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30周年を振り返って 新横浜ラーメン博物館 館長 岩岡洋志
・全員反対からのスタート
新横浜ラーメン博物館の企画ができたのが33年前、オープンしてから30年、皆様のおかげです。ありがとうございます。
誰もが新横浜ラーメン博物館(以下「ラー博」)が30年続くとは考えていなかったと思います。企画ができた当時、家族、友人、関係者に話をしましたが、みんな反対でした。当時の新横浜は開発が進んできたものの、まだ空き地が目立ち、休日には人がいない状況で、バブル経済の影響もあり新しいもの・近代的なデザインに目が向いている時代でした。
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ラー博は誰もが知る大衆的な食べ物である「ラーメン」、昭和33年の風景、博物館とすべてが逆行した内容でした。この「みんな反対」の中で、自分が価値がある、良いと思うものを信じること、自分の考えが信じられるのかの自分自身の戦いに勝った私は、若さゆえの勘違いの自信もありましたが、溢れて枯れることのない泉のような情熱だけが武器の状況で実施決断しました。
・条件は銘店の誘致
実施するにあたり、父親より条件が提示されました。それは、ラーメン店が出店してくれることです。シンプルで一番の肝になるポイントが条件でした。
有名ラーメン店の誘致は、30歳の私には、芸能人に素人の私がプロポーズするようなもので、お会いするのに一苦労、断られて当たり前、名前を知ってもらえればラッキーな状態から気にかけていただけるようになり契約へと進めていく大難関なのです。この30年間の実績の一つが50人のプロポーズが結婚(出店契約)へ結びついたことです。
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・博物館にした想い
「ラーメンの博物館」という、食べ物の博物館とはどういうことか、とみなさんは思われましたが、至極、真面目に考えていました。全国の有名なラーメン店が一同に会し、食べることができる。そして各地域に根付いたラーメンの食文化を知ることができる。「たかがラーメン、されどラーメン」を伝えたかったのです。
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33年前より各地のラーメン店誘致に出向いていた私は、各ラーメン店オーナーからどうしてラーメン店を始めたのか、地域でどのように広まっていったのか、故・小菅桂子先生の「にっぽんラーメン物語」に登場する老舗ラーメン店の末裔たちへのインタビュー並びに映像収録、インタビューの内容の裏付け調査等をし、一部公開(一部は未公開)してきました。
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30年間の実績としては、インタビュー記録や映像収録データがあることですが、公開の仕方はこれから実施していくことになります。博物館内でパソコンを使ったアーカイブの閲覧や、数種類の映像を選択して視聴できるような展開、展示は時代背景と並列した見せ方等を考えています。
食文化は伝え残すことが重要と考えていますので、引き続き進めていく重要事項でもあります。
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ラーメンを自分の好みの味かどうかだけでなく、このラーメンの生まれた背景、その店の歴史、地域の特性、オーナーの人柄等、多方面から見ていただくことに多少は影響を与えることができたのではないかと私は考えています。最終的に「(仮)ラーメンの誕生から現在まで」を100年先まで残るような本にまとめ国会図書館に収蔵することが私のラー博人生の集大成と考えています。
・あの銘店をもう一度を実施して
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「あの銘店をもう一度」を実施して、何から何までわかっているつもりのラーメン店オーナー様の新たなる一面が見れたことに驚き、感動、喜びを感じています。この企画でのエピソードをいくつかお話しさせていただきます。
◎94年組のエピソード
まずは1994年創業のメンバーのお話です。このコラムでも幾度となくお話ししましたが、目黒「支那そば勝丸」の後藤さんです。
出店前に「3ヶ月間休まず現場に立つ!」と言われたのですが、私たちは80歳を迎える後藤さんが休まず厨房に立つというのは正直無理だと思っておりました。しかし結果的に休まず立たれたのです。
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この出来事がその後、出店する店主に大きな影響を与えました。
86歳となった喜多方「大安食堂」の遠藤さん、66歳の札幌「すみれ」の村中さん、71歳の博多「一風堂」の河原さんが口をそろえて「後藤さんには負けられない!」と皆さん長時間にわたり厨房に立っていただきました。後藤さんの行動が導火線となり、長老たち(笑)に火が付いたのです。
私からすると大先輩たちがとても輝いていて、かっこいいなと思ったのと同時に、以前出店していただいた時も今回みたいにずっと厨房にいてくれたらな~とも思いました(笑)
◎銘店シリーズのエピソード
そして3週間で出店していただく”銘店シリーズ”からいくつかエピソードをご紹介いたします。まずはトップバッターとしてご出店いただいた和歌山「井出商店」さん。この企画がスタートした2022年の7月はまだコロナ禍の真っただ中でした。お客さんが来るかどうかわからない中で、トップバッターをご決断いただいたことには本当に感謝しかありません。結果、多くのお客様にお越しいただき、この出店が話題を呼び素晴らしいバトンが第2弾へと繋がっていきました。
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第15弾でご出店いただいた「支那そばや」さん。創業の地・鵠沼時代のラーメンを再現していただいたのですが、あまりにも原価がかかってしまい、通常のラーメンが1,400円というこれまでで最も高い価格になりました。不安もありましたが、価値を超える内容に、お客様から値段に関しての不満は一切出ませんでした。
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そして21弾の博多「ふくちゃんラーメン」、第22弾の「魁龍博多本店」の福岡リレーです。企画がスタートする前は同じ地域のラーメンが続くとお客さんが減るのではないかという不安がありましたが、逆に相乗効果となりました。そして、感動的だったのが、2人の絆でした。ふくちゃんの榊伸江さんは、その後に入る魁龍の森山智子さんが不安がっているところを見て「大丈夫だから。何でも相談して」と声をかけていただきました。智子さん曰く、その一言が大きな支えとなったそうで、出店期間中のほとんどの麺あげを成し遂げられました。智子さんはゆで麺機の前に伸江さんの写真を貼っていたそうです。
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そして24弾にご出店いただいた旭川「蜂屋」さん。二代目の加藤直純さんが出店直前で入院することが決まりましたが、三代目の信晶さんが指揮をとり、大盛況の中3週間を終えました。大変失礼な話ですが、以前は頼りない面も多くあったため、その成長にびっくりしました。
今回の企画では以前出店していただいた頃から代替わりも始まっています。二代目、三代目が活躍したのも今回の企画が盛り上がった要因だと思います。完全に代が替わったわけではありませんが、久留米「大砲ラーメン」の香月望来さん、博多「一風堂」の河原凜さん、岩手久慈「らーめんの千草」の遠藤圭介さんなど、新しい世代の成長は夢と希望があります。
これ以外にも書ききれないエピソードがたくさんありますが、今回の企画に賛同していただきご出店いただいたこと、心より感謝申し上げます。
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・31年目に向けて
そして未来について少しお話しします。
まず31年目の近未来の取り組みとして、1999年に開催した「ラーメン登龍門」を3年に1度実施していく予定です。
ラーメン文化は、その地域の気候、風土、産業やライフスタイルによって独自の味が生まれてきたと推測されますが、その工夫、知恵を振り絞ったのはラーメン職人の方々です。
それは「美味しいラーメンを作ろう!」との一念で独自のこだわりをもって妥協することなく研究された賜物であると私たちは考えます。
飽食の時代と言われ、情報化社会となった現代におい て、これから先未来のラーメンはどうなっていくのか と考えた時、ラーメン職人の隠れた潜在能力や新たな 才能を発掘するステージが必要なのではと思い、ラー メン登龍門を実施する運びとなりました。
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そして「あの銘店をもう一度」が終了した後、6月に51店舗目の新店舗がオープンする予定です。まだ詳細はお伝え出来ませんが、お客様に驚き、感動、喜びをお届けできると思っております。
最後に5年後の70歳で、私は今の立場は退き、次の世代へバトンタッチしていきたいと考えています。私自身は、ラー博を立ち上げた時から変わらない想いがあります。超情報化社会の中で、お客様に驚き、感動、喜びをどのように提供できるか、次世代と話し合っています。
31年目のラー博にも是非ご期待ください。
ご清聴ありがとうございました。
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【あの銘店をもう一度 これまで出店いただいた店舗】
銘店シリーズ(3週間のリレー形式出店)
・第1弾 和歌山「井出商店」(2022年7月1日~7月21日)
・第2弾 福島・会津「牛乳屋食堂」(2022年7月22日~8月11日)
・第3弾 埼玉・川越「頑者」(2022年8月12日~9月1日)
・第4弾 福井・敦賀「中華そば 一力」(2022年9月2日~22日)
・第5弾 静岡・伊豆「あまからや」(2022年9月23日~10月13日)
・第6弾 岡山・笠岡「中華そば坂本」(2022年10月14日~11月3日)
・第7弾 札幌「名人の味 爐(いろり)」(2022年11月4日~11月24日)
・第8弾 久留米「大砲ラーメン」(2022年11月25日~12月15日)
・第9弾 青森「八戸麺道大陸」(2022年12月16日~2023年1月9日)
・第10弾 高知・須崎「谷口食堂」(2023年1月10日~1月30日)
・第11弾 博多とんこつ「麺の坊 砦」(2023年1月31日~2月20日)
・第12弾 飛騨高山「やよいそば」(2023年2月21日~3月13日)
・第13弾 博多「元祖名島亭」(2023年3月14日~4月3日)
・第14弾 函館「マメさん」(2023年4月4日~4月24日)
・第15弾 支那そばや(2023年4月25日~5月15日)
・第16弾 アメリカ「IKEMEN HOLLYWOOD」(2023年5月16日~6月5日)
・第17弾 イタリア・ミラノ「カーザ ルカ」(2023年6月6日~6月26日)
・第18弾 佐賀・唐津「らぁ麺むらまさ」(2023年6月26日~7月17日)
・第19弾 京都「新福菜館」(2023年7月18日~8月7日)
・第20弾 アメリカ・NY「YUJI RAMEN」(2023年8月8日~8月28日)
・第21弾 博多「ふくちゃんラーメン」(2023年8月29日~9月18日)
・第22弾 久留米「魁龍博多本店」(2023年9月19日~10月2日)
・第23弾 気仙沼「かもめ食堂」(2023年10月3日~10月30日)
・第24弾 旭川「蜂屋」(2023年10月31日~11月20日)
・第25弾 札幌「けやき」(2023年11月21日~12月11日)
・第26弾 ドイツ「無垢ツヴァイテ」(2023年12月12日~2024年1月10日)
・第27弾 春木屋郡山分店(2024年1月11日~1月31日)
・第28弾 カナダ「RYUS NOODLE BAR」(2024年2月1日~3月3日)
・第29弾 岩手久慈「らーめんの千草」(2024年3月6日~4月7日)
94年組シリーズ(3ヶ月前後のリレー形式出店)
・第1弾 目黒「支那そば勝丸1994」(2022年11月7日~2023年2月26日)
・第2弾 環七「野方ホープ1994」(2023年3月2日~7月17日)
・第3弾 げんこつ屋1994(2023年7月20日~10月22日)
・第4弾 喜多方「大安食堂1994」(2023年10月27日~2024年1月8日)
・第5弾 札幌「すみれ1994」(2024年1月9日~2月5日)
・第6弾 博多「一風堂1994」(2024年2月9日~5月12日)