自己投影と親心
娘の成長と心のざわめき
自己投影という言葉であっているのだろうか。
この春、小学1年生になった娘を見て、ざわざわしたり、
友人関係をコントロールしたいという気持ちになることがある。
なんでそんな気持ちになるのか。
ぬっちさんとお話をしていて、言われた言葉にハッとした。
「愛さんの過去になにかあるのかもしれないですね。」
小学生時代の記憶
小学1年生、2年生のころの自分は学校に行くのがいやだった。
大きな団地に住み、習い事も学校の体育館で行うバトントワリング。
すべての人間関係が、小学校と紐づいていた。
人間関係が良好であれば、それも楽しく幸せだったのかもしれないが、私の場合はそうではなかった。
いじめられていたというほど壮絶なものではない。
ただ、仲良くなったあっこちゃんという女の子が、強め女子だっただけ。
私自身が、影響を受けやすい子だっただけ。
あっこちゃんは、よく赤いスカートをはいていた印象がある。
今日の遊び、遊ぶ場所、遊ぶメンバーすべてあっこちゃんが決めていた。
私たちはそれを「うん」と受け入れていくしかなかった。
もちろん楽しい日もいっぱいあった。
でも、仲間外れにされた日もあった。
友達を仲間外れにしてしまう日もあった。
毎日同じメンバーで、登校して下校する。
息が詰まって、団地の7階の踊り場で泣いた思い出がある。
たぶん私は、当時第三の場が欲しかったんだ。
娘への期待と第三の居場所
娘は今、仲良しの友たちができた。
あっこちゃんとは違う。明るい女の子だ。
ただ、私は、その子にあっこちゃんを重ねてみている。たぶん。おそらく。
命令にそむけない考えを支配される苦しかった小学生の自分が、
娘がニコイチ状態であることを受け入れられない。
私にいまできることは、娘に第3の居場所を提供すること。
と思っているけど。それは当時の私を救うだけなのかな。
それでも、私は娘に学校以外のコミュニティに属してほしいと思い、探している。