FantasticなBabyたちへ
guizillen 4年ぶりの本公演おめでとうございます。今年で6才ですね。
当日制作としてお手伝いさせていただき大変光栄です。昨年お世話になった皆様方とも再会できて感無量、そんな心持ちです。
挨拶はこれくらいにして、本日は、脚本・演出を担当された主宰、佐藤辰海さんへのラブレターをしたためたいと思い酒と筆を執りました。
辰海さんとの初めての出会いは、2016年1月まで遡ります。王子神谷はシアター・バビロンの流れのほとりにてで上演されたコジョ 5th impression「君のための、戦争」、不思議の国のアリスをモチーフとしたお芝居で、貴方はチェシャ猫を演じてらっしゃいました。おおよそ人間とは思えないチェシャ猫ぶりに驚愕したことを今でも覚えています。からの、土木座。小劇場演劇をぼちぼち観始めた私にとっては、その後の人生を決定付けたレティクル東京座さんの『學園使徒ノクト』にも匹敵するほどの衝撃でした。
その後も様々な舞台で活躍されるguizillenの皆様を拝見し続けること幾星霜、昨年は一緒に演劇をやらせていただき、本当に最高のエンターテイメントを作り上げていただきました。かけがえのない思い出です。今でも記録映像を見返してはあの時の感動を思い出しています。仕事を辞めたくてしようが無くなった時とかに。
そうです、2021年のあの日、すべてが嫌になってどうすればいいかわからなくなったあの日、その気持ちを辰海さんにぶつけたくなってそのままLINEしました。
そこから、1年半掛けて一緒に舞台を作らせていただいて、重ね重ね御礼申し上げます。本当にありがとうございました。「らむらさんがやりたいことをやりましょう」今は名前が変わってしまった蒲田 喰辛坊で打ち合わせした時、そう言ってくださったことも忘れません。観るのが好きな消費者だった私のことをあんなに素敵に書いてくださって、拙い原案からあんなに素敵な世界を構築して、実家が太いと書いて実家太(さねいえふとし)を出していただいて、お店とご家庭と劇団と、すべてを背負って私の我儘を聞いてくださって、感謝しかありません。
今回の舞台、14llen ファンタスティックベイビーズの情報公開を見た時の私の喜びようといえば、どんな言葉でも表現し得ないと思えるほどでした。guizillenが帰ってくる、それだけで心が晴れやかになり、公演を観るその日まで絶対に元気でいなきゃと自身を奮い立たせるようなその気持ちは、今日カタルシスを迎えました。
でもひとつ言わせてください。
"「こんな人たちがたちがどこかにいるんじゃないかって。この人たちが、愛おしくてたまらなくなってきたの」"
"「嘘もたまには、輝いているのかも」"
何処かじゃないでしょう?いたでしょ?貴方の身近に。貴方でしょう?安東信助の身体と言葉を借りた、貴方がいたでしょう?
稽古場に行けないから、店を閉めた後、明け方まで録画された稽古場の動画を見て長文のダメ出しを送ってくれてましたよね。この人はいつ寝ていつ働いていつ家族サービスをしているんだろう、って本当にびっくりしてました。人間技じゃない。
佐藤辰海は超人だって知ってました。一度聞いたセリフは絶対に忘れない。とんでもなく面白い本を書く。いつでも元気に笑顔を振りまく。全部できる人。
でも、今日の舞台を観て知りました。
佐藤辰海は人間でした。
仕事があって、劇団があって、家族があって、すべてをしっかり出来るスーパーマンなんていなかった。あの時私の我儘を聞いてくれたやさしさを、他に割いて欲しかった。「今大変なんです」とひとこと言って欲しかった。嘘じゃなくて本当が知りたかった。「やりましょう」と言ってくれたやさしさを今日噛みしめて泣きました。
今泣きながらこの文章を書いています。泣きすぎて部屋のティッシュが無くなってしまって取りに行ってました。
150分の芝居をマチソワで観た疲れ方してないんです。300分パイプ椅子に座ってたら足腰立たなくなる年なんです。4月で40歳を迎えます。本当に演劇に出会えて、貴方に出会えて幸せだって思いました。恩返しをしたいと思いました。そのために生きていたいと思いました。
明日、次回プロデュース公演のオーディション結果をご参加いただいた皆様に連絡します。恩を返し続けます。
すべてのFantastic Babiesに、ありがとう。
貴方に捧げます。私の、小さな恋のうた。