周回遅れの人生を吐き出す1

初めまして。スーさんと申します。

本日2度目の人生の周回遅れが決まったのでここで吐き出させていただきます。

別に詰んでるわけでも袋小路になってるわけでもない。多分自分より恵まれてない人もいるし自分が最底辺だと宣う気もない。ただ周りより遅れている。そう感じてしまっている。別に同情や憐憫が欲しいわけでもない。ただ自分の存在を知ってほしいと思ってるだけです。

まずは少し自己紹介をば。平成4年生まれ。男。実家は23区内で開業医をしていて長男です。割と実家は太いし恵まれたほうだと思います。別に自慢とかじゃないです。ただここで運を使い果たしてしまったという気はしています。正直いわゆる普通の人生というものに並々ならぬ憧れがあります。

現在自立支援を受けておりコンサータ、アトモキセチン、ラモトルギンを服用しています。

そんな僕はこの年になってまだ学生です。国立工学部の学部生です。同級生は多分そろそろ結婚とか管理職になってたりとかしてるでしょう。でもまだ社会に出てすらいません。

どうしてこうなったのか。少し自分の半生から語りたいと思います。

正直小中高はクソガキでした。自分の恵まれた環境もわからず自分の能力にも自信過剰でした。運動とかはできませんでした。食べることは好きでした。はっきり言ってクソデブでした。
家の方針で仮面ライダーもスーパー戦隊もバラエティも当時リアルタイムで見たことはありませんでした。視聴することを許された数少ない番組は、ポケモン、ちびまる子ちゃん、サザエさん、どうぶつ奇想天外、トリビアの泉くらいでした。
マンガもせいぜいコロコロコミックしか読んだことがありませんでした。学校行って話す知り合いは居ても一緒に遊ぶとかはほとんど記憶にありません。数えるくらいです。
そんなんでしたから僕の知り合いというものは殆ど大人でした。同世代で遊んだという記憶が小学生のころにはほとんどないのです。
ただ家には本が大量にありました。ずっと本ばっか読んでたと思います。母親は、僕が小学校で職員室でライト兄弟の話をしたと言っていましたがホントかどうか。習い事はたくさんしてました。体操みたいなとこに行ってたしピアノや水泳、空手も習ってました。長い休みに母親の実家に帰った時は乗馬もしてました。
家でも勉強タイムがありました。なぜか父親が勉強を見る時間がありました。できない、わからないと言えば怒鳴られ殴られました。やりたくないと言えば文字通り首根っこ掴まれて机に向かわされました。ひどいときは鉛筆を僕の腕に突き刺してきました。(僕の腕にはまだその後がうっすらと残っています)それが普通だと思っていたので疑問に思わず目をそらしたり、つむったりするだけで逃げることはしませんでした。

妹が某お嬢様学校に入ったら妹も同様に勉強させられました。正直自分が変に引きこもったりせずギリギリ社会生活を送れるているのは妹は自分と違ってそこまで勉強が得意ではなかったので無意識的に彼女よりマシだ、と思っていたからでしょう。僕の記憶では年齢が一桁の時はほぼ毎日怒声が妹の部屋から聞こえてきました。自分で入れといて、成績悪かったらやめろ!と言い放ち妹が泣きそれを泣くのを止めろ!とまた怒鳴りいつまでも終わらなったのを覚えています。

きっかけは忘れましたがある日N64が我が家にやってきました。最初にやったのは時のオカリナでした。はじめは母親も面白がってというか目新しいものとして隣で見てました。けどいつしか僕が勉強をしたがらないので隠したりし始めました。父は集中できてない僕に怒り僕の目の前で思いっきり地面にたたきつけました。それでもN64は動いていたのでその後も隠れてやっていたのですが最終的にはダンベルで叩き壊してしまいました。

叔父叔母は僕を甘やかしてくれました。僕がゲームに現実逃避できていたのは正直叔母のおかげだと思います。誕生日には好きなゲームを買ってくれたり家は近かったのですがたまに外で会うとお小遣いをくれたりしました。正直父親より好きでした。

そんな僕にもある転機、というよりも環境を変えるきっかけみたいなものが訪れます。中学受験です。僕は某教育大学付属の幼稚園、小学校に通っていてそのまま付属の中学にも行けたのですが僕は中学受験を選択しました。理由はなく強いて言えば幼心にキャラ付けに失敗してからだと思います。
僕は当時ハガレンにはまっていました。というより現在進行形で続いてるの漫画、単行本というものを初めて読んだからだと思います。最寄りのコンビニに売ってるのを立ち読みして正直ずっと読んでました。
そこで何を思ったか自分とグラトニーを同じ存在と思い込みいろんなものを口に入れてました。まあそんなキャラの人間がどうなるか言わずもがなだと思います。2chのテンプレで砂嵐をしている厨房がありますがまああんな感じです。いじめられてりはしませんでしたけど。あといわゆる道徳の授業で白血病の少女のビデオを見せられたんですがつまらなくて寝てしまいました。それくらい他人の気持ちに無関心でした。

中学受験以前にもいくつか学習塾みたいなものに通ってはいましたが正直優等生ではなかったと思います。両親は開成や麻布のような最上位進学校を夢見てたそうですが自分はそこまで考えていませんでした。多分自分の中でコミュニティから出るのが目的で場所はこだわらなかったせいでしょう。
自分がどこに所属するか今思えばこだわっていなかった気がします。その証拠にいわゆる滑り止めの中学に受かったら熱意みたいのがグンと下がった気がします。
自分のコミュニティ脱出癖みたいなものはこれがきっかけかもしれません。なんとなく居心地が悪いなあと(わずかでも)思うとそこから出たくなるのです。同様の理由で高校受験もしました。親には中学のリベンジをしたいとそれらしい言い訳をしてその実態はあの教師に目をつけられた、とかよくつるむあいつと実は馬が合わないとかそんな感じで逃げの理由で受験を使ったと思います。
高校入学の辺から逃避先がオタクカルチャーになっていきました。この当時はニコニコ全盛期で割とその話題で盛り上がったり週刊アスキーを一緒に読んだりする知り合いもいました。ただそれは僕が人間的に成長したとか普通の人に近づいたとかでなくて単純に会話している振りがうまくなっただけだと思います。そんなこんなで迷走しまくっていたので大学受験なんぞうまくいくはずもないんです。第一志望の国立大学に落ち、後期の準備するかー、と思っていたら3.11が起き後期受験がなくなりました。しょうがないと思ってその時受かってた滑り止めの私立に入るか、と思ってた矢先入学を阻止され小倉に送られました。そして僕は浪人生活に入ります。(続く)





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