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解読 ボウヤ書店の使命 ⑬-2

 昨日(2023年3月27日)の夜はミニシアターStrangerにて映画『COMPARTMENT №6』を観た。

主人公ラウラがムルマンスクでペトログリフ(顔面彫刻)を見に行く話だ。向かう列車の中でリョーハと出会う。苦難の末にペトログリフの場所まで辿り着くのだが、結局ラウラが見たペトログリフとは列車の旅の中で出会ったもの、時間、出来事そのものだ。
 この映画はRosa Liksomが書いた小説からインスピレーションを得て制作されたらしい。そのオマージュとしてなのか、リョーハが「映画タイタニック号みたいだね。ローズ(ラウラを指している)は生き残るのだ」と言うシーンがある。はっとさせられる。私の妄想として映画を観ている間中、リョーハにはとあるリーダーの若き日の面影があったからだ。ラウラにはそのリーダーの「かつての妻」の横顔が感じられる。リョーハは映画タイタニック号の「ジャック」、ラウラを「ローズ」と見立てると、飛躍して、「とあるリーダーは難局を予知して、かつての妻を生かしたのかもしれない」と読めなくもない。もちろん、ここまでくると盛り過ぎた妄想に思えるが、ラウラを演じる美しい女優をわざわざ冴えた容姿に映していないのは、「かつての人」を表していると予想できる。恐らく、多くの鑑賞者が「どうしてリョーハは列車の中で偶然遭遇したラウラに突然恋をしたのか、ラウラは一目ぼれされるような姿として撮られていないのに」と感じると思うが(←ものを食べる時に口の周りに食べ物をくっつけていたりする)、この「あり得なさ」がキーなのではないか。ラウラが担当する記号として、「素朴な方のかつての妻」であることを指している。

 前置きはこのくらいにして、『キャラメルの箱』。昨日は主人公の「僕」がりんごおばちゃんに「りんごおばちゃんも悪いのだ」と口走ってしまったところまで復刻した。続きを復刻しよう。
 
《正座したままいきなり体ごと振り返ったので、
 畳がこすれる鈍い音がした。
  —―わっ、なんだ?
 僕は座ったまま、
 ほんの少しのけぞり姿勢。
 母はぐいと起き上がって仁王立ち。
 握り拳を振り上げ、
 わなわなと震えながら何かを言おうと口を開いた。
  ――まずいかも。
 やっとそこで、
 僕はどうやら失敗したらしいと気付いた。
 空気が凍り付いて、
 ひやっとばかりに大きく目を見開いた。
 りんごおばちゃんは一瞬泣き止んだ。
 泣き止んだかと思うと、
 わぁーと子供みたいに大声を上げて泣き、
 手にしていたハンカチを大きく広げて顔に当てた。
 ぽってりと太った背中が、
 ひとつ泣き声を上げるたびに
 大きく盛り上がっては揺れた。
 ひとしきりそうしたかと思うと、
 そばに置いてあった巾着袋を持って立ち上がり、
 怒ったようにわざと音を立てて歩き、
 玄関の方へ行った。
 靴を乱暴に履く後姿が見える。
 戸を乱暴にガラリと開け放ち、
 閉めることもせずそのまま出て行ってしまった。
 だけど案外冷静な部分もある。
 自分の巾着袋以外に、
 おみやげに持って来た大福餅の袋を
 ちゃっかり忘れずに持って行ったのだから。》

 ささやかなようだが、りんごおばちゃんにとっては大展開だっただろう。これまでは、他の大人たちが「りんごおばちゃんの方も悪い」と陰で言っていることを知らされてはいなかったのだから。
 こういうことはよくある。なんらかの力学的な都合で、表面上は傷つけられてばかりいるかのように取り扱われている側が、陰では「本当はどっちも悪いよ」とひそひそ言われているのだ。

 今日は明確に言えることはそれほどない。前半の映画の批評部分と、後半の『キャラメルの箱』復刻部分が、なんらかの主語述語として書くことができたか自信がない。

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