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アキはありますか?

着々と進んでいる工事現場を横目に、駅に向かって歩いていると金木犀の香りがした。

金木犀の香りが鼻腔を抜けると、必ずフラッシュバックするエピソードがある。
それは、ホテルのフロントとして働いていたときのこと。


そのホテルは新宿のど真ん中にあって、お世辞にも綺麗とは言えないホテルだったが、アーティスティックな活動でも注目を浴びている某大物お笑い芸人さんがいつもご贔屓にしてくださるところだった。

あれだけ有名な方であれば、ふんぞり返って偉ぶってもおかしくない。
でもその方はとてつもなくナチュラル。
テレビでお見かけする姿のままで、私のような一介のフロントスタッフに対しても、必ず向こうから会釈をして「おはようございますぅー」と挨拶をしてくる。
耳馴染みのある、関西弁のイントネーションの「おはようございます」だ。関西人の私にとって、その方の挨拶を聞くと少しだけ大阪に帰ったような気持ちになれる。
それ以来、私のような下界の人間こそ、誰に対しても挨拶は自分から先にしようと人生の指針になった。


ある日のチェックアウトの時間帯のこと。
その方はいつも通り、オーラを消し、ヌーっとフロントにお越しになった。
関西人を前にするとどうしても関西特有のイントネーションが出てしまう禁断症状で、
「自分、関西出身やろ?」
とホテルに入ってからすぐ顔を覚えていただき、チェックアウトの時にはちょっと待ってでも、必ず私のところに来てくださる。

「〇〇さま、お待たせいたしました〜!チェックアウト、こちらで完了いたしました。ありがとうございました。」
「あのー…」
「はい?」

秋、ありますか?






私はとても困惑した。
脳みそが一気に15回ぐらい回転した。

ア↑キ↓って言ってはったよな?

え、待って、これ試されてます?
お笑い芸人の、アレですやん。

何やろ、ボケたらええんかな。
でも一応お客様やし…。

必死に考えて、なんとか絞り出してこれだ。



「そうですね…新宿のこの土地柄、秋はないですよね。あ!でも最近、そこの裏の道歩いていると金木犀が香るようになりましたね!」
「金木犀ですか…。」
「はい…」
「で、秋はありますか?」





うそやんーーー!!あかんかったー!!!
全然刺さってないぃぃぃ!!!

「紅葉(もみじ)も見れないですしね…。新宿は季節感ないですよね。」
「モミジ…ですか…。」
「はい…」

3秒ほどの沈黙が流れた。

なんか知らんけど、向こうは困惑してる。


え、私なんかチャランポランなこと言うてる?
だって秋やろ?
金木犀と紅葉以外に何があるん?!

ほんで午前11時のクソ忙しいチェックアウトの時間帯に、私は一体大物芸人と何してるん?!
IPPONグランプリ??ボケ大会??は??

そして、そのお笑い芸人は申し訳なさそうに口を開いた。


「あの…アキですよ…部屋の…。」

ふぇ?部屋のアキ?




あぁ!!!部屋の空き状況こと?!


「あぁ!!!お部屋の空きのことですね!!」
「それ以外に何がありますの…笑」
「すみません、てっきり季節の秋のことかと!!」
「(鼻で笑い)自分、おもろいな。」

生まれて初めて、お笑い芸人におもろいと言われた。
関西人にとって「おもろい」は最大級の褒め言葉やけど、ちょっと屈辱的な気持ちにもなったのはなんでだろう。
きっとあの人の芸風がそうさせているからに違いない。

この話をフロントのバックヤードで先輩に共有した時、みんな笑泣きするほど爆笑に包まれた。
あの芸人さんに鼻で笑われてバカにされた女は、おそらく日本中探しても私しかいないだろう。


あの後のお笑いの営業かお仕事か、その後の呑みの席でネタにされたに違いない。

「あんなぁー、今日いつも泊まっとるとこのホテルのチェックアウトする時になぁー、部屋の空きあるかー?聞いてるのに金木犀だの紅葉だの、訳わからんこと言ってきよってさぁー」


あぁー。もうあの人の声で脳内再生されてる…。

あの人は今でも元気なんやろうか…。




皆さんの街には、もうアキはありますか?


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