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『メインストリーム』の感想書く

あらすじ

夢と野心が交錯する街LA。20代のフランキーは映像作品をYouTubeにアップしながら、さびれたコメディバーで生計を立てる日々に嫌気がさしていた。ある日、天才的な話術の持ち主・リンクと出会い、そのカリスマ性に魅了されたフランキーは、男友達で作家志望のジェイクを巻き込んで、本格的に動画制作をスタートする。
自らを「ノーワン・スペシャル(ただの一般人)」と名乗り、破天荒でシニカルなリンクの言動を追った動画は、かつてない再生数と「いいね」を記録。リンクは瞬く間に人気YouTuberとなり、3人はSNS界のスターダムを駆け上がってゆく。
刺激的な日々と、誰もが羨む名声を得た喜びも束の間、いつしか「いいね!」の媚薬は、リンクの人格を蝕んでいた。ノーワン・スペシャル自身が猛毒と化し、やがて世界中のネットユーザーからの強烈な批判を浴びるとき、野心は狂気となって暴走し、決して起きてはならない衝撃の展開をむかえる―(公式サイトより)

所感

YouTuberをテーマにした、まさに今どきの映画。ただし正確にはYouTubeだけでなく、その他InstagramやTwitter、Tik Tokなど現在流行っているSNS全てに対してメッセージを投げかけている作品だろう。

ここ10年弱ほどでスマホが大々的に普及した事もあり、SNSは世界に圧倒的に浸透した。ただその急速な発展は世界に「歪み」を生んでいるのも確かだと思う。この作品はその歪みを描いた作品だ(多分)。

流石に海外で作られた作品なので、日本人が思い描くYouTuberとはまた違った描かれ方をしていたように思う。自分は海外のYouTubeを全く見ないので、ああいう毒々しくケバケバしいものがあちらのトレンドかは分からない。普段日本のものを見慣れている立場からすると全体的な演出に少々違和感があるかも。

本題

さて突然だが、YouTubeやその他ネットの世界で大成功を収めるものに必要なものはなんだろうか。ただの成功ではなく「大成功」だ。
言い方は悪くなってしまうが「頭がおかしい」事だと自分は思う。頭のネジが数十本外れているとでも言おうか。少なくとも常識的な感性をしていて、常識的な生き方をしている人がトップになれる世界では無いと思う。(一定の成功を収めることはできると思うが)

HIKAKIN

ちょっと待て、今日本のYouTubeで実質のトップであるHIKAKINはどうなんだと。彼はただの良い人なんじゃないか? と思うかもしれない。
確かに今の彼はとても常識的で、良いインフルエンサーだと思う。だが彼がその地位に登り詰めるまでの経緯はとても普通ではなかった。

彼がYouTubeで注目を集めるようになったきっかけは言うまでもなく「ヒューマンビートボックス」だ。彼が投稿した『スーパーマリオブラザーズ』のビートボックス動画が世界中から注目を集めるようになったのが彼の躍進のきっかけである。彼はそのビートボックスの技術を独学で身につけたと言っていた。
結果的にHIKAKINはそのビートボックスの技術一本でエアロスミスやアリアナ・グランデと同じ舞台に立つまでに至っている。彼の若かりし頃のビートボックスを解説する動画を観たことがあるのだが、その中で彼の技術が大変褒められていた。その技術を独学で取得した彼は本当に凄い。

加えて彼は一時期、一日二本の動画を自分で企画撮影し自分で編集して投稿する、という作業を毎日、しかも年単位でそれを続けていた時期がある。それは彼の持つ「自分の動画を他人に任せたくない」というこだわりによるものだが、ある意味妄執とも言えるその思いはとんでもないと感じる。(実際に動画を作っているからこそその凄さがよく分かる)

色々な意見があるとは思うが、自分はHIKAKINを努力の天才だと思っていて、その努力の度合いに関しては本当に頭がぶっ飛んでいると思う。そういう意味で彼は常人ではない。

『メインストリーム』のストーリー

さて映画の話。この作品のストーリーだが、正直予想はしやすいものではあると思う。
どこにでもいそうな夢見る若者が、ちょっとしたチャンスを掴みYouTubeという世界で成功を収める。その成功の中、更に人々の注目を集めるために過激な行動へと走り始めた結果、彼等のグループは空中分解をし、最終的にその活動の影響で自殺者が生まれてしまう。
正直YouTuberを題材に作品を撮るとしたら6割くらいはこのようなストーリーになるだろう。
何故ならそれは、現実のYouTuberがそうだから。もちろん死者が出ることは相当に稀だが、過激な方へ向かって空中分解をするまでは割とよくあることだ。
この作品はそんなYouTubeの現実を描いていた。

三人の登場人物

この作品の主な登場人物は三人。その圧倒的なカリスマ性で演者を務めるリンク。いつか誰でもない何かになりたいと夢見ていたフランキー。彼らを支えた作家のジェイク。この三人とインフルエンサーを影で操るマークという男が加わり、彼らはYouTubeという大海に大波を起こす。(この記事では触れないけど、このマークは結構悪い人だと思う)

彼らはネットの世界で有名になる事に成功した訳だが、その一番の要因はやはり「リンクの才能」にあると思う。この物語は、フランキーが何気なく撮影したリンクの動画がネットで少しの注目を集めた事から始まる。思い返せばその時点から彼の才能は頭角を現していたのだろう。
マークもリンクの才能を見出したからこそ、彼らの支援を決意したはずだ。

逆にフランキーとジェイクは、結果的に言えば(YouTubeで成功するという面に関しては)そこまで重要な人物では無かったのかなと思う。もちろん活動初期段階において、フランキーの編集技術やジェイクの脚本が彼らの躍進に一役買ったのは間違いないと思う。だがリンクは遅かれ早かれ、何らかの形で世間の注目を集めたのでは無いだろうか。逆にリンク抜きで彼らが成功するビジョンが全く見えない。

ただ、彼らがグループになっての最初の動画(豪邸にリンクが忍び込んでいたやつ)の映像は構成、編集ともに凄いと感じた。あの動画には正直「バズりそうな気配」があったし、「世界を変えさせる何か」を感じた。ああいう動画を「劇中劇」として作ったのは純粋に凄いと思う。

リンク

彼は間違いなく「頭のネジが飛んでいる側」の人間だ。人の関心を集めてしまうその言動やトーク技術、過激過ぎるその突拍子もない行動、自分の躍進のために敢えてリスクのある映像をリークする発想力、世界中を敵に回してもそれを自らが歩みを進めるための燃料に変えてしまう度量。
どれを取っても常人のそれではない。

だが彼も、最初はただの一般人(それこそノーワン・スペシャル)として描かれていたと思う。当初からその才能の片鱗は見せていたが、初めて番組でMCをした時には過剰なまでに緊張していたし、イザベルが自殺した後の世間からの批判にはそれ相応にダメージを受けていた。

だが彼は最終的に自らが火だるまとなりながら、ネットの海全てを燃やし尽くすかの如くの執念を持って、もう引き返すことのできないYouTubeの世界に深淵へと進んでいく事となる。

フランキー、ジェイク

「頭のネジが飛んでいた」リンクと比べて、彼らは良くも悪くも普通の人間だった。まるで何者にもなれない我々一般人のように
最初は彼ら三人、同じ所を目指していた。だが人を傷付けるやり方に相容れずジェイクが離反し、人を死なせてしまった罪悪感に耐えられずフランキーも離反する。だが多くの普通の人間は彼ら二人と同じ反応をするはずだ。

フランキーとジェイクは紆余曲折あり、彼らの元々の日常を象徴するような寂れたバーで再会する事となる。そして二人は最終的に付き合って、人並みのありふれた幸せを享受していく事になるのだろう。
彼らは、いつの間にか抱いていた夢を諦めてしまい、平々凡々と生きていく我々の姿そのものだと言える。でもそんなものではないだろうか、人生というのは。

分かたれた彼らの道

最終的に彼ら三人のグループは、YouTuberとして、インフルエンサーとしてひたすら突き進んでいくリンクと、人並みに生きていくフランキー、ジェイクの2つに別れた。
最後にリンクが全世界に向けて演説するシーンで、それは映像としても分かりやすく表現されていたと思う。

彼らを分けたのは何だったか? それはやはり「狂気があるかないか」だろう。フランキーとジェイクには狂気が足りなかった。理性が勝ってしまった。でも自分含め、多くの人間がそうだと思う。そもそも理性が負ける状況を世間的には犯罪と呼ぶのだから。

ただ一つ付け加えるとすれば、家賃のために車を売るほど貯金が無い状況で、仕事をブッチしてYouTube動画に専念しようとしたフランキーは割と「狂気」があったのだと思う。だからリンクをあそこまで導けたので無いだろうか。(それでもリンクの域に達するには狂気が足りなかったわけだが)

リンクの分岐点

リンクは最終的に世界中を燃やし尽くさんばかりのモンスターへと成長を遂げてしまった。だが彼が踏み止まるきっかけは劇中にいくつかあったと思う。
番組でジェイクの言う通り、環境問題なんかも取り入れた真面目な番組にしていたら?
アレクサを泣かせてしまった時のジェイクの意見をもっとしっかり聞いていたら?(こう考えるとジェイクってマジでまともすぎる人間だな)
そもそもフランキーと出会っていなかったら?

だが最終的にはフランキーが彼を見捨ててしまったことが、リンクを真の怪物へと変容させる最後の一押しになってしまったのではないだろうか。
最後の大舞台の前夜、リンクはフランキーに「ずっと一緒だ」という言葉をかけていた。途中浮気っぽい場面もあったが、彼は彼なりに彼女のことを信頼していたのだと思う。
もし彼女があそこでリンクに寄り添ってあげていたら、リンクはすんでのところで踏みとどまって、ただの一般人に戻っていたかもしれない。

フランキーという女性の心情

彼女は等身大の若者として設定されていた。ワンチャン有名になりたいなーと心のどこかで思いながら多少の行動は起こすものの、それが実ることも無くつまらない日常を送っている。10代、20代ならよくあることだろう。
今までの自分とは違う何かになりたい、でもそのために今の自分の全てをなげうって挑戦するほどの意気込みは無い。結局毎日をダラダラと過ごしていく。

だがそんな彼女がリンクという男の才能に触れてしまった。YouTubeという荒波に飛び込み成功を収め、人格が歪んでいく。ジェイクが離反した時、「セックスばっかしてないで現実見ろよ(意訳)」という彼の言葉に対して「嫉妬してるの?w」という返しをしていた(それを言われた時のジェイクの心情を想像すると涙が止まらない)。彼女は少なくともその時点では天狗になってしまっていた。

だが更に狂気を増していくリンクに着いていけず、最終的にイザベルの死によって心に致命傷を負った結果、リンクのそばから去る結果となる。

最後に二人が口論する時「何か一つでも本当の事を話してくれた?」と彼女は言っていた。勿論それも大きな理由なのだろうが、自分達の行動の末に人が一人死んでしまったという事実を彼女は受け止めきれなかったのだろう。
だがそれは普通の事だと思う。大体の人は自らの手で人を殺してしまったら、良心の呵責だとかそういった物に苛まされるはずだ。

そこが彼女の限界だったのだ。

彼らはどっちが幸せなのか?

完全に別々の道を行くことになったリンクとフランキー達。彼らはどちらが幸せなのだろうか。

それは彼らにしか分からない。

それぞれの道を選んだのは彼ら自身だが、彼らはその選択に後悔はしないだろうか? 
リンクはもしかしたら数々の屍の上に立つことを後悔するかもしれない。フランキーと離れてしまったことを悲しむかもしれない。一方でその覇道を一人悠々と歩いていくのかもしれない。
フランキーはジェイクという真っ当な人間と一緒に過ごしていくことに安心を覚えるかもしれない。それでも心の中で「あの時YouTubeを続けていたら…」と未練を残しているかもしれない。

確かにその時その道を選んだのは彼ら自身だが、その選択がどのような未来に繋がるかは誰にも分からない。確かなのは自分がその選択をしたということ。その道を歩いていかないといけないということ。

ラストシーン

この映画は、リンクの悪魔のような笑顔で締めくくられる(個人的にDEATH NOTEの「計画通り」を思い出す顔だった)。それまでの世間の逆風を自分の追い風に変えてみせる演説には正直惹き込まれたし、その後のあの顔でリンクは本当に天才なんだなと思わされた。
明らかに自分のせいで起きた自殺を、あたかも世間やSNSのせいと責任転嫁してみせ、しかもそれを納得させるなんて到底出来ることではない。

ただ彼はその演説で、「本当の自己紹介」をしてみせた。それは明らかに直前にフランキーから言われた「何か一つでも本当の事を話してくれた?」という言葉が引っかかっていたせいだろう。元彼女から言われた致命的な一言を引きずりつつも、逆に自分の糧にしてしまうその技量には本当に感服させられる。

脱SNS

リンクは劇中でずっと「SNSは悪」という事を述べていた。彼の言葉はとても耳触りが良く、その演説の上手さも相まって多くの人が魅了されるのも仕方ない事だと思う。

だが冷静に彼の言葉を噛み砕いてみると、劇中通してそこまで的外れなことは言っていなかったように思う。
顔も知らない誰かに対して見栄を張って、顔も知らない誰かが決めた価値観に踊らされて、顔も知らない誰かの言葉に傷ついて。
そんな現在の世の中に疑問を抱くことは、ある種当然の事だと思う。

劇中ではイザベルの死が全てリンクのせいにされていたが、彼が言っていたようにその一因は無責任な視聴者達にもあるだろうし、ある種では彼女の自業自得とも言えるだろう(リンクを誘惑したのが本当なら)。だがそれは結局全てSNSというツールが起こした悲劇だ。

もし世界の価値観が、彼女が自らの顔の痣をチャームポイントとして笑って過ごせるようなものだったら、イザベルは幸せだっただろうか。
余談だが、フランキーも顔の傷を気にしていたが、リンクはそれを一笑に付していた。そういう点で彼の主張は一貫していたのだと思う。

では現代社会がSNS断ちできるだろうか? それは間違いなく無理だと思う。もう手遅れなほどにSNSは現代社会に根付いてしまっている。今更それを辞めろというのは、水無しで生きていけと言っているようなものだと思う。(自分含め街中でスマホを弄っている人のどれだけ多いことか!)

SNSは使い方次第だと思う。扱い方次第でとても便利なツールにもなるし、人を殺してしまう道具にもなる。個人的には排除と言うよりは、どう上手く付き合っていくか、が大事なのだと思う。(それが難しいのだけれど)

まとめ

この映画のテーマは個人的に「狂気」だと思う。何かの分野で大成功を収める人は必ず何かしらの狂気をはらんでいると思っていたのだが、奇しくもそれが描かれた形となる。(ちなみに僕はHIKAKINも狂人だと思っている。狂気の方向性が現在の社会から見て真っ当なだけ)

正直中盤まではなんとも凡庸な映画だと思っていたのだが、そこから終盤にかけて一気に惹き込まれた。それはひとえに主人公であるリンクを演じたアンドリュー・ガーフィールドの演技によるものだと思う。(ちなみに彼はアメイジング・スパイダーマンでも主役を演じていた)

個人的な意見で言えば、作品序盤でリンクとフランキーが楽しそうにしていた様子がとても好きだった。あの関係のまま平凡な日々を送れていたら……という思いがある。(が、あの二人が出会ってしまった時点でああいう未来になるのは必然だっただろうとも思う)

ノーワン・スペシャル。誰もが特別な存在。人々が自分を特別な存在だと思うことができたら、世の中はもう少し幸せになるのかもしれない。
SNSは自分を特別に見せる手段であると同時に、自分より特別そうな人が見えてしまう道具でもある。

SNSとは良い距離感で向き合っていきたいものだ。


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