野球紀行/ドカベンと湘南の謎 ~引地台野球場~
湘南シーレックスの専属ナビゲータ栗原氏が唐突に「大和の皆さん、こんばんわ!」と威勢良く挨拶するので、僕はにわかに、あの名作アニメを思い出してしまった。野球場でいきなり「ヤマトの皆さん」と言われるのも違和感があるが、考えてみればこの地域で大和市というのも違和感がある。大和市と言うと、いかにも奈良県あたりにありそうな、しかも歴史上重要な意味を持っていそうな名前だが、この地における大和の名の由来は実にあっけない。
明治24年に、今の大和市を形成する4つの村が合併しようという時、うち2つの村の名前を取って「深草村」にしようという案があった。しかし当然、後の2つの村が反発する。ではどの村の名前も残さず、かつまったく新しい名前にするならどんなのが良いか、という事になり、「和を以て貴しとなす」「日本にあるから」という理由で「大和」になったのだという。僕はこの地域に大和市という市があるのを知った時、これが僭称地名というものかと思ったものだが、早い者勝ちである。
名前に疑問を抱かせるのは市だけではなく野球場も同じらしい。引地台球場には「ドカベンスタジアム」という愛称がある。実際エントランスにそう表記されているため、外そうにも外せない愛称である。しかも「ドカベン像」が建立されているので、有無を言わせない説得力がある。さらにドカベンの隣には里中智の像もあるので、なぜドカベンスタジアムなのかという疑問はさておき、納得するしかない。
しかしめったにないプロ野球の試合を楽しみにしていた人々にはどうでも良い事らしく、皆ドカベンを撫でたり、ペチペチ叩いたり、記念写真を撮ったりしている。まあそれでいいのだ。それをキッカケに市民がスタジアムに親しみを感じるなら、ドカベンを名乗る効果は十分あるわけだし、その効果は説得力よりも優先する。
さっきの「ヤマトの皆さん」に懐かしいアニメを感じていたら、いかにもアニメ的なマスコット「レック君」が紹介された。ファームチームに独自のマスコットが創られるなど、日本ではあまり考えられなかった事だが、「先駆者」湘南シーレックスはこういう事にも熱心である。
試合前に応援の練習、大和市長の始球式。地域を意識した演出は、地域の外の者から見ても楽しい。気分が盛り上がる中、徐々に暮れていく空。それを大き過ぎない、収容1万人クラスの丁度良い器で楽しむ贅沢。ファイターズスタジアムにも照明設備があったらと思うが、周囲の農作物に影響があるので駄目だという。
このいい雰囲気を壊さないためには、初回の攻撃をすんなり終わらせて欲しい。試合が動くのは雰囲気に飽きてきた頃で良い。シーレックスの先発、ポスト大魔神と期待された5年目の横山は期待通り普通に二死を取る。すると急に強い雨が。
一斉にコンコースに避難する観客。試合開始前から風が時折強く、嫌な予感はしていた。平塚、水戸に続き、ファームのナイトゲームがまた雨に見舞われた。まったく自分でも笑えるくらいの雨男ぶりである。しかしいつもそうなのだが、雨で中断している時の観客の様子というのは、僕ほどイラついているわけではない。これにはいつも救われた気分になる。もし周りがみな僕と同じ精神状態だったら、自分の恥部(笑)を見せられているようで気が滅入るだろう。
中断中には珍しく「雨は○分後には止む見込み」云々というアナウンスが入る。結局それよりは長引いた雨だったのだが、こんな風に観客に対して気を使うというのは結構ありがたい。それが球団の姿勢なのかどうかわからないが、コンコースに野球の歴史について触れた展示があったり、「ドカベンスタジアム」の愛称を頂戴するなど、積極的に野球場であろうとするこの球場には合っているように思える。
ところで藤沢にも野球場はあるのに、なぜシーレックスは平塚を除くと、横須賀はじめ海老名、大和など「湘南」と言い切れない場所で試合をするのだろう。大和市の場合、位置的には文句なしに湘南だが、海に面していないところが怪しい。厳密な「湘南」の意味は決してそうではないのかもしれないが、イメージ的には「湘南=海」である。以前市内で「湘南○○」という表示を見かけた事があったが、強引に湘南の仲間入りをしようとしている感があった。
しかしシーレックスが主催試合をやったら湘南率アップという気もする。周辺の市町村にしてみれば湘南と名の付くものを取り込めるのは歓迎ではないだろうか。以前、車の「湘南ナンバー」を巡ってひと悶着あった時は、湘南ブランドのワケのわからない魔力に呆れつつ笑ったものである。
湘南ブランド。それを考えるとチーム名を「横須賀」にしなかったのはかなり戦略的であったのだと思う。ただ、僕の認識では残念な事に「野球」と「湘南」は相容れない関係にあるのだ。ましてやドカベンと湘南には接点すら見出せない。球場にドカベンスタジアムと名付けるなど、市は湘南を放棄したのか?と思えるほどだ。
しかしその大衆性とシーレックスのファンサービスが妙にマッチしている。湘南を名乗りながら湘南のど真ん中に対しては何となく遠慮している(ように見える)のが分かるような気がするのだった。湘南とシーレックスと大和市の関係は実に微妙なバランスを保っているのだ。
僕は、あの弱かった「ベイスターズの二軍」が湘南シーレックスになったからと言って、その中身に劇的な変化があるとは思っていなかったし、また一気に戦力が変わったわけでもないのだが、球団の営業努力というものが間接的にチーム力にも影響しているのではないかと思っている。
雨が止んだ。以前平塚で観た時は同じく雨が止むと同時に快調と思われた神田が別人のように打たれだした。その時と同じシチュエーションで、相手まで同じライオンズだ。しかし何時の間にかチームも変わっていた。サイン違いか、捕手の新沼が捕りそこねると、すかさず意思の疎通を図る。それからの横山は落ちる球も冴え、つけいる隙を与えない。
しかしシーレックスも星野を打てず、五回裏。二死で打者は打ち気満々の横山。誰かが「横山、自分で打たなきゃ勝てないぞ!」と野次を飛ばした。「わかってる」とばかりに横山、二死しかも投手の打席で油断したであろう星野の高目の甘い球を強振。レフト線へポーンと上がった打球は先制のソロアーチとなった。星野は次の八馬をストレートで三振に。やはり失投だった。
こうなると「横山がいつ捕まるか」が主題になるのだ。そう、今までのチームだったら。しかし横山は九回に前田にマウンドを譲るまでゼロに抑える。こんな楽しませてくれるチームだったか?八回の攻撃では古木が芝崎からレフト・ポールのもたつきを誘うタイムリー。変わった福井から押し出しで追加点をもらう。これで勝負あった。まるで、強いチームの点の取り方じゃないか。
雨による40分の中断が終わった時、シーレックスが「変わったな」という事を初めて気づかされるシーンに遭遇した。結局今年のシーレックスは念願のAクラス入りを果たす事になる。今日の雨は意味のある雨だったのかもしれない。でも、できれば次は雨雲に追われずにファームのナイトゲームを楽しみたいのだが。(2001.5)
[追記]
横山道哉はこの時は既にリリーフの中心的存在で、二軍では格が違った。通算21勝26敗45セーブ。最優秀救援投手1回(日本ハム時代)。現在はDeNAスカウト。
星野智樹はまだ一軍半だったが、後に西武の左の中継ぎエースに成長する。トークが達者で、文化放送の中継でもコーナーを与えられ、引退後もたまに中継に呼ばれたりした。
僭称地名というと、今はどうなっているかわからない「湘南市構想」がその最たるものだろう。東京都では「武蔵野市」「多摩市」が該当しそうな気がする。
引地台球場は2014年に「大和スタジアム」に改名した。「大和の名を入れて欲しい」という地元民の要望らしい。一見僭称地名と思われた名前が住民に愛着を持たれるというのは新鮮だった。