野球紀行/幻の「愛知六大学リーグ」 ~豊田市運動公園野球場~
豊田市運動公園には、れっきとした最寄り駅があったが、最近廃線になってしまった。なので今は猿投駅から30分ほど歩くという中途半端な行き方が主になっている。
道中、その廃線跡と度々交差する。こういう所を歩くのが好きな廃線マニアの人は面白いだろうが、日本のあちこちが衰退しているという具体的な姿を見ているわけで、あまり単純に面白がる気になれない。
公園は立派なものなのに、「足」が途中で切れてしまったため、陸の孤島感が深まった気がする。今はじめて気付いたが、販売機がない。立派な野球場が、何かポツン感を湛えている。
7年ほど前、立派な野球リーグが、統括組織や球界全体からなぜかウザがられていた時期があった。
立派な野球リーグというのは、一県一連盟の上五部リーグまである大所帯であり、今この野球場でこれから試合をしようとしている愛知大学野球連盟の事で、愛知学院大と中京大は昨秋の1位と2位という好カード。しかもこの両校は当時の問題に際し対立する立場であったという事情通な見方もできた。簡単に言うと、当時起こったリーグ再編問題の、中京大は推進派の一つで、盟主的な立場である愛知学院大は反対派だったという事だ。
当時の問題というのは、メディアでの扱われ方が地方の大学野球リーグとしては結構大きいもので、普段大学野球に無関心な層が何となくその存在を認識する経緯にもなっていたような気がする。が、実力で言えばこのリーグはもっと注目されても良く、問題が収束して何年か経っても何ら変革のない今では、推進派の動きにもそれなりに理があったように思う。
愛知学院大の先発、山名がマウンド後方から助走をつけて投球練習をする。彼がプロに進んで活躍したら、こんな投球練習がひとつの見せ場になるだろう。実際、西崎幸広とか岩瀬仁紀とか、プロでも一線で活躍し個性ある選手をぼちぼち輩出しているリーグなので、「東京六大学や関西学生リーグっぽくしたい」という当時の「推進派」の気持はわかる。
中京大の先発は右の杉本。無死一、二塁のピンチでも冷静だ。バントで目の前に小フライが飛んできてもゴロとして処理し、1-5-3のゲッツーに。山名は助走付き投球練習らしからぬスローボールを上手く使った投球で抑える。2つめのストライクをスローボールの空振りで取れた事で自信を持っているのか勝負球にも使う。投手の良さがさりげなく出た、レベルの高さをさりげなく感じさせる出だしだ。
そんなレベルにふさわしい編成への願望や、大きすぎる規模(99年当時四部リーグ構成)の整理という趣旨で、愛知の大学野球を「愛知六大学」「もうひとつ六大学」「それ以外」に分けようというのが、当時の再編騒動の大筋だった。
それ自体には十分、理があった。しかし「愛知六大学」を構成する大学が、中京大をはじめとする一部常連5校プラス「名古屋大学」であるという案にケチがついた。もちろん僕もケチをつけたい心境でこの問題を見ていた。
名古屋大は野球の実力的には下部リーグの常連校だ。それが「愛知六大学」に入れば東京六大学の東大や、関西学生の京大と同じポジションになる。レベルが拮抗したチームによりリーグを編成する事をスポーツの原則というか理想すれば、望ましいとは言えない。東大や京大がそれぞれのリーグに加盟する経緯には相応の理由があるが、愛知のそれは恣意的で、独善的だという事で、「愛知六大学」案から漏れた他の学校からの反発を受けた。
もし学院大が賛成だったら、と考えると結構興味深い話になる。学院大が入ったとして、名古屋大の扱いがどうなるか。学院大が入って名古屋大が外れるか、その逆か。それだけの違いが、価値観の根本的な部分に関わってくるからだ(実際は学院大と名古屋大が両方入っても、やはり他校の反発を招いたと思う)。
現在は学院大が1位で中京大は4位。そして下位が上位を食うという局面がないとリーグ戦は面白くない。わずか30分で三回を終了という速やかな展開で、速ければ良いというものでもないが、打つ方も守る方も目立った失敗がないから速い、という模範的な試合。これを1位と4位でやるのは結構大事な事だったりする。
中京大には一応チアリーダーがいて、それ以外は部員による応援。マリーンズの応援団のような歌を歌っている。歌自体がそうなのか知らないが、いかにもという感じの歌。プロ野球のファン文化みたいなものがアマ野球の色んな部分に影響を与えている様子が見れる。「そろそろ試合を動かそうぜ」という合図のような、厳かな感じ。実際そうなったのだが。
五番大西は5球目のストレートをセンター前にクリーンヒット。見逃がしのストライクがない優等生風バッティング。六番上田がバントの構えからバント成功。なぜいちいちそんな言い方をするかというと、バントの意思を見せた打者がこの試合はじめてバントを成功させた。つまりそれだけ守る方に分がある試合の中でチャンスの扉をこじ開けようともがく様子を強調したいのだ。
続く加藤が上げたフライを捕手中村、捕れず。隙のない試合で空気が一瞬緩む。それがアクセントというか契機となったか、レフト前タイムリー。緊張したゲームにこうした「悔やまれるシーン」があるのがスポーツの妙味だ。後2人を難なく抑えただけに。
六大学という名のリーグは全国にいくつかあるが、特定のチームが飛びぬけて強いか弱いかというパターンが目立ち、全体が高いレベルで拮抗しているケースは意外と思い浮かばない。今日のような試合を6校すべてが東京六大学くらいの観客を集めて行ったら、それなりにアマ球界における存在感が増すような気がする。しかし上記の理由で否決され、怒った推進派はリーグからの脱退を強硬するが大学野球連盟から承認されず(選手権に出場枠を与えないとか)、最終的にはリーグに復帰を懇願するも四部リーグからの再出発という形に落ち着いた。
もし名古屋大を入れて考えなかったら、と思うところだがやはり「六大学」のステータスという意味でそこは譲れなかったのだろう。僕はそういう事にこだわらず、愛知独特の「先進的なリーグ」ができたら面白いと当時は思っていたので、つまらないオチではあった。もっとも、元々力のある中京大等が一部復帰を果たすのにさほど時間はかからなかったが。
中京大は逆転を許すも九回表で再度同点に追いつき、延長に持ち込む。父兄は大喜び。今となっては当時の騒動は見る影もない。
延長戦も学院大の先発山名は続投。苦しみつつピンチをしのいできた。一人で先発、中継ぎ、抑えをやったという感じ。こういう状態で「1点を確実に取るぞ」という攻撃をやられると辛い。二塁に走者を置き四番丹羽が何と3連続のバント失敗。結果的にはアウトも、四番にここまでやられるとむしろプレッシャーだと思う。また、いっぱいいっぱいの投手にはここまでで十分だったのかもしれない。続く大西の、外角を逆らわず難なくライト前に運ぶタイムリーで勝ち越し。
対してコンスタントに継投してきた中京大は危なげがない。下位が上位を相手にする時はこう戦え、という感じの模範的な戦いぶりだった。最終的には学院大が3位、中京大は4位。6校中4校が騒動当時の推進派だ。
現在は5部リーグ制の大所帯で、女子大まで加盟するなど十分個性的なこのリーグで再編の動きが出るのは必然だった気もする。しかし2009年まで特に主だった動きはない。純粋に実力で、と言うかスポーツの価値観で「六大学」を結成する動きが出るのは、はて何時になることか。(2006.5)
[追記]
現在の愛知大学野球連盟は一部6校、二部12校をABに分け、三部7校という編成。この時の再編騒動があった事が信じられないくらい静かな運営が続く。しかし最近は中国地区大学野球連盟のように、一部リーグのみを「~六大学リーグ」と呼称するケースもある。本来はこのように実力で編成された「六大学」にこそステータスがあり、無理やり難関国立大を入れる事がステータスではないと思うのだが、「東京六大学が元祖だからステータスだ」と言われたらそれもそうかなという気もする。