小さなアパート
女は用事があり3年弱住んでた街に来た。
遡る事数年前。
あの頃住んでいたのは小さくてぼろいアパート。
駅から徒歩2分弱のその家賃は6万。
間取りは6畳が2間、洗面所はなし。
玄関が2つありそのうち1つは釘で打ち付けられ開かれることはなかった。
○○荘と言うレトロな名前の小さなアパート。
築年数は39年。
もし誰かが、10年前の今、
どんな家に住んでいた?そんな質問をしてきたら、
わたしはこう答えるだろう。
しかし、こんな質問をしてくるような、大人が、
この世の中のどこかにいるのだろうか?
女は珈琲を飲みながら、
もう2度と来る事なんてないと思っていた街に、
又来ている事に何とも不思議な縁を感じていた。
一生懸命違う事に気持ちを向けようとも、
ここにいるだけでのあの日々の記憶が押し寄せてくる。
今朝は気忙しいことが多く、
朝の珈琲タイムもなかったし、
次の用事まで時間もあるし、
過去に心を向かわせて過ごしてみるのもいいかもしれない。
そんな答えを出すと、珈琲を頼み椅子に腰を落ち着かせた。
白い陶器と茶褐色の液体のコントラストを見ていると、
ここに住んでいたあの頃の記憶が甦る。
大変だったけど楽しかった。
色々忘れっぽいのにあの頃の記憶だけは驚く程鮮明に思い出す事が出来るのは何故だろう?
時間を取り繕って一人内見しに行った。
安くて駅が近ければ何処でも良かった。
そんな虫の良い条件なんて直ぐには見つからないと思っていたのに、
いつもはある仕事も休みになり、
わたしの前に立ちはだかっていたものが綺麗に取り除かれ、
見えるはずない道が標となり現れ、
導かれるように事がスムーズに進んだのに恐ろしさも感じた。
頼るものも後ろ楯もおカネも保険証もないのに何してるの私は?思いながら、
親切な不動産屋さんにこのアパートを案内された。
安っぽい鍵をさし、ドアノブを回したらすぐの部屋。
家財道具も何もない空間を見たとき、
一瞬息が詰まったものも僅かに心が弾んだ。
ここがわたし達の居場所となる。
心が安らげ、人並みになる為に生きる場所。
私は小さな子ども達の手をひいて部屋を案内した。
きっと意味がわからなかっただろう。
何処にも連れて行かれなかったのに、
一体何処へ連れて行ってくれるの?
間違いなくそう思ったはず。
靴を脱ぎすて部屋に上がる子どもたち。
俺ここで寝る‼️わたしはここ‼️
指差し、小さな身体が向かった先は押し入れだった。
涙が溢れた。
あれから数年。
時は過ぎた。
今はそれぞれに部屋がありそれぞれにベッドがある。
良かったと思う。
ただ今はこの幸せを珈琲と共に楽しむゆとりが少し出来ただけ。
完