立場(View Pointの意)
画像は中野四文屋のハツモト串。めっちゃ美味かった。
今日(すでに昨日)は下北沢アクトレスシアターの女生徒 〜さよならモラトリアム〜 再演を観に中野まで行っておりました。
初演とは同じことをやらない!と星さんが宣言していたのでどうなるかなぁと興味津々でしたが、マジで同じ箇所がない。星さん以外の出演者の方は、メンバーが変わっていないこともあってかほぼ初演と同じプランで演じられている様に見受けられたけど、三春モエは明らかに別人だったと思う。
『どうして返事をくれないの?』
この台詞の受け取り方が初演と全く別物で、モエの死が語られるタイミングでの印象まで変わっていたのでお芝居ってやっぱり生き物なんだなって感じた瞬間でした。
推しが病みかわいい
んで、タイトルの話なんですけど、女子高生の立場/貧乏な立場/先生の立場/読モの立場/ひきこもりの立場/おじさんの立場、いろんな立場(もしくは視点)があると思うんですが、完全に同じ立場の人間はまずいないとして近しい立場の人間はそれなりにいて、でも違う立場からこの物語の本質を見ようとすると光源の屈折度合いが変わってしまって別物に見えてしまう、といったような事象が発生する気がします。
女子高生だった経験を持っていたとしても、年代や地域によって差が出るし、ましてや性別が違うとなれば受け取り方は全く変わってくる。つまり、自分の立場からの見え方でしか物事を論じることは(本質的には)出来ないよなぁ、などということを焼きトンを頬張りレモンサワーで流し込みながら考えていました。
当たり前の事のように思うかもしれませんが、自分の立場を完全に捨てて作品を評価する事の難しさが正当化されるって怖くないですか?雑誌やブログで評論家が語るランク付けもネットの人気投票も歴史で習う名作と呼ばれる物でさえも立場を捨てて絶対的な評価をしていないとしたら、何を評価とするべきなのかわからない。思考停止して自分が見える範囲で高い評価を受けているように思われる作品を観て周りが面白いと言っているから自分も当たり障りのないそこそこの評価を書き込みそれがTogetterでまとめられて後々の他人の行動に影響を与える事になる。マジかよ。怖い。
他人を信用しない割に他人からの評価と自分の見せ方に執着する自己中心的な性格で35年も生きてきたので今更ですけど、他人の評価を芯に据えるのは表現者も消費者もやめた方がいいと自分は考えます。自分の中で育てたそれまでの経験と今の立場を踏まえた視点から来る評価を絶対評価としてブレない位置にしっかり固着させるべき。当然メンタル鋼な人ばかりではないのでブレたり崩れたりすることもあるかもですが、そういう時に他人の評価を使えば良いんではないでしょうか。世の中良く出来ていて、芯がしっかり通ってる考えには賛同者が付きやすかったりするので、自ずと相乗効果でいいサイクルが生まれたりするもんです。
ここまで私の戯言を読んでいただいて恐縮なんですが、この戯言もあくまで35歳独身浪費癖おじさんの立場から申し上げております故、影響される場合は自己責任にてお願い致します。
ただもし何かしら影響されましたなら、俺の推しを是非観て欲しいので今後の予定など貼りますね