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解読 ボウヤ書店の使命 ㉜-5

 さて、ネット上、初公開となる文をここに公開しよう。ボウヤ書店では非表示になっている。
 流れとしては、この朗読譜『カラスの羽根、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根』の続きではあるが、私にとっては実体験の書き取りであり、鳥からもたらされたものではない。
 一度、ほぼ推敲せずに掲載する。タイトルは《地球外知性体》である。書き取りは2020年9月28日だった。
 今思えば、この朗読譜『カラスの羽根、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根』は、最後に書き取ったこの《地球外知生体》が最初の出来事で、事実を照らし合わせて考えると、第四曲、第三曲、第二曲、第一曲と時間が進んだのだ。つまり、エドガー・アラン・ポーのように、最後のシーンから書き取ったことになる。カラス、スズメ、ヒヨドリが、最後にはうまくいくことを暗示し、私を導いたともいえる。

《地球外知性体がいるかもしれないと思って空を仰ぐ。それは魚がいるかもしれないと思って空を仰ぐようなものだ。彼らは空にはいない。

 唐突だが、私は昨日、とうとう地球外知性体を撮影してしまった。妖精を写真に収めたという話のように、その写真も出来事も今から思えばどこかフェイクじみたものだった。
 通常、本物の地球外知性体は滅多に撮影できないのではないだろうか。フェイクじみた一連の出来事から考えると、彼らは空ではなく、この水平空間に居る。透明なのか、波長として見えないものなのか、姿を隠して飛行している。物質化された状態で類似しているものと言えば、蜻蛉や蝉、小さな蝙蝠。虫の知らせというように、テレパシーの中継はこの地球外生命体が連携して行っているのかもしれない。

 フェイクじみた一連の出来事について、順を追ってみよう。

 私はその時、とある一連の厄介ごとを抱えていた。その厄介ごととは、十年ほどかけてゆっくりと壊され続けてきたもののことだった。それが、いよいよ限界の時を迎えようとしているが、周囲が十年もそれに対して無関心だったせいで、結果、どのように壊れるのかもその時まで知らなかったという。私の方でどうにかならないかとの依頼だった。
 もちろん、結論から言うと、簡単にどうにかなるものではない。責任の在り処も知らない。今更、直ちにはどうにもできないというのが、正直な思いだった。
 問題は、この厄介ごとがこれから引き起こすかもしれない顛末のいくつかが、私の脳裏にビジョンとして次々に送られてくることだった。厄介ごとに関わっている人々の考えではなく、地球の真ん中から、目の前の空間に吹き出してくる蒸気が前頭葉の一点から流し込まれてくるようである。私の自発的ではない悪夢。地球や宇宙の理屈が創り出している顛末の可能的提示としての悪夢。
 この外から流れ込んでくる悪夢に対して、身体は反応した。ホラー映画を観て鼓動が大きくなるのと同じ。そもそもの厄介ごとは私の責任の範疇でなかったはずなのに、もはやこの流れ込んでくる悪夢が、新たに固有の厄介ごととして私の前に立ちはだかっていた。

 なんとかしなければと思いながら、なすすべもなくネット検索していると、知り合いの古書店が「古書店主は古書店名で呼ばれるようになる」というツイートをしているのを見て、ふと、ああ、この方は〇〇リスさん、もうひと方は△リスさん、と考えていて、なんとなく、本当に意味もなく、ボリス・ジョンソン首相のことが頭に浮かんだ。
 そして、イギリス、ルイスキャロル、ナショナルギャラリーと連想し、何気なく、ナショナルギャラリー展で買ってきた紅茶の缶を見た。かつて私の中で「ルイスキャロル降臨事件」と呼んでいる出来事の最中にフィラメントの切れた電球があり、意味もなく、それをテーブルに掛けたパッチワークキルトの上に並べて、スマートフォンで撮影したところ、その紅茶の艶々した缶の側面に、件の地球外知性体らしきものが写り込んだ。慌てて同じシチュエーションで何度か撮影してみたが、それが写り込んだのは最初のものだけだった。姿は、葉巻型UFOと呼ばれているものにも似ているし、「風の谷のナウシカ」に登場する王蟲にも似ている。
 私は写真をパソコンに移動し、画面上にルーペを近づけてまじまじと眺めた。
 ――どうやってこれが、たった今ここに写り込んだのか。
 見れば見るほど、私は混乱し始めた。
 写真の中の、さらに缶の表面に、その物体が写っているのである。手前にその缶に映るべき物体は何もないのにも関わらず。二重のだまし絵のようだ。その映像を見ることで、あの厄介ごとの悪夢がどろどろとかき混ぜられ、もっと奥へと押し寄せてくるかのようだった。吐きそうになる。

 気持ちを切り替えようと立ち上がり、外に出た。もう夜で、過ごしやすい秋風が吹いており、階段を降りて庭に向かおうとした時、階段の手すりに三センチくらいの黒い虫が止まっているのが見えた。コオロギか? 刺激しないようにそっと通り過ぎようとしたが無駄。黒い虫は鋭い速さで飛んで私の腕に飛び掛かり、私は、きゃっ、と声を上げて掃った。追いかけてこないかとぞっとしつつ、足早に階段を降りて、庭に下り立つと、今度は庭園から尋常じゃないコオロギの鳴く声が響き渡って、ゼリー状の闇を金属色に変えていた。
 いくつかの用事を済ませて部屋に戻り、疲労しきった状態になった時、突然、私にヒステリーが湧き起こった。

「察しないこと」への怒りが爆発したのだった。具体的に何を察しないことだったかには意味はなく、とにかく、「察しないこと」に対するアレルギー反応が起き、耐えきれない思いが止まらなくなった。
 こうやったら、こうなるだろう。
 これが、察するということ。
 わかるだろう、それくらい。
 だけど、察しない。
 察しない。その怠慢により生じた厄介ごとが嫌だった。
 私のヒステリーは伝播して、周囲に緊張が起きた。
 ところが、むしろその緊張によって、最初にもたらされた厄介ごとの期限は切れた。電球のフィラメントが切れたのと同じように。

 〇〇リスさんと△リスさんとボリス首相(?)の囲いによってか、写真の中で地球外知性体は瞬間的に捕獲された。あたかも虫のようであり、電池のようでもある。

 察しない事。むしろこの怠慢により、当初の厄介ごとはショートを起こして、少なくとも私の前からは消え去った。悪夢は消えたのである。
 察しろよ、と地球外知性体は言う。
 なんのことかしら、と察しない。(了)》

 追記:あのコオロギはなんだったのか。コオロギが私を襲ったのは覚えている。その後、コオロギを食べる話がネット上で出回って、ぞっとしたものだった。(⇐この追記は20240524記述)

#朗読譜
#カラスの羽根 、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根

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