【連載】Vol.4 魚粉のパイオニア 川越「頑者」
インターネットが広まり始めた頃、「川越に背脂チャッチャ系のウマイ店がある」と知って行ってみた。カタカナで「ガンジャ」という店だった。強面の店主だったが背脂たっぷりでなんとなく「ラーメン好き」が作ったラーメンのような気がして嬉しかった。交通不便な立地だったが行ってみて良かった。
少し時が経ち、本川越駅近くに「頑者」というつけめんのウマイ店があると聞いて行ってみた。つけめんは最初に1−2本、何も付けずに食べることにしているがあまりの麺の旨さに驚き、何本も食べてしまったことを覚えている。あとで自家製麺ならぬ実家製麺(実家が製麺屋さん)だと聞いて、「だからなのか」と納得した。
また、こちらも緊張感のある店内で私語ができないような雰囲気だったことも記憶にある。そして後日、カタカナの「ガンジャ」と漢字の「頑者」が、同じ兄弟の店と知って驚いたのと同時に納得もした。
ラーメン好きが始めた背脂チャッチャのラーメン。これはどちらかと言えば、既存の味を再現したもの。そして、つけめんも好きだったのだろう。実家で作るおいしい麺と魚粉を加えたつけ汁という革新的なつけめんで大行列を作った。後に、「六厘舎」「つけめんTETSU」「とみ田」などと『つけめん四天王』と呼ばれるほどの人気になった。
つけめん自体は創始者と言われる東池袋の「大勝軒」を含む「丸長・大勝軒グループ」が長い間、静かに提供してきた。そして「元祖つけ麺大王」の過渡期を経て、中野の「青葉」の転換期、さらには「大勝軒」(東池袋)の暖簾分けブームや閉店騒動などで全国に広まり、「つけめん四天王」によって一般化し、“ジャンル”(=食文化)となっていった。
中でも創業が一番古い「頑者」は魚粉を効果的に使い、ファンを掴んでいき、それ以降にオープンする新店のつけめんでは当たり前のように魚粉が使われていった。魚粉自体は和食店主からすると「思いつかない」やり方だ。
しかし、ラーメン及びつけめんにはルールや垣根がなく、新しいやり方がどんどん取り入れられてきた。そういう意味において「頑者」が魚粉を隠し味ではなく、一つの食材として活用した功績は大きく、「頑者」以降の新店に与えた影響は計り知れない。
今ではグループ化して多店舗展開を始めたので、各所で食べられるようになったがこの機会に『本店』の味を改めて体感してみたい。
なお、最後に「頑者」(かたくもの)をネットで調べると『意地っぱりで、他人の意見など聞き入れない人。がんこ者。』などと出てくる。
「ガンジャ」や「頑者」での第一印象から、まさにその名の通り!と思ったりもしたが、数年後、店主の集まりなどで直接会って話をするととても気さくで面白く優しい兄弟であった。店内では「おいしいラーメンやつけめんを提供したい」という一心で緊張感が生まれていたのだということを改めて付け加えておきたい。
文/大崎裕史
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