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ホンダF1,再び休眠期へ。(ホンダF1第3期後編)

皆さんこんにちは、RIOTMUSIC大好き大学生のらむねびん。でございます。ようやくバイトが見つかり、今週の土曜日から、土日勤務でお昼から夕方までのシフトで働き始めます。初バイトめちゃ緊張するwまあ頑張りますww今回はホンダF1第3期の後編をご紹介いたします。

貴重なものを手に入れた小さなチーム。~2007年シーズン~

2007年、ホンダだけは昨年と体制を変えず、ホンダはバトンとバリチェロのまま、スーパーアグリは琢磨とB・A・Rでテストドライバーだったアンソニー・デイビッドソンのコンビで戦うことになりました。マシンも一新され、ホンダは「RA107」を投入します。この年から、ホンダは地球環境の保全を訴えるプロジェクトとして、「アースカラー」を採用。ボディに大きく地球が描かれました。そしてそのマシンがお披露目されたとき、

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引用元:https://f1-gate.com/honda/f1_56061.html

「なにこれ?」

って思ったのは僕だけじゃないはずですよね(滝汗)

実はマシン全体に地球を描いてしまったため、日本国内や海外から「まるでF1マシンにカビが生えたようだ」と揶揄される始末。当時僕も「え?」って思いました。また、ポテンシャルもいまいちでした。減速時にマシンの姿勢が安定しないという、深刻な状態でした。ホンダ自身も「失敗作」と断言するほどの黒歴史マシンになりました。

続いて「スーパーアグリ」のマシンを見ていきましょう。

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引用元:https://f1-gate.com/superaguri/f1_56138.html

白と赤のカラーリングで、まさに日本を象徴しているようで、かっこいいですよね。

スーパーアグリはニューマシン、「SA07」を投入しました。ちなみにこれ、

「スーパーアグリ」自らが作ったものではありません。

じゃあ何なのか?と思いますが、ここでこのチームのおさらいをしていきましょう。まず、このチームは他のチームに比べ、資金が少ないです。開発にかかる費用にも制限がかかります。そのため、マシンを自ら作るというと莫大な費用が掛かり、チームを圧迫してしまいます。そのため、「スーパーアグリ」が行ったこととは、

ホンダの2006年マシンをそのまま流用したのです。

ここで「SA07」と「RA106」を比較してみましょう。

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引用元:https://www.honda.co.jp/Racing/gallery/2007_2/01/

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引用元:https://www.honda.co.jp/Racing/gallery/2006/01/

上がスーパーアグリの「SA07」、下がホンダの2006年マシン、「RA106」です。すぐにはわからないと思いますが、わかりやすいところをいうと、フロントノーズの形状や、ボディの左右についている、扇型の空力パーツを見ると同じ形をしています。スーパーアグリは、ホンダの2006年マシン、「RA106」をベースにして、マシンを投入しました。これについて、フェラーリをはじめ、一部のチームが「さすがに不公平じゃないか?」ということで、FIAに抗議します。しかし、FIAによるテストでオーケーとなり、レースに臨むことができました。

開幕戦オーストラリアGPでは佐藤琢磨が予選10位、アンソニー・デイビッドソンが予選11位と好位置につきました。スペインGPでは佐藤琢磨が8位入賞で1ポイントを獲得。カナダGPでは、ディフェンディングチャンピオン、マクラーレンのフェルナンド・アロンソを抜き、6位入賞を果たします。

しかし、後半戦になってくると、他チームも開発を進め、開発が簡単に行えないスーパーアグリは徐々に下位へ沈んでいきます。

ホンダは8戦目にバトンが入賞するまでノーポイントで、Bチームであったスーパーアグリに後塵を拝す状態でした。また先ほど述べたように空力的にまた敏感になり、コーナー入り口でアンダーステア、出口でオーバーステアが出るという致命的な欠点を持っていました。最終的にチームランキングは6ポイント獲得で8位、バトンはドライバーズランキング15位、バリチェロは20位と散々なシーズンとなってしまいました。スーパーアグリはドライバーズポイントを取れなかったものの、チームポイントを琢磨のスペインとカナダでの2戦での4ポイントを獲得し、チームランキング9位に入りました。

経済危機がアグリホンダを窮地に追い込む。~2008年シーズン~

2008年、世界的な経済が低迷した「世界金融危機(リーマンショック)が起こり、世界の企業は大打撃を受けます。F1でも日本メーカーは大変な事態になっていました。

しかし、最もその影響を受けていたのは「スーパーアグリ」です。

スーパーアグリは参戦当初からエントリーに必要な供託金4800万ドルを支払期限に用意できなかったり、スポンサー契約を香港の企業「SSユナイテッド」がそもそも実体のない会社でスポンサー料が払われなかったりと、資金を確保するのに精いっぱいでした。特に2008年シーズンは先述のリーマンショックの影響を受けて、昨年よりも深刻な資金不足に追い込まれました。マシンはまたホンダの昨年のマシン「RA107」を流用して、「SA08」を投入します。

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引用元:https://f1-gate.com/superaguri/sa08a.html

しかし、母体が昨年のホンダの「RA107」なのと、深刻な財政不足のため、全くといっていいほど、戦闘力はありませんでした。また、ホンダとの技術提携で交渉が難航し、さらにホンダからの申し入れで、暫定シャシーの使用が不可能になりました。

そのため、2008年1月以降のテストができなくなりました。FIAのクラッシュテストに合格したものの、先述の理由で出走できなくなりました。

開幕戦オーストラリアGPの時点では参戦するだけで精一杯な状態で、マシンはまともに開発することができませんでした。開幕戦は琢磨が20位、デイビッドソンが21位と最後尾からのスタートになり、琢磨、デイビッドソンともにリタイアとなります。続くマレーシア、バーレーンGPでもノーポイントになり、その次のスペインGPを迎えます。この時には、亜久里監督はチームを売却するための交渉を進めていました。

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引用元:http://f1hobby.blog73.fc2.com/blog-entry-73.html

スペインGPの時のアグリホンダのマシンはマシンカラーがほとんどない真っ白なマシンとなってしまいました。だれもが「撤退してしまうのか?」と思うようになりました。

決断の日。~スーパーアグリ撤退~

2008年5月6日。都内のホテルにて、記者会見を開いた亜久里監督の口から出た二文字。

スーパーアグリの「撤退」。

この会見を見ると今でも泣いてしまいます。3年間闘ってきたチームがこんな形で終わってしまうなんて思いもしませんでしたから。

こうして、スーパーアグリの3年に及ぶ挑戦はシーズン途中にして幕を閉じたのです…。

親チームのホンダは、スーパーアグリ撤退後も参戦を続けますが、2008年型マシン、「RA108」はやはり戦闘力が足りませんでした。しかし、イギリスGPでのバリチェロの3位表彰台を獲得しますが、開発を2009年型マシン(RA109。のちのブラウンGPのBGP001)に力を注いだため、これ以上開発されることはありませんでした。

ホンダ、再び休眠する。~F1、3度目の撤退~

2008年シーズンのホンダは、入賞はわずか4度に終わり、コンストラクターズランキングではポイント獲得したチームのうちでは最下位となる9位でシーズンを終えました。

そして。

2008年12月、ホンダは、再びF1の舞台から撤退しました。第三期ホンダF1は一度もチャンピオンをとることができないまま再び休眠期に入りました。

スーパーアグリ、新たな地で走る。~その後のスーパーアグリ~

スーパーアグリは施設や設備をすべて競売にかけられ、消滅しました・・・・とはなりませんでした。

現在でも

実は、スーパーアグリは走っているのです!!

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引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/831591

このSA06を所有している、ドイツ人オーナー、ウォルフガング・ヤクシさん。

実は彼、スーパーアグリと佐藤琢磨の大ファンだったのです。

彼はいつかスーパーアグリのマシンを買おうと、オークションサイトで毎日競売にかけられていないかチェックしていました。'16年にイギリスで行われていたオークションにスーパーアグリの'06年のマシン「SA06」とスペアパーツが出品されたため、迷うことなく購入したのです。

「2006年にテレビでスーパーアグリの走りを見たとき、衝撃に打たれた。ゼロからチームを立ち上げて、F1に参戦。諦めないで戦う、あのレーシング・スピリットはいまでも忘れられない」(ヤクシ)

とヤクシさんは語っています。

夢はスーパーアグリの復活。

ヤクシさんの所有するSA06はBOSSGPというレースに参戦していました。 

BOSS GPとは、過去のフォーミュラカーを使用して行われる混走レースで、「Big Open Single Seater」の略。F1のほかGP2、F3000といったマシンが参加していました。2018年は4月にドイツ(ホッケンハイム)で開幕し、5月のオーストリア(レッドブルリンク)、6月末から7月頭にかけてのイタリア(モンツァ)に続いて、今回のF1ドイツGPのサポートイベントは今シーズン2度目のドイツ戦でした。

 ヤクシさんには夢がありました。

 それは、志半ばでレースの表舞台から姿を消したスーパーアグリを復活させ、栄光を手にすることでした。だから、スイスに構えるチーム名に、あえて「スーパーアグリF1」というロゴを使用したのです。

 そして、2018年の7月1日にイタリア・モンツァで行われたレースで、見事優勝を飾りました。

 2018年のF1のドイツGPが行われていたホッケンハイムで、ヤクシさんは亜久里さんにこんなメッセージを送っています。

「親愛なる 亜久里さんへ 私はあなたのマシンを保有できて、とても光栄です。あなたのマシン、そしてあなたのチーム名は、いまでも生き続けています。 私は生き残ったそれらとともに、これからもBOSS GPでレースを戦い続けます。尊敬と賛辞を込めてウォルフガング・ヤクシより」

ヤクシさんの夢と、違う形で復活したスーパーアグリは、ヨーロッパというかつてF1で戦った場所で今も挑戦を続けています。

コラム:ホンダの2009年マシン、「RA109」とは?

2008年シーズンを戦っている間、ホンダは新たなマシン、「RA109」の開発を始めました。RA109は2009年のレギュレーションに合わせて、大きく姿が変わったマシンになります。まずリアウィングが小さくなり、フロントウィングが大きくなりました。このため、走行時に生じるダウンフォースが削減され、スピードの抑制につながりました。しかし、このデザインは不評で「まるで掃除機のようだ」と揶揄されました。

ブラウンGPとして。

2009年、ホンダが撤退したことにより、RA109をどうするかで問題となりました。ホンダの監督だったロス・ブラウンはホンダのチーム株をわずか1ポンドで買収し、自分のチームを立ち上げ、そしてRA109を使用し、「BGP001」として投入したのです。

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引用元:https://japanrionet.blog.fc2.com/blog-entry-9.html

この年限りの活動だったものの、メルセデスエンジンを積んで戦ったこのマシンはぶっちぎりのレースを見せ、なんとチャンピオンを獲得します。

その後、チームの株をメルセデスに売り、そのメルセデスは現在でもF1を戦い続けています。つまり、今のメルセデスの前身はホンダといっても過言ではないのです。

今日も見に来てくれて、ありがとうございました。次回は、今のホンダF1第4期をご紹介します。

またお会いしましょう。

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