記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

『ゴジラ-1.0』の感想書く

はじめに

正直な所、この作品の感想を書くというのは、自分にとって非常に気の乗らない作業である。その理由を端的に述べると「周りのゴジラヤクザが怖いから」という所に尽きる。
勿論どんな作品にもヤクザは存在すると思うのだが、特にこのゴジラに関してはヤクザが非常に身近な存在なのである。にわかな僕が下手にドヤ顔で語ると刺されそうだな~という懸念がモヤモヤと心の中を渦巻く訳だ。

とはいえ『シン・ゴジラ』以来7年ぶりの実写邦画ゴジラである訳だし、この作品を観て得た情動を未来の自分へ残すという意味も込めて、今からせっせと駄文を拵えていきたいと思う。

ちなみに途中から凄いネタバレします。

率直な感想

鑑賞中に自分がずっと抱き続けていた感想が「この映画、加点方式ならまず間違いなく100点だな…」という物だった。
それはこれを書いている今でも変わっていなくて、要するに
部分部分で気になる所はあるものの、要所要所のポイントはしっかり抑えている、しっかりと満足感のある映画
という評価だ。

例えば「新しいゴジラの映画気になってるんだけど、どうかな?」と聞かれたら、「うるせぇ!黙って今すぐ観に行っとけ!」と即答するだろう。そこで足止めする理由は特に存在しない。

それこそ7年前に一世を風靡した『シン・ゴジラ』と比べると、全く異なる作風になっているのは確かである。ただ、この点に関しては寧ろシンゴジが特異過ぎる作品だったという方が正しい。どちらかと言うと今回の『ゴジラ-1.0』の方が「ゴジラらしい」作品だ。ゴジラらしいとは
なので「シンゴジ面白かったんだけど、今回のはどう?」と聞かれると、考え込んでしまう所があるのは事実。
そこに明確な回答は存在しないのだけれど、少なくとも悩んでいるくらいなら観に行くべきだと思う。「なんだこれクソつまんねー、時間と金の無駄だよ!」となる可能性はかなり低いと思う。

加点方式なら……?

加点方式ならという話をしたが、ここで気になるのは「じゃあ減点方式ならどうなるの」という点だろう。
個人的にその減点方式での点数が人によってかなりブレると思っていて、90点台の人もいれば0点近く落ちる人もいるだろうし、もしかすると-10,000点とか言い出す人がいるかもしれない。
予想としては、多くの人が80~90点位に落ち着くのではないだろうか。

ちなみに自分は減点方式で何点かと言うと……うーん、50点ぐらい?
そこの評価が定まり切っていないというのが実際の所。(寧ろ減点方式で50点残る時点で相当いい映画)
ただこの50点も、正確に言うなら「+120点と-70点、合わせて50点」という感覚の方が近い。

世の多くの人は十分に満足して加点方式で100点、減点方式でも80点をつけて帰るような映画なんだろうな、というイメージ。
というか、下手な減点くらいなら帳消しにしてしまう程の映像の迫力があるのがこの作品だ。(さっき+120点とか言ったのはこれ)

要するに、この作品は恐らく「物凄く大衆受けする」映画だと思う。VFXも非常に馴染んでいるし、分かりやすいヒューマンドラマもある。物語の起伏や緩急もしっかりとしていて、心をちゃんと揺さぶってくる。何よりゴジラがゴジラしている。
「お、新しいゴジラやってんぞ見に行くべー」くらいの感覚の人は、スッと楽しむことができるだろう。

以下ネタバレあり

物語全体の話

これは2回目を鑑賞した際に思ったことなのだが、この映画は掴みが非常に強い作品になっている。
導入もそこそこに、大戸島へゴジラが上陸する。そこでゴジラは、銃火器をものともせず人間達を蹂躙した。ゴジラのサイズこそ15m程度と、普段と比べるとかなり小ぶり。だがその恐怖と迫力が、「これからどんな映画が始まるのだろう」と、まだ身構えている途中の我々にしっかりと大き過ぎる爪痕を残していく。

あれ程迄に暴虐な存在であるゴジラを逃してしまった事、しかもその要因が主人公の敷島にあるという事。自分のせいで何人もの人達を見殺しにしてしまったという十字架を、敷島自身が背負ってしまった事。(ただあの時点で20mm機銃を撃っていたとして、それでゴジラを殺せていたかと言われると疑問ではある)

しかも生還した敷島を待っていたのは、両親が他界した現実と焼け焦げて崩れてしまった我が家。子供3人を亡くした隣人に、おめおめと帰ってきたことを責められるという、まさに絶望的な状況であった。

これらの問題をどのように解決していくのか。そんな問題提起を冒頭で投げかけられて、すっかりこの『ゴジラ-1.0』という作品に引き込まれてしまったのは間違いない。

その後も息をつかせぬ展開が続き、ゴジラの銀座上陸までは本当に夢中になって観ていたように思う。

一方で、ワダツミ作戦が始動した頃から少し失速したように感じたのもまた事実。
そもそもこの作品自体ストーリーの穴はそこそこあるのだが、ワダツミ作戦周りでその穴が遂に無視できないくらいになってくる。
加えてそこまで予想もつかせぬ勢いだったストーリー展開もどこか落ち着き、それ以降は(基本的に)予定調和で話が進行していく。

決して予定調和が悪いと言いたいわけではないのだが、「あーなるほど結局そこに着地させたいのね」みたいな所が透けてしまうのが良くない。

ただそのワダツミ作戦も、映像の迫力自体はしっかりとある。なので基本的には最後まで突っ走ることができる作品なのかなと。

良かった所

ゴジラ

この作品で自分が最も褒めたい部分は「ゴジラの迫力」だ。ゴジラの出現シーン全てにおいて、ゴジラの放つ威圧感、そして我々人間の無力感がスクリーンを通して痛い程に伝わってきた。まさに「人がゴミのように」蹴散らされていくのもゾッとする。
ここで比べてしまうのも申し訳ない話なのだが、今回のゴジラに感じた諦観というのは、自分が初めて『ゴジラ(1954)』を観た時の感覚に割と近かったように思う。「いやこれどうやって倒すんだよ…」という絶望。

それを後押ししたのが、やはりVFXの馴染み具合だ。『シン・ゴジラ』でのVFXの出来も相当な物だったが、今回のゴジラはそれを超える完成度だった。あまりにもリアルで、リアルだからこそ恐怖感が伝わってくる。

海戦シーンの出来も凄まじい。ゴジラ自体の質感もそうなのだが、海水の処理がまさに100点満点だった。あそこまでの海水の処理となるとそれはそれは途方もない手間になると思うが、それに見合うだけの迫力がそこにはあった。

熱戦の吐き出し方も素晴らしく、背びれが段々ガチャガチャと引き出されながら、溜めて溜めて口から一気に発射される姿には流石に興奮した。
冷静に考えると「いやそのギミック生き物としてどうなんや」と思わなくもないが、純粋に画の迫力が勝っていたと思う。発想の勝利。脱帽です。

正直な感想として、邦画という括りの中で言えばトップクラスに映像のクオリティが高い怪獣の映像だったと思う。(ゴジラのね、その他の日常描写は知らん)
大画面で見れば見るほど、大音量で聞けば聞くほど迫力が増す。まさに映画館に足を運ぶべき映画。

映画の評価ポイントとしてはそれこそ人それぞれだと思うのだが、「めちゃくちゃ迫力のあるゴジラが日本の街並みを壊していく映像を、大画面で観ることができた」。ただそれだけで、1,900円分の価値がある作品と言ってしまっても良いと個人的には思っている。

重巡高雄

自分が一番興奮したのが、ゴジラとの海戦の緒戦。木造オンボロ船で敷島達がゴジラに挑んだシーンである。
巨大な船を食い破る程に成長したゴジラの迫力。そのゴジラに、13mmの機銃とたった2つの機雷で挑まなければいけないという絶望的状況。

そんな貧相過ぎる装備の中、なんとか気合と根性でどうにか大きな傷を負わせるも、なんとゴジラはそのすぐ側から回復してしまう。そこにようやく駆けつけたのは我らが重巡高雄。勝った第三部完ッ!と思いきや、そんな高雄を引き裂いたのはゴジラ渾身の熱線だった……

というまさに怒涛のジェットコースターのような展開を見せたのがここでの戦闘。
やったか!?」→「やってない」を何度も繰り返し、結果的にはゴジラとの圧倒的なまでの力の差を見せつけられるのみであった。

ここの場面での感情の揺さぶられ方は、本当に凄かった。
口で機雷が爆発した直後にその傷が再生していく瞬間には、恐怖でまさしく鳥肌が立ったし、高雄が駆けつけた時にはそれこそウルトラマンが来た時くらいに興奮した。

それまでずっと海中に身体を潜めていたゴジラが立ち上がり、その巨体を我々に見せつけて来た時はその威圧感に震えた。

その後の銀座のシーンも中々に衝撃的だったが、一番お気に入りのシーンはと聞かれればここと答える。「ちっぽけな人間が知恵と勇気で必死にゴジラに立ち向かう」様がそこにはあったように思う。

悪かった所

もっと暴れてよ

ゴジラの存在感について褒めちぎったばかりで言うのも何なのだが、ゴジラの迫力が凄まじかったからこそ、ゴジラが街を壊す様子をもっと見たかったというのが正直な感想。
それこそゴジラが街中で暴れていたのは中盤の銀座のシーンだけで、次の上陸はド田舎だったし、しかもすぐ海に誘導されていった。

デカい生物がビル群を壊していくだけで満足できるタイプの人間としては、物足りなかったというのが本音である。

恐らくあのクオリティのゴジラを動かそうと思うと、手間暇お金がとんでもない事になるのだろう。だからこそゴジラが暴れるシーンがあの程度の尺になってしまったのだとは思うのだが、それはそれ、これはこれ。
観たい物は観たい。

今作はヒューマンドラマの尺が結構長めに取られている。自分はそこに対して、特に声を上げて異論を唱えるつもりはない。ただせっかくのゴジラなのだから、そういう部分を削ってゴジラがただただ暴れ回るシーンに回してほしかったという思いはどうしてもある。

巨大生物が街で暴れるだけで嬉しいと言ったが、実はそんな自分ですら
「いやぁ、戦後でせっかく復興している日本の街並みをそんなに壊さないで欲しいなぁ、生き残った人たちを殺さないでよ、やめてよぉ…」と思ったのも事実。
自分は普段そういった事を全く気にしないので、この映画はそういう意味ではかなり特異と言える。そんな部分が「-1.0」なのかなと感じた。

演技の話

他の人の感想は流し見している程度なのだが、その中で演技について触れているものが一定数見受けられた。

かと言って特に気にして観たという訳でも無いのだが、鑑賞2回目の際に皆の「演技」が自分の心に大きく引っかかってきた。

確かに今作の演技は全体的に大仰と言うか、言ってしまえば「クサい」ものになっている。ただ自分としてはそれが決して悪いという訳ではなく、良い方にも悪い方にも作用しているなと感じた。

例えばワダツミ作戦が発表された時に大勢の人が集まっていたが、そこでの「死ぬって決まった訳じゃねぇんだろ! じゃあ戦争よりマシだ!」のようなわざとらしい演技からは、ゴジラに屈してなるものかという日本人の気骨が感じられた。映画を観ている我々すら鼓舞するような縁起だったと思う。
また佐々木蔵之介の演技もどうのこうの言われているが、個人的には全く気にならなかった。

一方、敷島と典子のシリアスな場面での、彼らのそういうクサい演技をされてしまって引いてしまったのも事実。
今作では良い意味で「ゴジ泣き」という言葉が使われているが、自分が本作に全く感動できなかったのは、そういう演技の部分が大きいのではないかなと。明らかに感動させたいんだろうなあという場面でも、二人の大げさ過ぎる演技に冷めてしまっていたので。
(ここまで書いて思ったけど、もしかして神木隆之介と浜辺美波の演技自体が悪かったりする…?)

正直死ねって思ってた

正直なところ、自分は敷島も典子も死ぬべきだったと思っている。
いや確かに作品として、敷島が生き残るべきという理屈は分かるのだが、それでも死ぬべきだった。
生き残るにせよ、「なんか残ってた戦闘機にちょうど脱出装置があったので、良い感じに生き残れちゃいましたー☆」という安直な演出はやめて欲しい。
どう足掻いても死しか待ち受けていない状況を目前にして、敷島が生への執着を最大限に見せて、なおかつ他の人達の全力のアシストがあってギリギリ生き残れるだとか。それくらいの塩梅なら良かったのかなと。
なんならそれでも一歩及ばず命を落としてしまうとか、そんな結末にして欲しかった。

とにかく敷島が死を覚悟するのが早すぎる。典子を喪った悲しみも、明子の未来を守りたい気持ちも勿論分かるし、ゴジラを倒すために自分自身が特攻するのが一番早いという理屈も分かる(事にする)。
けれども、典子があれほど「絶対に生きなきゃいけない」と言っていたし、博士も「死亡者0人を誇りとしたい」と語っていた。そんな中で意固地に特攻を是としてしまうのはいかがなものだろうかと。(でもそんな事まで描きだしたら余計に尺が圧迫されるから、仕方ないと言えば仕方ないのだろう)

典子が生きていたのはもっと酷い話だ。銀座で数万人死んだゴジラの侵攻に対して、主人公の恋人(?)だけが都合よく生きてるなんて話があるだろうか? あまりにも都合が良すぎる。ご都合主義の極み。どんだけ彼女が吹っ飛んでいったと思っているんだ。

いや、本当に奇跡的に生還したとかならまだ分かるのだが、この映画のタチが悪い所は「G細胞」の存在を仄めかしてきた部分だ。
最後に海中でゴジラの肉片が再生していたのもそうで、「とりあえず後味悪くしてやろうぜ」感がとても伝わってきた。

後味で言えば、それこそ『シン・ゴジラ』の第5形態も似たような話だった。なのだが、シンゴジが先にあった以上「とりあえずアレを真似したかっただけなのかな」と思ってしまうのは許して欲しい所である。
シンゴジ第5形態に関して言えば、「あのゴジラの尻尾から明らかに人形の存在が生えてきている」という不気味さが、作品を彩るスパイスの最後の1つまみとなっていた。
だが今回のは「アレだけ皆が頑張ったけど、結局倒せてませんでしたーw」という胸糞悪い要素でしか無い。本当にただぶっ込んだだけ。
せめて「銀座の瓦礫の山から死体がゾンビのように何百体も湧き出てくる」みたいな描写があれば、典子の生還にもある程度説得力を持たせられたと思うのだが……

生きるにせよ死ぬにせよ、中途半端という印象。どうせヒューマンドラマを描くなら、もっと深くエグく描いて欲しかった。薄っペらい。

ツッコミどころ

これは恐らく多くの人が指摘しているだろうが、ツッコミどころが多い。(しかも後からジワジワくる)

別にそういう粗探しの文章をここでつらつらと書いても仕方ないのでさらっと触れるだけにするが、まあ気になる部分の多いこと。特にワダツミ作戦周りが酷い。(推敲してて思ったけど、全然さらっとじゃなかった。ごめん)

今作のコンセプトとしては、オキシジェン・デストロイヤーのような超兵器を出さずに、戦後の日本で出来得る限り可能な、地に足の付いた戦法でゴジラを倒すという物だろう。そこで「フロンガス」を持ち出したのは(実現可能かは別として)、かなりいい案だと思う。

だがその「地に足の付いた」戦法をしたい筈なのに、周りの状況が全然地に足が付いていないせいで、ワダツミ作戦自体の説得力がかなり減ってしまっている。

いつゴジラがやってくるかも分からないのに一度全員家に帰れだとか(自分の上陸予測信頼しすぎ)、
案の定そのせいでゴジラに上陸を許してしまっているとか(てか上陸する以前ににもっと手前のセンサーで襲来分かっただろ)、
戦闘機1機でちゃっかりゴジラの誘導ができるだとか(それこそゴジラの鳴き声流して着いてこさせるとかさぁ)、
そもそも燃料の主タンク400Kgを抜いている筈なのに、アレだけ長時間飛行が可能な震電の不思議とか(わざわざ劇中で燃料抜いたって前フリしたんだぞ)、
急上昇させるなら分かるけど、ちんたらちんたらゴジラを引き上げる意味があるのだろうかとか。(ただただゴジラを海面に案内しただけやん)

とりあえず撮りたい画があって、そこになんとなしの理屈付けをしたんだなというのが凄く伝わってくる。それなんてウルトラマントリガー

更に言うと、最後の皆で敬礼する部分は本当に意味が分からなかった。一体誰に対して敬礼をしているんだろうか。
恐らく描写的にはゴジラに敬礼しているのだと思うが、この作品のゴジラはそのような対象としては描かれていなかったはずだ。シチュエーションとしてあの場面で敬礼があり得るのは分かるが、少なくともこの作品には当てはまらないと思う。
(追記)パンフレットを読んだのだが、少なくとも博士を演じる吉岡秀隆は「光に包まれ神々しく内部崩壊していくゴジラ」に敬礼をしたそう。確かに文面だけ見ればしたかった事は分かるのだが、残念ながらそういう描写では無かったんじゃないかなぁ…

あと、「小僧」が民間の船を集めてきたシーンで相当ゲンナリした。1度目は「ゲッ」ってなったし、2度目は「うわぁ…」となった。もしかするとこの映画で一番嫌いなのがあのシーンかもしれない。
その「やってやった」感というか、「ちゃんと全員活躍するんだぜ」「みんなの力を合わせてゴジラに勝つぜぇ」感が物凄く嫌い。ご都合主義の極み。

確かに結果的にはあの行動が、人間の勝利に繋がったように描かれている。ように見えるが、実際の所は多くの人を危険に晒しただけではないだろうか。そもそも小僧は、どういう意図でアレだけの船を集めたのだろうか。

「恐らく1500mの海底にゴジラを引きずり込んだだけでは死なず、浮上させる事になるだろう。だけどもその途中でアクシデントが起きて、ゴジラを引っ張り上げる羽目になるだろう。その為にたくさん船を用意したぜ!」

とでも予測したのだろうか、んな訳あるか!
彼の行動は、ただただ多くの人々をゴジラの脅威に晒しただけだ。それにたった一晩でアレだけの人を集めたのにも疑問が残る。普段から彼が港の人達と仲が良いという描写があればまた違ったのだろうが……(まあでもあのキャラなら仲間多そうではある)

なんかワダツミ作戦について想像以上にボロクソ言ってしまったので、ちゃんと褒める文章も書いておこうと思う。
細かいことに目をつぶれば、映像の迫力や構成などはかなりの出来だった。少々のことを気にしなければ、それこそ固唾をのんで見守る緊迫感がそこにはある。いや本当に演出周りは素晴らしいんだって。

浮上してきたゴジラがしぶとく生きており、最後の力を振り絞って渾身の熱戦を吐こうとする。
誰もが死を覚悟した瞬間、全ての音は消え去り、劇場は痛い程の静寂に包まれる。
だがその静けさを、敷島の乗る震電が切り裂いて登場する瞬間はとてつもなくカッコよかったと思う。
そういう演出面は本当に優れている映画だなあと。(でもその直後に「震電まだ飛んでるんすねぇ…」という気持ちになるのも事実)

ゴジラって、なに?

ゴジラって結局なんだったのだろうか? それが全く伝わってこないのがこの作品。

作中の明確な説明は「島の伝承で呉爾羅と言われていた」、これに尽きる。いや伝承ってw
他はさっぱり分からない。というか、何も生態が分からないんだったらせめて大戸島に調査に行くとかしろよな!!
一応取って付けたかのようにビキニ岩礁の映像が挿入されていたりもしたが、それも「とりあえず」感が強い。途中で「縄張りが~」みたいな話もあったのだが、ゴジラを東京に上陸させるためだけの理屈にしか感じない。

ゴジラについてある程度の知識がある人であれば、「大戸島」だとか「ビキニ岩礁」というワードからある程度状況が予測できるだろうが、そうでない人に対しては少し不親切な気がする。
というか、肝心のゴジラのバックボーンが過去作の設定ほぼそのままってどうなんだ。唐突なG細胞もそうだし。

先にも述べたように、確かに迫力はあるのだが、それでいて薄っぺらいハリボテなのが今回のゴジラだと思う。悪い意味でただの舞台装置と言えばいいだろうか。
自分の描きたいドラマのために過去作のボスキャラを引っ張り出してきてやられ役に仕立て上げたような、そんな印象。悪く言うなら雑に消化される再生怪人。

でも映像自体にはめちゃめちゃ迫力があるんだから、本当に不思議な作品。てかエメゴジ感も結構あるよね。

そもそも論として

ここで鑑賞中の印象的だった話をしたい。
隣で観ていた女性は、それこそ祈るように手を組みながら映画を観ていた。正直そうしたくなる気持ちは分かるし、何を隠そう自分も先の展開にドキドキしている部分はかなりあった。

自身の「めんどくさいオタク」の部分が出てきてしまうと色々とケチを付けてしまうが、大多数の人にとっては素晴らしい映画なのは確かだろう。それは自分もそう思う。

そもそも前作の『シン・ゴジラ』があれだけの衝撃を与えてしまったせいで、「次の和製ゴジラどうするんだよ」と言われていた状況だ。そんな中でこれだけの作品をちゃんと提出してきただけで素晴らしい事だと思う。
というか『ゴジラ』という作品が、皆に純粋な一本の映画として批評されている時点でもう十分な気も割とする。しかも評価も高めと来た。

欲を言えば3年に1本くらいは邦画実写ゴジラを作って欲しい所だが、それは流石に贅沢だろうか。

艦これの話

一応この話も。

重巡「高雄」も、駆逐艦「雪風」も駆逐艦「響」も震電も、恐らく艦これをプレイしていなければほぼ知らない名前だっただろう。あのゲームをプレイしなくなって久しいが、まさかこんな所で艦これに感謝する日が来るとは思わなかった。

初回鑑賞時にワダツミ作戦で、「雪風!お前は幸運艦なんだからなんとかしろ!生き残れ!」と心の中で叫んでいたのは内緒ね。

おわりに

なんだかんだ長いこと文章を書いてしまったが、何度も言うように少々の細かい理屈なんかは吹き飛ばしてしまえる程の映像のパワーがある作品だった。

が、別に山崎貴ゴジラの次回作を求めている訳でもないので、また数年後に違う監督のゴジラが作られたらいいなー、なんて思っている所である。

なんか聞く所によると、小説版を読むと色々合点がいくらしいのだが……気が向いたら読もうかなと思う。

ではでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?