解読 ボウヤ書店の使命 ㉜-1
連作長編『カラスの羽根、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根』の推敲と読み直しを始める。これは2020年の8月に創作したもので、長編小説『ポワゾン☆アフロディテ№X』の次に、まさに「急いで書き取る」形で制作した。この作品以前に、短編がいくつもあるが、それは㉛に収めるとして、まずは㉜として長編の『カラスの羽根、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根』の推敲、読み直し、あるいは、もっと踏み込んだ製作に取り掛かろうと思う。
また、この作品は現在制作途中である『星のクラフト』の前奏曲となる小説と考えている。「朗読譜」となっているのは、いずれ絵画作品や立体作品と合わせてギャラリーで展示する予定で制作しており、その際、ギャラリーで朗読する予定なので、朗読しやすい文を製作した。
《 朗読譜
『カラスの羽根、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根』
作 米田素子
第一曲 《死の消えた日》
プロローグ
窓際に目をやると
鉢植えの上に一本の黒い羽根があった。
どうやらカラスが置いたらしい。
よくあることだ。
それを合図に
私はいつものように机の前に座り
カラスが伝えようとすることに耳を傾ける。
どんな場合でも
それは物語の形式を取って伝達されるのだが
その後に起きる出来事から振り返って考えると
鳥たちのもたらす物語は
これから現実に起きる何かを伝えようとしている。
その日もきっと切迫する思いで
カラスが自らの羽根を引き抜いたに違いない。
私は厳かな気持ちになり目を閉じる。
すると
カラスの羽根が鉢植えから浮かび上がり
部屋の中に飛び込んできて
空中で舞うように物語の描線をたどり始める。
一楽章 上空からのビジョン
そこは鬱蒼とした森の中。
手入れの行き届かない樹木がびっしりと生えている。
深いビリジアンの塊だ。
たとえ野生としても、
自然の秩序を創り出している。
そんな中
ある一画だけ
赤土の地面がむき出しになっている。
おそらく
意図的に樹木が引き抜かれているらしい。
その一画を先端にして
ぐるりと向こう側に雫形をした湖がある。
湖の弧を描いている遊歩道は当然
常緑樹と広葉樹で縁どられていて
辺り深い森と繋がっている。
その赤土の部分に
丸太で作られた小屋がある。
小屋の横にはカヌーに似たボートが五艘。
扉の前には案内板が掛けてある。
――1時間1000円、1日10000円
そうか。
貸しボート小屋らしい。
第二楽章 ボート小屋の中へ
小屋の中には年老いた男が一人。
ヘラの形をした板に彫刻をしたり
茶色く変色した紙に
筆で字を書いたりしている。
書いている文字は――
海は好きじゃないが、湖は好き。
海は恐ろしいが、湖は怖くない。
海には空しかないが、湖には森がある。
海には太陽しかないが、湖には月がある。Etc.
そのでたらめな比較を書いた紙が
壁一面に何枚も画鋲で止められていて
それは日に日に増えていった。
ボート小屋には時々
鮒釣りの客が訪れる。
満月の夜には月見の客も。
向こう岸へと渡りたいからと早朝に現れて
一艘のボートを借り
深夜に戻ってくる客もいた。
ボート小屋の主人は
商売気がひとつもないのか
向こう岸に渡りたいと言う客には
――向こう岸に行きたいのなら
遊歩道を歩いて行けばいいでしょう?
迷惑そうな顔をする。
一日中ボートを占領されるのが嫌なのだろうか。
「必ずこのボートを借りて
湖を渡って向こう岸に行くようにと
言われているから。」
岸を渡りたいと申し出る客の多くは
そんな風に言う。
そして
「ある人からそのように言われたからそうするのだ。」
と主張した。
――誰にそう言われたの?
ボート小屋の主人が尋ねると
「言わなければ貸していただけないのでしょうか?」
客は必ずそう答えるのだが
結局のところ言わない。
秘密なのに違いない。
最後には主人の方が問答を諦め
黙って貸してやるのだった。
第三楽章 再来した男
ある日の事――。
かなり年老いた男がボート小屋にやって来て
かつてこのボートで岸を渡ったことのある者だと言い
懐かしそうな
あるいは哀しそうな
とにかく意味ありげな目で主人の顔を見た。
「実は私はもうすぐこの世からいなくなるので
話を聞いてください。」
その男が言うことには
五十年前の晩秋にもこのボート小屋に訪れたらしい。
「居なくなる前に
最後にあなたに言っておきたいのです。」
《男の話》
「私は五十年前のその日
早朝にここに来て向こう岸まで渡り
船着き場にボートを繋いで
対岸にある森に入りました。
そうしようと計画してそうしたのではなく
ただ暇だったのでそうしてみたのです。
ご存知だとは思いますが
対岸の森は
森と言っても人工的な森で
内側には歩道もベンチもあります。
向こう岸にある町の住民が
犬を連れてのどかに散歩をし
子供たちが椎の実を拾って遊んだりもする。
まあ怖くない森です。
実際
湖を渡って行くよりも以前に
私は逆側の町から歩いてその森に入ったことがある。
のんびりと散策したこともありました。
だから初めて湖を渡ってその森に着いた日も
よく知っている町に行く予定で
森の中の小道を歩きました。
ところが
最初はなんとも思わなかったのですが
あれ? 変だなと思ったのです。」
――何が変だったの?
「その時は晩秋だったはずなのに
歩いているだけで汗が噴き出すほどの猛暑。
しかも蝉しぐれに包まれていた。
犬を散歩させる人もいない。
子供たちもいない。
そこでは私ひとりっきりだったのです。」
――それは妙ですね。
私は長い間このボート小屋にいますが
そんな話は聞いたことがない。
「そうでしょう?
それで私はおかしいと思って
森の外に出ました。
以前からよく知っているはずの
森のさらに向こう側の町に、です。
同じ形をした家が
道路沿いに並んで建っているのをご存知でしょう。
ところどころに
チョコレート屋や絵本屋のある町です。
昔からあの町はそうだった。
町の中央に有名な地下水道の遺跡があるから
小さな観光地として
そこそこ賑わっているはずなのだけれど
その日は誰もいなかった。
そして晩秋のはずが
そこだけ真夏。
地下水道にも行って
チケット代を払って中に入ろうとしましたが
チケット切りもいない。
私は無賃で地下水道の中に入りました。
そうでもしないと暑くて
熱射病にでもなりそうだったからです。
もちろん
それまでにも入ったことはありました。
遊歩道を使って森の向こう側にある町に入った。
作業をする人を象った蝋人形が置いてあったり
歴史年表が貼ってあったり
トロッコに乗ることができたりもする。
その日もトロッコはゆっくりと動いていて
料金も払わずに乗り込むことができました。
誰もいない地下水道の中を
私一人が乗ったトロッコは
ごとごと進んでいくのです。
そして出口までたどり着くと
地図を印刷したパンフレットが置いてあったので
手に取ってみると
よく意味のわからない詩が書いてありました。」
――どんな?
「それは後で言いましょう。
とにかくそのパンフレットを持って外に出て
森へと戻り
しばらく季節外れの蝉しぐれに打たれた後
なんだか
地下水道でひとりぼっちだった事が恐ろしくなって
湖のボートをつないだ位置まで戻りました。
すると急に雨が降り出しました。
湖面が飛び跳ねるほどの強い雨。
これではボートで無事に向こう岸に戻れるかどうか。
仕方なく再び森に戻り
屋根のあるベンチで雨が止むのを待ちました。
もう蝉も鳴かない。
地下水道の出口から拝借してきた
パンフレットの地図でも見て過ごすしかなく
どれどれと思って拡げてみると
どこの地図だかわからない
全く知らない町の地図でした。
だから幻のようにも思えるけれど
細かく郵便ポストのある場所まで書いてある。
しかし、この国の、どこかだ。
名前は見たことがないけれど
地図に書いてあるのはこの国の文字だから。
実は私は地理学者で、
少なくともこの国であれば古今東西全ての
土地の名前を知っているつもりでしたから
傲慢かもしれないけれど
地図が不思議でしょうがなかった。
これはどこだ
手がかりを見つけてやるとばかりに
目を皿のようにして眺めてているうちに
雨が止んで
それなら日が暮れないうちにと思い
慌ててボートに乗り込み
こちら側の岸に戻りました。
翌日
改めて今度は森の周りに作られた遊歩道を通って
向こう側の町に行きましたが
今度は季節は狂うことなく晩秋。
蝉しぐれもないし
例の地下水道の前には
間違いなくチケット売りが居て
一応お金を払って入ってみましたが
いつも通り客もいて
トロッコもゴトゴト動いていた。
出口には地図はなかった。
だから
たぶん昨日は幻を見たのだろうと思いました。
普通ならそれで諦めるところでしょうが
性懲りもなく
さらにその翌日に私は
再びあなたのボートで向こう岸に渡ってみました。
さて、再びそこは蝉しぐれの夏。
地下水道に人はおらず
出口に地図もあった。
静寂を通り越した静けさ。
異様な光景。
最初の日と何もかも同じだ。
しかし手にした地図をよく見ると
載っているのは
初めて手に入れた地図とは異なる町。
全く別の町の地図でした。
そしてやはり私の知らない町の地図。
――変な話ですね。
「でしょう?
ということで
その後何度かボートで渡ってみましたが
どの時にも結果的に地図が手に入るものの
必ず別の新しい町の地図。
やはり私の知らない町でした。
私はその地図を集めるのが趣味になって
大学の研究室に来る学生たちを使い
地下水道にある地図を取りに行かせた。
学生たちには
『ボート小屋の主人であるあなたに聞かれても
絶対に私の名前は言うなよ』と言って。
初めて湖を渡る学生には
私の不思議な体験については伏せておきました。」
――なるほど。
それなら覚えがあります。
向こう岸に渡る為にボートを貸してくれ
ある人にそうしろと言われたのだ
ある人の名前は言えないけれど
と、主張する若い客が何人も訪れたのでね。
「学生たちの場合は
地図の置いてある地下水道に辿り着く時もあれば
そうでない時もありましたが
とにかく出入りする学生たち全てに
一度は向こう岸へ行くようにと課題を出す。
するとこんなにたくさん
地図が手に入った。」
男は鞄からあふれんばかりの紙の束を取り出した。
――そんなにたくさん。
「この趣味のおかげで
私は楽しい時間を過ごすことができました。
学生たちとも謎を共有することができたので
それ以外の研究もはかどりました。」
――ところで最初に仰っていた地図に書いてある
意味のわからない詩とはどういうもので?
「よく覚えていらっしゃいましたね。
それならばお見せしましょう。」
男は手に持っている地図を一枚ずつ開き始めた。
海は好きじゃないが、湖は好き。
海は恐ろしいが、湖は怖くない。
――あっ、それ、私の。
「あれはあなたの詩でしたか。」
男は壁に貼ってある紙を指した。
――ええ、私の。
暇つぶしに書いた
詩ともいえないつぶやきです。
「最近になって学生たちが
ボート小屋の壁に
これと同じ詩が貼ってあると言うのでね
この地図もあなたが作ったものかと。」
――いいえ、そんな、とんでもない。
大それたこと。
ボート小屋の主人は真顔で慌て
手を激しく横に振って否定した。
第四楽章 再来した男の願望
「このパンフレットの地図ですが
この中に、私
知っている町がひとつだけありました。
子供の頃に行ったことがある。
この地図を見ると、ほら
例の地下水道の出口から西に向かうと
動物園があり
その横にある駅からモノレールに乗って
海に向かうことになっている。
もちろん湖を渡らずに
湖の横にある遊歩道をぐるりと周って
向こう岸の町に行ったからといって
地下水道の西側には
そんな動物園もなければ海もない。
私の知っているその町の名前は
この国の文字で書いてあったとしても
ずっと遠い国のものであり、
この辺りに存在するはずはないのだから。
ですから、今日、この地図を持って
ここでボートを借りて向こう岸に行って
それから地下水道に行き
その出口から西に向かえば
遠い国のその街に
辿り着けるのではないかと思うのです。
きっと幻のように道が続いていて。
私はそのまま旅に出ようと考えています。
しかし、そうすると
ボートを返すことができない。
ですから
できれば一緒に向こう岸まで来て頂いて
それでご主人
ボートに乗ってこちらに戻ってくださいませんか。
学生たちにも同様のことを頼んでみたのですが
みんな
そんなことは嫌だと断るのです。」
男は地図をボート小屋の主人に渡した。
地図を観ると
確かに地下水道から向こうに
見たことのない町の地図が広がっている。
――お断りします。
ボート小屋の主人はきっぱりと断った。
「どうして? お忙しいのでしょうか。」
――そうではありません。
私の仕事はボートを貸すだけで
道案内はしないのだから。
なんだったらおひとりで乗って行き
向こうに乗り捨てられたらどうでしょう。
ボートは何艘か持っておりますし
一艘くらい無くなっても構いませんよ。
「旅立つ前に違反行為はしたくないんだ。」
――どこに旅立つのです?
「それは――。」
急に地理学者の男は黙り込んだ。
――あなた帰ってこないつもりなんでしょう?
だって最初に
『実は私はもうすぐこの世からいなくなるので
話を聞いてください』と仰った。
男が黙りこくっているので
咄嗟にボート小屋の主人は
渡された地図にライターで火を点けた。
「ああ、何をする!」
地理学者の男は慌てて上着を脱いで
燃え盛る地図の火をバタバタと叩いた。
どうにか火は消えたが
地図のほとんどの部分は燃えてしまった。
海は父、湖は母
詩の部分だけは焼け残って
――あれ? これは
まだ僕が書いていない詩だ。
ボート小屋の主人は急いで紙を拾い上げ
皺を丁寧に伸ばした後
抽斗から画鋲を取り出し
恭しく
ぶるぶると震える手で
それを壁に貼った。
プロローグ
カラスのもたらしたビジョンはここまでだ。
私が受け取ったものを文字にして書き取ると
羽根は空中でくるりと一回転したかと思うと
窓際に置いた鉢植えまですっと近付き
再び土の上に柔らかく降りた後
土の中に溶けてしまった。
(了)》
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?