野球紀行/日米大学野球第3戦 ~山形県野球場~
山形県のメイン球場、山形県野球場の最寄り駅は、JR左沢線の羽前長崎駅。左沢線は、だいたい1時間に1本ペースのローカル線で、羽前長崎駅にしても、こじんまりとした駅舎があるだけで、周囲に商店らしいものはない。交通を含め、メイン球場をとりまく環境にしては貧弱な気がした。
だけどこの日は、この環境にはオーバースペックなほど電車の中は地元の体育会系高校生で賑わっていた。
ローカル線の車内というのはどこもこんな感じで、電車が山形駅を出た時は特に何も感じなかったが、羽前長崎駅で大勢が降りた時はちょっと驚いた。こんな、何もないような所で何故?何かイベントでもあるのだろうか。学校があるとも思えないし、今は高校生や中学生は下校する時間帯だ。しかも、ほとんどが僕と同じ方向に歩く。今日は山形県野球場で、第28回日米大学野球選手権大会の第3戦があるのだが、僕には「大学野球=不人気」のイメージがこびりついており、今日の試合にしても、それほど多くの人がつめかけるような事はないと予測していた。事実、売店もやってないだろうという前提で、山形駅で食料を買っておいたくらいだ。
きっと球場に隣接する施設で何かの大会でもあるのだろうと思っていたら、驚くべき会話が耳に入ってきた。「日米大学野球って、毎年やってんの?」。なんと、この行列は僕と同じ目的地へ向っていたのである。
球場が近づくと、日本語のアナウンスの後に英語が聞こえてくる。いかにも日米野球という気分が盛り上がるが、僕のイメージにある「大学野球」とは、応援団だけ賑やかで一般の観客がいないか、応援団も一般の観客もいないかのどちらかである。しかし、関東以西は雨で東北だけが快晴という今日、ここ山形で僕を迎えたものは、初夏の陽射しに照らされた新しい芝生と、テキパキとボール回しをするアメリカ人選手達、そしてスタンドの6割を埋めた、応援団でも学校関係者でもない純粋な野球ファンの、試合開始を今か今かと待ちわびる期待に満ちた空気だった。
眺めのよい最上段に腰を下ろし、ふと気が付いた。これは、僕がずっと心に描いていた理想の野球風景ではなかったか?米選抜チームのユニホーム姿は、なぜかダブダブしてて、背番号の位置がやたら低く、スマートさに欠けるのだが、「アメリカ人のユニホーム姿」というのは、正にベースボールの原風景だし、「日米野球」という言葉には、妙に回帰的な響きがある。わりと大勢が詰め掛けたスタンドには、鳴り物を持ち込む者もいない。今まで、どこでどんな試合を観ても出会う事のなかった風景の中に、今、自分がいる事に気付く。「ああ、こんな東北の小さな町にあったのか」
その雰囲気だけで、野球ファンとして至福の一時なのだが、現実的な話をすると、今日は全5試合の第3回戦。会場は1回戦から神宮-水戸-山形-弘前-神宮という日程で、戦績はここまで日本の2勝。1972年にスタートしたこの大会は、ほぼ一年おきに会場をアメリカ、日本と交代に行なわれ、日本で行われる年は1回戦と最終戦を神宮で、その間は地方をランダムに巡るというパターンが定着している。あのマグワイアも出場したというこの大会の過去の戦績を見ると、伝統ある大会にふさわしく「いい勝負」を続けているようだ。だが、僕は大学野球のレベルは、「アメリカより日本が上」と考えている。
アメリカのカープ投手(広島に入団したら面白い事になりそうな名前だ)は、コントロールに苦しみ、高目に浮きがちなところを二回裏、志田(青山学院)、星川(東北福祉)に連打され、的場(明治)のバントで二、三塁となったところを四之宮(青山学院)に2点タイムリー、阿部真(法政)にもタイムリーを許す。初回は抑えたが、すぐ捕らえられそうな気がした。
それも、僕に「大学野球は日本が上」という固定観念があったからなのだが、実際は過去27年で日本は10勝17敗。それでも「日本が上」という気がするのは、日米双方の階級の層の厚さの違いからである。お互いの野球界のカテゴリを上から並べてみると、「メジャーと日本の一軍」「3Aと日本の二軍」「2Aと社会人」「1Aと大学」「ルーキーと高校」「アメリカの大学と日本のリトルシニア」となり、それぞれアメリカの方がやや上と考えると、アメリカの大学は日本の高校とリトルシニアの中間になってしまうのである。厳密にはそうではないとは思うが、その位、同じ大学でもアメリカと日本では頂点までの距離に差があり、それは日本の方がプロとアマのレベルが近い事を表しているのだ。
今年は、そんな僕のイメージ通りの試合展開になっているのだが、雰囲気的に「ベースボール」が好きな僕としては、今日だけアメリカ寄りの非国民である。実際、観客のほとんどは日本人なので、アメリカ選抜はほとんどの観客を敵に回しているのかと言うとそうでもない。「大勢の観客がいるけどひっきりなしに騒いでいる者はいない」という、この理想の野球空間では、日米に関係無く、好プレーには誰が煽動するでもなく歓声がフィールドを包む。ここは、「○塁側はどっちのファン」という、いわゆるプロ野球ファンの日常とはちょっと違うのだ。
日本が得点したり、三回に阿部慎(中央)のホームランが出たりすると、スタンド全体が沸いたり、どこからともなく「日本チャチャチャ」が聞こえてきたりするので、やっぱり「打倒アメリカ」なのかなと思っていたら、四回、二塁手のヒルがスライディングキャッチから一塁に送球、間一髪アウトというシーンに、ちょっと間を置いて「オー」という歓声の後、惜しみない拍手が起こった。この「間」には、「あ~アウトだ。でも凄いプレーだったな、敵ながら天晴れだ」という、一瞬の感情の変遷があった筈だが、これは、応援団がいなくても、つまり誰も拍子をとらなくても、全体の呼吸が合っているという事で、やっぱり歓声というのは、静かなところから地鳴りのように沸き上がるのが一番心地良い。
心地良さついでに、ネット裏のあたりから「アメリカの選手にもエールを送ります!」という子供の声が聞こえてきた。たぶん大人が言わせているのだとは思うが、その子の気持ちが同じなら良い。丁度よく六番のナディが好投の鎌田(早稲田)からソロ。その裏登場のディナルド投手は、カーブでストライクがとれる好サウスポー。後続を抑えるが、結局及ばず5-2で日本の勝ち。金属バットを持った日本の強力打線が序盤で優勝を決め、去年のリベンジを果たした。
大学野球も、東北でやるとこんなに盛り上がる事に新鮮な驚きを感じた。それと、招待選手として地元の山形大学の選手が紹介された時の声援の大きさ。南奥羽リーグの、全然知らない選手の登場に沸くのもまた新鮮。普段試合の少ない東北では、野球そのものが新鮮なのかもしれない。またアメリカ人選手のユニホーム姿がなぜかこの辺の風景に合うのだ。どうせなら、日米大会くらいは神宮を離れ、全試合東北でやったら?という気さえする。
それとは別に、「親善」を越えた、ホントの「日米選手権」もあったら面白い。選抜チームは確かにレベルが高いが、文字通り「世界一」を賭けた、全国大会優勝校同士の真剣勝負も観てみたい。「日米野球」というと、未だに親善の域を出ない感じがするが、一向に「ワールドシリーズ」が実現しないプロ野球を尻目に、大学野球で一足早く実現させてしまったら、なかなか痛快だと思う。(1999.6)
[追記]
「阿部慎」とは言わずと知れた現巨人監督の阿部慎之助。
他に「あ、出てたのか」と思わされたのは後にヤクルトに入団する鎌田祐哉と志田宗大。2人とも地味な活躍だったが風貌が印象深い選手だった。
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