解読 ボウヤ書店の使命 ㉜-2
朗読譜『カラスの羽根、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根』の推敲と読み直しのつづき。
《第二曲《かえないもの》 作 米田 素子
プロローグ
中庭に降りて
ふと見ると
植え込みにグレーの羽根があった。
落ちたのではないだろう。
それは明らかに
置いてあった。
ヒヨドリから私に伝えたいことがあるのだ。
私は眼を閉じ
その物語を聞く。
ヒヨドリが言いたかったのは
どうやら
――あの物語が好き。
第一楽章 空から見たビジョン
サルスベリが咲いている。
暗い夜道に
つるつるした幹と濃いピンクが
ぼおっと光って浮き上がって見えた。
サルスベリの咲いている緑道の向こうは
アスファルトで固められた水路で
流れている水は絵筆を洗った後のようだった。
泡立った水面に
満月でもない
平凡な月が映り込んでいる。
第二楽章 月のお散歩
マスクをしているので
ぬるい藻の匂いはしなかった。
近頃の街は
コロナ防止マスクのおかげで匂いが消えて
よくできたアニメーション映画のようだ。
マスク、効く?
効かない?
どっちでもいい。
コロナ、本当?
嘘?
そんなこと知らない。
無臭の生暖かい風が吹いて
もとから欠けていた水面の私が
はらりと散った。
私の香りがする。
もちろん
気のせい。
だけど
何か金属をバーナーの火で
焼いたような匂いがした。
遠い記憶から漂ってくる。
第三楽章 二人の男
緑道の空き地でスーツを着た男が二人
立ったまま缶ビールを飲んでいた。
居酒屋では三密が気になるのか
どこかで買ったらしい焼き鳥のパックを持って
会社帰りの一杯飲みといったところ。
二人とも私には気付かない。
――そう言えばこの前
地下水道を出たところで
知らない男に声を掛けられてね。
『悪いが、この店に行ってきてくれないか』と
こんなものを渡された。
男の一人が
スーツのポケットから一枚の葉書を取り出して
もう一人の男に見せた。
「ギャラリーかな、これは。」
――そう。小さな個人のアートギャラリー。
「知らない男が、どうして?」
――どうして僕が選ばれたのか知らない。
この店に行ったら
青緑色の硝子で出来た水差しを
買うようにと言うんだよ。
「なんだそれ、童話じゃないの?
それを買ったら
なかからコインがざっくざく、とか。
または変な詐欺とか。」
――確かに
そういう類の話に思えるよね。
だけど近頃コロナのせいでなんだか暇だし
ちょっと行くだけ、行ってみた。
男は缶ビールをぐいと飲む。
「まじで? で、買ったの?」
――いや、買わない。
「あるには、あったの?
それ、その水差し。」
――あった。
男はポケットからスマートフォンを取り出し、
――これだよ。写真だけ撮った。
隣の男に見せている。
「ほお、なかなか、いいね。
で、これ、いくら。」
――ないんだ。
「ないって?」
――値段がない。
これはね
売り物じゃないんだと店の人が言ってた。
「ふうん」
二人の男は急に黙って
缶ビールを飲み
焼き鳥を頬張った。
――だから、買えなかったのだ。
「じゃあ、なんで
その知らない男は
それを買えって言ったんだろう。」
――さあ、知らない。
今となってはもう謎。
男は空っぽになったらしい缶を
ぎゅうと握りつぶした。
もう一人の男もぐいっと飲み干し
同じように缶を握りつぶした。
第四楽章 月の気持ち
私は再び歩き始めた。
本当は
「それ、どこのギャラリーですか?」
と聞いてみたかったけれど
やめた。
だって、はしたないでしょう?
立ち聞きしていたことがバレたりしたら。
匂いのしないコロナの緑道を歩く。
水路の水は夜空色に沈み
風が吹いたのか
サルスベリの花びらが浮かんでいた。
エピローグ
「平凡な月の出る夏の夜
水路際を縁取る緑道の
サルスベリの木に止まっていたら
こんな光景をよく見かけました。
それをお伝えしたくて。
だけど物語は誰のものでもない。」
と、ヒヨドリは言う。
「あの羽根を植え込みに置いたのは
私こそが届けた物語だと言いたいのではなく
この世にあるお話の
好きなひとつに入れた一票です。
羽根をお金に換えて買いたくても
決してかえないものだから。」
灰色の羽根は本物の羽根。
私はそれを指先で拾い上げ
部屋に持ち帰り
白い貝殻の器に入れた。
(了)》
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