おじさんになるということ
お久しぶりです。緊急事態宣言が解除になり小劇場界隈も本当に少しずつですが動き出している昨今、私はモンスターハンターを明け方までプレイする大学生のような生活を送っておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
コロナ禍のせいで2月末までの記憶が去年のように感じるよねって先日Gijidoで盛り上がったんですが、推しの婚約発表って今年の3月だったんですよね… 本当に去年くらいだと勘違いしてて「2020年3月から6月を虚無期間と呼称する」って法律ができてもおかしくないレベル。私は影響が少なかったので虚無で済んでますが、大変な思いをされている方々もいる中で本当にただただ幸運だなと思いました。
先日発表になった2人芝居に関して、「今の自分で演じないと当て書きをしてもらった本と自分が乖離してしまうかもしれない」という推しの文章を読みました。
人間を20年も30年もやってるとパーソナリティーが変化するきっかけなんてごまんとある。思春期や学生時代は特に変化が目まぐるしいが社会に出て親戚が年を取り親が会社を辞め自分が転職し結婚し子供が出来て内的な要因も外的な要因も全部まぜこぜになってといった具合に。所謂人生の節目ってやつ。社会を形成している群体としての人間にとっては避けては通れないものだ。
ただ、35を過ぎるとその機会はめっきり減る。人生の節目がなくなるという話ではない。自分のパーソナリティへの影響がなくなるのだ。実体験としての話なので言い切ったが、35を過ぎて突然性格が変わる人間は多くはないだろう。つまり、平均寿命でいえばここから35~45年ほど今の性格と一緒に人生を歩むことになる。
影響がなくなると書いたが少々不正確かもしれない。もっと正確に書くなら、それまでスポンジだったものがコンクリートになってしまうような感覚だ。様々な素晴らしい体験やストレスや人柄に影響されてなんでも吸い込める状態からアルコールとあぶく銭だけしか染み込まないガラクタに成り代わった気分は最悪。最近は人間と会話を交わさないので考えをまとめて日本語を紡ぐのも不自由になってきたけどこれはコロナのせい。
そんな状態なので、noteを読んで来年の自分が今と変わってしまうことを確信していることがとてもうらやましいと感じた。他人から見た感想なので当人がどう考えているかは全くの別問題だが(あたりまえ体操)。
主語がでかくなるが、役者は自分のパーソナリティと時に似たような、時にかけ離れた、ただ確実に自分ではない誰かを演じるプロフェッショナルだ。たとえ自分の人生を自叙伝のように演じるとしてもその時の自分を「演じて」いるのだ。今の状態に近い役を今演じたいというのはまさにプロフェッショナルの発想だと思う。
役者に限らず、20年や30年生きている人間はTPOをわきまえて少しずつ違う自分を演じているのも事実だ。店員に対する態度をみてパートナーを選べ、みたいな言説があるが、誰の前でもどんな状態でも同じパーソナリティをアウトプットする人間は板の上にしかいない。職場と家の中の印象が全く異なる人間も多数いるが無意識で行うパーソナリティの発露を意識的に別の人間として行う役者はやはりプロフェッショナルだ。
ここでようやくタイトルに触れるが、おじさんになるというのはスポンジがコンクリートになることではない。もちろんその側面もあるとは思うが、おじさんとはもっと厄介な生き物である。
36年と3か月の人生において特別な表彰をされたことも人に誇れる実績を残したこともなく、結婚もせず、好き勝手に家を飛び出したかと思えば実家の子供部屋に舞い戻り何をしているかわからない仕事(両親談)をしながら推しに金を注いでいるが、物心ついて20代真ん中くらいまでは「自分には何かしら素晴らしい、人に自慢できる何かを成し遂げる可能性がある」と信じて生きてきた。花さか天使テンテンくんで出てくる才能の種ってやつが、自分の中にもあると信じて。25年。現実は非情である。自分がここまで人並みに生きてこられたのは親が中流以上の稼ぎがあり適切な教育機会を与えてくれたのと、ここぞという時の運が良かっただけ。おかげで挫折らしい挫折を味わうことなく36歳児に育った。それ自体は本当に幸せなことだし文句もない。
文句がないだけだ
才能ってやつがないと思い知ってから10年、何を糧に生きてきたかって「運がいい」、これだけ。本当に人生の転機となり得るタイミングで悪いほうに転ばない運が今の自分を構成している。人間関係も公私共にすこぶる良好。親友と呼んでも差し支えないと思える人間だっている。
それでも何かで一番になったり人に褒められたいという気持ちを諦められる対価には足りない。
そんなおじさんはたたき売りのバナナくらい山積みになって路肩で腐ってると思うが、みんなTPOをわきまえている。たまにわきまえてない厄介がいるけど人間なのでそういう個体もいる。
そういうおじさんを僭越ながら代表して言わせていただくと、特別扱い、とまではいかなくても自分が注目されている瞬間、に対して本当に貪欲になるときがある。特に飲酒したとき。先日もGijidoでやや大きな声で「俺の話を聞いてくれ」と言ってしまい、後から本当におじさんムーブすぎる自分を恥じて3週間が経った。本当に申し訳なかったと思っている。
申し訳なかったついでに釈明すると、このおじさんの欲求はこれから死ぬまで消えることはないので、うまく付き合っていかなければならない。正気か????今も酒を飲みながらこれを書いているが、スコッチで喉が痛む。こんなおじさんとあと数十年同居?無理でしょ。はやく脳みそだけになってずっとツイッターしていたい。
「おじさんマジで無理、死んでほしい」と思っている若い人間に伝えたいのは、おじさんも同じように思ってるって事実。これに尽きる。
お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、最初の数パラグラフはですます調にして優しい感じを出してその先まで読者を誘導できるように工夫しています。酔いも回ってきたのでこの辺で筆をおこうと思います。アルコールはコンクリートにも染み込むのでね。