰かが「まあ、試合が成立して良かったよね」と言っていた。観客の口からは普通は聞かれない筈のセリフである。観てる方にもそういう意識があったという事だろう。
観客があらかた散ってしばらくして、雨がやんだ。なんだ、最後までやれたじゃないか。上尾だけが自然に逆らい続けたメモリアルデーだった。(1998.8)