彷徨う好き
振り返れば『 前を向く 』と表現することの多い1年でした。
しかし『前向き』とはいったいどんな状態か?と考えた時に思うのは…やはりその言葉通りに前を向いている姿勢を指す。とは言え、心理的な意味合いで表現しているので姿勢そのものよりも心構えについて述べているに過ぎない。『後ろ向きでは無い…過去に縛られない自分』とも言うべきでしょうか?
ある日突然、『好き』の対象を失い…心の行き場を見失い…『好き』が彷徨ってしまった。
『好きな人』だったのに…どうして?…何故?…どうしたら良いんだろう?…延々と答えの出ないquestionが沸き上がってくる。打ち消しても…考えるまい…と思い込もうとしても…止める事の出来ない問いを次から次に思い付いては「駄目だ!」と否定する心。
分からないのは彼がずっと一番であったワケでは無かったのに?彼以外によそ見をしてこなかったファンでも無いのに? 自分にはそんな事を考える権利は無い!と言い聞かせる。そう思いながらも、ネット検索を止められずにいる自分が居て…何を見て、何を読んで、何を信じれば良いのか?全く分からなくなってしまった。そして、手当たり次第に検索記事を読む事を止めてみた…本当は、そこに求める答えなど無いのは分かっているのに依存していたに過ぎなかった。それよりも自分が知らなかった彼や彼の作品を観てみたいと思う気持ちが強くなりDVD を購入したり配信サービスやYouTubeを見る様になっていった。記事も事件として取り上げてあるものから…彼自身を追悼する記事を探すように変わった。気にならないと言えば嘘になるけれど見ないように心掛けた。途中からどんどん怪しげな噂が立ち出して、これではDVD の販売さえ無くなるかもしれない!と不安に襲われて絶対に見逃したくないものや初期の頃の作品を購入していた。
そんな時に知った『ハンサムライブ』にドハマりした。楽しくて、可愛くて、ワチャワチャしてて哀しく沈んだ心を救い上げてくれた。YouTubeでその存在は知っていたけれど…まさか今でも購入出来るとは思わずに調べてみてアミューズのサイトに行き着いて迷わず手に入れた(*^^*) 毎日仕事場にパソコンを持ち込んで観たり、カーナビでDVD を観られる事を発見して(笑)一緒に働く健ファンの友だちまで巻き込んでキャーキャーと騒いでいる。
結局、彼を失って悲しい気持ちを癒してくれるのは彼だったのです。
noteやTwitterとの出会い…その中で知り合った新たな友人たちに支えられて、いま立てて居るなと感じています。自分ひとりだったら1年たった今でも最初の頃の自分と変わらないかもっと悪い方に引き摺られていたかもしれません。偶然知り合った人たちが皆さん『前を向かせてくれる』言葉を掛けて下さって揺るぐこと無く『三浦春馬』と言うひとを真っ直ぐに大好きだと言える…この年齢でも恥ずかし気もなくミーハーに(笑)追い掛けている自分がとっても楽しいと思えています。彼のことに想いを馳せる時に時折り襲われるこの気持ちはネガティブで危険かもしれないけれど…想いを同じくする仲間たちとの語らいに癒されて、励まされて自分はひとりでは無いと思い出させてくれる。例え悲しくても…一緒に乗り越えようね…と支え合える安心感にこれが『春友』と言う繋がりなんだな…と安らぎを貰っています。これは春馬くんの人柄とそこに集うった人たちがお互いにリンクして優しい場所であったから…それ以外のナニモノでも無いなと思います。彼を慕う場所がいつまでも暖かな場所で在って欲しい…と護ろうとする人びと…彼を失ったショックから病気になってしまった彼女たちの為に守り居続ける人たち…あの夏以前から居た人たちの未だに癒えない心の傷に少しでも寄り添いたいと思う自分がいて…そうすることで自分自身を立たせて前を向かせる事が出来ています。
それが正しい事なのか?間違っているのかは分かりませんが自分を信じていたいと思っています。
それがいまの自分にとっての『三浦春馬』への向き合い方なんだな…と思っているので。
皆さんにとっての彼との向き合い方はどんな場所を向いているのでしょうね?
願わくば…暖かな温もりの在る場所でありますように(^人^) と想います。