ボーちゃんの自我
くしゃみを10連発もすれば、流石にいろんな人が逃げていく。同僚も、お客様も…。
そんなことあるわけないと思ってるでしょ?
ある。
こんな時期にくしゃみ10連発もすることあるのか?
ある。
秋の花粉、ブタクサとススキのダブルパンチで只今絶賛鼻が死んでいる。
人がくしゃみをしているのを見て、こっちも共鳴してくしゃみが出そうになる。
春に花粉症なる人はスギ花粉でなるんだろうけど、こっちはブタクサとススキだ。辛さも2倍だと勝手に思っているけど、実際どうなんだろうか。
幸いにも春に花粉症にならないせいか、今のこの時期になんで花粉症なんかになっているのと周りから不思議な目で見られて、時にはなぜか「え、すごいですね!」と言われる。
むしろ私がブタクサとススキがアレルギーだと言えば、そういうものがあるのかと知る人もいる。
サービス業をしていると、くしゃみを何連発しようとも、アレルギーで涙が出て目が開かなくなろうとも、その場に留まり、先ほどのくしゃみなんぞ何事もなかったように求められているサービスを提供しなければならない。
これぞ、プロ意識。
マスクをして接客をしている私は、こういう時にだけ恩恵に授かる。クレヨンしんちゃんのボーちゃんのように鼻水がツーッと落ちていたとしても、マスクの中での出来事はお客様は知る由はない。
「あー、この人いまボーちゃんだな。」と思われることもないのだ。
でもふと思うことがある。
ボーちゃんはずっと鼻水を垂らしているのか。
鼻水を垂らしている男の子がボーちゃんであり、それが彼のアイデンティティなのであれば、鼻水を垂らしていないボーちゃんは何者になるのか。
鼻水を垂らしていなくてもボーちゃんだろうけど、彼はそれでいいのだろうかと。
ボーちゃんの両親は、鼻水を垂らし続けている愛する息子を見て、心配にならないのだろうかと。
ボーちゃんの友達は、鼻水を垂らし続ける彼と、どうして普通に接することが出来るのかと。
明日、病院に行きます。
私が職場で裏で"ボーちゃん"と呼ばれる前に。
(もう呼ばれているかもしれない。)