『ウルトラマントリガー エピソードZ』の感想書きます。マジで。
あらすじ
はじめに
ウルトラマントリガー感動の最終回(※個人差があります)から約2ヶ月。遂に劇場版トリガーが公開された。(エンドロールを見るに今作はどうやら「トリガー特別編」という位置づけっぽいが、面倒なのでここでは「劇場版」「映画版」と表記する)
最初に言ってしまおう。このエピソードZ、素直に面白いと言える作品だったと思う。
娯楽作品としても、トリガーという物語を締めくくる作品としても素晴らしい出来だった。というかこの映画を観て、改めてTV版の最終回がいかにシッチャカメッチャカだったかというのを痛感させられた。(劇場版へと続く形にしないといけないからある程度仕方ないのだろうが)
ストーリーの話
何と言っても一本の映像作品としてスッキリしっかりとまとまっていた。これは本当に大きいと思う。特にテレビ本編の脚本が壊滅的だっただけに、ここまでしっかり話のまとまったトリガーを観ることが出来たのは純粋に嬉しい。ウレシィ…
唐突なトキオカ隊長登場、謎のフード集団ライラー、エタニティコアに囚われたケンゴの救出、Zさん登場、実は黒幕だったトキオカ隊長=ザビル(ザビル? ジャビル?)、ザビルの妄執に執着、なんかちょっかいをかけてくるセレブロと、内容的にはかなりてんこ盛りだ。
一歩間違えば話がとっちらかってしまい、要素要素を詰め込んだだけのゲテモノ大爆発作品になっていた可能性もある。しかしこの作品はそうはならずに、一本の映画として起承転結しっかりと纏めて来ていた。本当に凄い。本編でもそれをしてくれ。(流石に詰め込みすぎて無理矢理になっていた部分も正直あるとは思うが、娯楽作品として飲み込める範囲内だと思う)
娯楽特撮作品として
娯楽作品としての面白さについては最早自分がわざわざ書くまでもないとは思うが、一応書かせて。
元々テレビ本編時から特撮パートには力が入っていたこのトリガーという作品。この劇場版では更にパワーアップしたその自慢の特撮を楽しむことが出来た。
(全部使いまわしだけど)怪獣は5体も登場するし、ガッツセレクトも文句無しの大活躍。なんと超巨大戦も楽しむことが出来る。
夜の市街地で戦闘するアルファエッジは信じられないくらいカッコいいし、トリガー&トリガーダーク&Zの共闘も文句なくカッコいい。
一方で(特に意味のない)お化け屋敷パートや、リングまで用意してのガッツリプロレスも堪能できる。神か? (プロレスパート大好き。余りに脳筋過ぎるフライングボディプレスとかもうたまらん。お化け屋敷のくだりは……なんなんだろう。金子ファンへのサービス?)
そして最後のグリッターゼペリオン光線、ダークゼペリオン光線、ゼスティム光線だ。どこかTDスペシャルを彷彿とさせるこの合体光線。カッコいいなぁ。ティガのVSイーヴィルティガ戦を意識して、グリッターゼペリオン光線にセルチェンジビームが乗っていたのもまた芸が細かくて素敵。いやあ良い作品だ。
『ウルトラマントリガー』の締めくくりとして
さてここからが本題。
テレビ本編最終回にて「光でもあり闇でもあるのがトリガー」という答が製作側から提示された。これはティガとの明確な差別点であるし、そういうことがしたかったんだねと理解は出来る。
だがそれを納得することが出来たかと言われれば、正直そんなことはない。
テーマ自体は悪くないのだが、演出がそれに追い付いていなかった。特にティガ最終回の安易なオマージュをしようとした結果、その「光でもあり闇でもある」というテーマがぼやけてしまったのは本当に失敗だと思う。(以前書いた通り、演出的に難しいとも思うのだが)
一方で今回の劇場版。
マナカ・ケンゴ=トリガーは「光でもあり闇でもあり、人でもある」というのは言うまでもない。テレビ本編が「光でもあり闇でもある」部分を「トリガートゥルース」という形で描いたのだとしたら、この劇場版は「人でもある」という部分を徹底的に掘り下げたと言える。
光と闇を徹底的に対立させたティガ本編に対し、光と闇を両立させたトリガー本編。この点では両者相反する結論に至ったと言える。
「光であり、人であった」ティガの主人公、マドカ・ダイゴは最終的に「人であることを」選んだ。
この点に関してはトリガーもティガと同じテーマを描きに行っている。
何故トリガーは人の形になったのか。それはケンゴ自身が語っていた。どんな強い光も一人じゃ輝けない。誰かがそばに居ないといけないからトリガーは人間として生まれたのだと。
マナカ・ケンゴは「ウルトラマンになれるだけのただの人間」なのだ。
ウルトラマンになれるだけのただの人間
この言葉には正直、衝撃を受けた。なるほどこれが『ウルトラマントリガー』という作品が出した答なのだなと。
最後にシズマ会長が言っていた。
「人は誰でも光になれる。でも一人じゃ輝けない。人と人を結ぶ心が光だ」
トリガーを守るように身体を張って戦ったガッツセレクトの面々や、ケンゴの隣に立って共に戦うイグニスの姿がその言葉を後押しする。そのどちらも「人間であるマナカ・ケンゴ」が紡いだ絆が生んだものだ。
マドカ・ダイゴは言っていた。「人間はみんな自分自身の力で光になれるんだ」と。ティガを代表する名言の一つであるこの言葉を、更に膨らませてきたのが今回のエピソードZである。
ティガ本編のテーマを受け継ぎつつ、そこにトリガー独自の解釈を加える。これが本当の、本物の「NEW GENERATION TIGA」なのではないだろうか。
確かにティガ最終回でも多くの人の光がティガと共に戦っていた。「どんな強い光も一人じゃ輝けない。人と人とを結ぶ心が光」、まさにこの言葉の通りじゃないか。
X劇場版「きたぞ、われらのウルトラマン!」にて、ティガが登場した直後にXがこう言っていた。
「人が人を思い繋がり合おうとする心、それが光だ」と。
きっとそれがティガであり、トリガーなのだ。
人間 マナカ・ケンゴ
「ウルトラマンになれるだけのただの人間」という言葉からは、ケンゴ自身が自分の事を、ウルトラマンではなく人間寄りであると思っていることが伺える。
また同時に周りの人間達もケンゴを、トリガーに変身した後も「マナカ・ケンゴ」として扱っている。それは隊長の「マナカ隊員とイグニスを援護する」という言葉からも察することが出来る。(このシーン、光の星の戦士たちのヒビキ隊長みたいでカッコいいよね)
そんなケンゴは本編で「みんなを笑顔にしたい」と言い続けてきた。(この笑顔という言葉の是非に付いては、本編の感想で散々文句を言ったのでここでは触れないでおく)
この言葉はどちらかと言うと人間ではなく、超人やヒーローとしての側面の意味合いが強い言葉だと思う。
みんなを守りたい、みんなを幸せにしたい、みんなを笑顔にしたい。そんな事をたった一人っきりで可能にするのは人間には不可能だ。そんな事が実現可能なのは神のような力を持った存在、それこそウルトラマンなんかじゃないと無理だろう。
だからこそ「みんなを笑顔にしたい」という言葉には、トリガーという人間を超えた存在が見え隠れする。
しかしアキトはこう言ってみせた。
「ケンゴがみんなを笑顔にしたいのなら、俺達がお前を笑顔にしてやる」
この言葉がケンゴの願いを一気に人間レベルの物にまで引き落としてくれる。この言葉は恐らく、人間・ケンゴが一番欲しい言葉なんじゃないか。自分はそう思った。
アキト達が、ガッツセレクトのみんなが居るからこそケンゴは人間でいられるのだ。
てかケンゴと一緒に障壁をぶち破るシーンでも思ったけど、やっぱりこの作品のヒロインってアキトだよね。
自分、余談いいっすか?
この項ではマジでどうでもいい話をするので興味のない人は飛ばして欲しい。
自分が愛してやまない漫画に『武装錬金』という作品がある。この作品では主人公が人智を超えた力を手にするのだが(ちなみに作者が言っているのだが、この作品の1話は敢えて言うならウルトラマンの1話をオマージュしたものだそう)、そんな主人公が世界の危機を目前にしてこう言っていた。
「オレがみんなを守るから、誰かオレを守ってくれ―――」
確かに世界を救うヒーローは圧倒的な活躍を見せるが、実はこれこそが彼らの本音なのではないかと自分は思っている。寧ろ思っていないのだとしたら、そんなのはもはや人間ではない。サイボーグか宇宙人かタコピーかのどれかである。
だからこそアキトの「俺達がケンゴを笑顔にする」という言葉に、「人間・ケンゴ」の存在を強く強く感じた。
ちなみに武装錬金にてそんな嘆きを見せる主人公の背中を押したのはヒロインである津村斗貴子であった。
以上余談。なんかごめん。
エピソードZへの文句
ここまで散々述べてきたようにこの『エピソードZ』という作品にはかなり満足している。だが折角なので少し目に付いた点について述べておきたい。
一応先に断っておくと、ここからの文句は基本的に「でも娯楽作品だからいいよね」で飲み込める程度の重箱の隅をつつくような粗探しである。
さてぶっちゃけ言いたい。
ウルトラマンZって出す必要あった?
ウルトラマンZ
先に述べたように、この映画は「トリガーを締めくくる物語」としてほぼほぼ完璧だと言える。だからこそ、そのトリガーという物語のテーマに直接的に関わったわけではないハルキとZを、自分は少し不純物のように感じてしまった。
良いか悪いかは別にして、トリガーという作品があまりにも「トリガー=ケンゴとガッツセレクト(+イグニス)」の面々で完結しすぎてしまっている。
本編でハルキは、ケンゴとアキトのラブラブっぷりを浮き彫りにするという非常に重要な役目を果たしていた。だが今回のハルキはただのゲストに徹してしまっている。ウルトラマンZもただの戦力でしかない。
だからこそ、ハルキとZさんが少し浮いて見える部分がある。
というか「エピソードZ」ってなんだよ意味分かんねぇよ。別にZのエピソードねぇし。エピソードケンゴだよ。
そんな訳で「Zさんとハルキが登場して嬉しい! カッコいい! 好き!」という純粋なオタク心と、「この映画はトリガーの真の最終回として、ガッツセレクトの面々のみで完結させるべきだったのでは。そちらの方が物語としてスマートだしスッキリするはず」と思うめんどくさいオタク心が自分の中で大怪獣バトルを繰り広げている。
ちなみに個人的な感想を言うとデストルドスはマジモンの蛇足だと思う。D4レイも撃てないデストルドスの存在意義よ。(後でもうちょっと書く)
イーヴィルトリガー
というかイーヴィルトリガーってなんぞや?
そもそも原典である「イーヴィルティガ」自体が謎であることを考えると、イーヴィルトリガーが謎でもいい(というか仕方ない)と思うのだが、一応少しだけ切り込んでおきたい。
そもそもイーヴィルティガはティガではない。全くの別人だ。なのにも関わらず似ているからとかそんな理由だけで「イーヴィルティガ」という名前にしてしまったせいで面倒くさい事が起きてしまっている。なんなら別にイーヴィルですらない。(マサキ・ケイゴが変身した彼はイーヴィルと言えるのかもしれないが)
逆にイーヴィルトリガーは「トリガーに近い存在」と言える。本人では無いかもしれないが、トリガーの光を利用して変身している以上「トリガーのような何か」と言うことは出来るだろう。
ここでイーヴィルトリガーの正体を探っていくヒントとして、ユナが発した「光じゃない、トリガーとは何か違う!」というそれっぽいだけで特に意味も込められてなさそうな雰囲気だけのセリフがある。ここから分かるように 「光ではない」らしい。では闇なのだろうか?
だが闇のトリガーはトリガーダークだし、そもそも(トリガートゥルース限定かもしれないが)「光でも闇でもある」のがトリガーなのだから、イーヴィルトリガーは闇でもないように思える。個人的には光でも闇でもない、よく分からない何かになってしまったのかなと。
最後には元々青い目をしていたザビルの目が赤くなっていたり、イーヴィルトリガーの目が黒くなっていたりしたため、精神的な変調がなんらかの影響を与えていたように思う。(目の黒い巨人を見て、ダークファウストやメフィストを思い出した)
じゃあなんなんですかね? 酒を入れながらこの文章を書いてるんだけど、そろそろ頭回らなくなってきたのでこの話はここまで! はい終わり! じゃあ終わり!
シズマ・ユナ
これは本編当時から思っていたのだが、ユナは「ユザレの運命」に振り回され過ぎたせいで「ユナ個人」自体はそこまで描かれきっていなかったように思う。これはこの映画でもそうで、結局「ユザレの力」があるが故に、最後の重要な場面で他のガッツセレクトの面々とは別行動を取ることになってしまった。(ヒロインムーブはアキトにずっと取られてるし)
個人的にはずっと彼女が、ガッツセレクトの中で少し浮いているように見えていた。しかし今回彼女はユザレの力と決別した。彼女の物語はきっとここから始まるのだろう。
怪獣の存在
怪獣の扱いが雑。これはトリガー本編からこの作品が抱え続けてきた問題なのだが、残念なことにこの劇場版でもその悪い点が遺憾なく発揮されてしまった。
相変わらずなんとなく出現しちゃうガゾートに、どこから来たのかゲネガーグ。なんかメダルで登場しちゃいましたデストルドス。うーんこの。
特にデストルドスに関しては登場の是非はともかく、扱いが雑すぎる。最初ちょっと圧倒してきたと思ったら、頑張って変身したグリッタートリガーエタニティ達にあっさりボコボコにされる。
あっこの雑さ、トリガー本編で見た構図だ!
前作のラスボス怪獣を、前作キャラがいる状況で噛ませにしてしまうその度量には平伏せざるを得ない。(皮肉だよ)
デストルドスという怪獣は一応「人間が自分達の力で””人類を””守るために努力した」結果生まれてしまった怪獣と言える。これはザビルの思惑とある程度一致する。そう考えるとイーヴィルトリガーとデストルドスが並び立つのはある種自然なことなのかもしれない。
にしても扱いは雑すぎると思うけど。
その他雑感
トリガースタッフは「ウザい」という言葉を何か尊い言葉だと勘違いしてるのかもしれないが、ただの悪口でしかない。これは本編時からずっと言ってるけど、本当にここだけはなんとかして欲しかった。
願掛けに「ウザい」を封印するな。寧ろ一生封印してろボケナス。素直にケンゴくん大好きって言っとけ。
ハルキさんなんでゼットライザー使ってるんすか? ガッツスパークレンス借りてなかった? もしかして自分が知らない設定とかがいつの間にか生えてたりする?
石版の文字や、エンシェントスパークレンス、ケンゴ生誕の秘密が明かされたのは良かった。本編で割と投げっぱなしにしていた部分が少しでも回収されたのは本当に嬉しい。
多少の疑問に関しては「トキオカが裏でそうなるよう根回ししていた」でゴリ押せるようになったのも地味に大きい。
トリガーダークの変身はマジでカッコよかった。Zとガッツファルコンの戦闘にシームレスに参入するのホントにカッコよくない? (この映画一番お気に入りの場面かも)
変身で言うなら、ケンゴの最後の変身を見て思ったけど「未来を築く希望の光!」とかいう口上、やっぱり要らないんじゃないかね。
新フォームとかそういうのは一切出なかったね、少し残念。
ザビルは嵐のように去っていたけど、彼自体は相当可哀相な人物だよね。結構不憫。彼を演じた中村優一の名演はこの映画の完成度の高さに、間違いなく一役買っていると思う。(彼の「人間が自分自身の力で地球を守らないといけない」という言葉に、ダイナのゴンドウ参謀の姿が重なった)
というかシズマ会長はイーヴィルティガを見てるはずだけど、イーヴィルトリガーを見て何を思ったんだろう。
本編ではあまり好きになれなかったテッシンとヒマリだけど、今回のエピソードZで結構好きになれた気がする。今回の映画はそこら辺の描写が丁寧だったよね。
自分が思うウルトラマンZの大きな魅力の一つに「ただひたすらゼスティウム光線を撃ち続けたこと」というものがある。Zは1話から25話までずっとゼスティウム光線を撃ち続けた。
そんなZさんは今回も、限られた尺の中でなんと4回もゼスティウム光線を撃ってくれた。大好き。
まとめ
トリガー本編の感想を書いている時は悪口に筆が止まらなかったのだが、今回は賛辞の言葉が自然と溢れ出てきた。(後半は悪口も増えちゃったけど)
トリガー最終回時には正直心に燻る物があった。不完全燃焼だった。
しかしこれでようやく『ウルトラマントリガー』そして『NEW GENERATION TIGA』という作品に、安心して別れを告げることができる。
先程も言ったが、『ウルトラマントリガー』という物語の畳み方としては本当に完璧だったと思う。
今なら言える。ありがとう、ウルトラマントリガー。
みんな加入しよう、ウルトラサブスク!
えっウルトラマンデッカー? なんでっかー? それ。