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『君は君の人生の主役になれ』(烏羽和久)

本記事は、コミュニティJLABの定期タスクであり、同配属チームメンバーであるイヤープラグさざなみさんに紹介していただいた本について書かれたものである。

・誰に向けた本なのか
イヤープラグさざなみさんの記事でも書かれている通り、思春期真っ只中で思い煩う中高生に対象として本。

・内容自体はアレ
チラチラ難しい思想が著者のバックボーンとして伺えて、噛み砕いて説明しているのであろうが、いまいちポンと来ない。各パートの締めの文(太字で書かれている)は共感できるが、中高生の時点で理解できるのだろうか。できるのなら立派すぎて眩しい。

・そもそも素直に読み進めようとするだろか
「大人 vs 子供」という構造をとっているが、著者は"大人"だけど"子供の味方"というポジションをとっている。10代から見てどう映るだろう。私が高校生だったときーー(それはもう大変結構なクソガキだったのだが)ーー"子供"に紛れる大人は受け付けなかった。

・メッセージを送りたい気持ちは確か
生徒たちを思う気持ちは凄い(筆者には眩しすぎるという意味)。感傷的になっていて、かつ、内面の葛藤を読書で解決しようとする子がいたら勧めるかもしれない。

今回の題材: 人生

イヤープラグさざなみさんは、もともと人生というのを題材にしたらしいので、本の内容からはかなり逸れているかもしれないが、自分なりに人生の意味について書いてみる。

前置きとして

 ただ生まれたから、今私というシステムが地に還っていない、一つのサブ ルーチンとして存在している。とくに与えなければ人生に意味はないので、考えるべきは与え方になる。それも実に自然な流れで、安定的かつ自分が本心から納得できる意味を与えられるべき。このことにあまり異論はないはずだ。その上、私は社会という大きなシステムの小さな部品でもある。

筆者の与え方にいて

大きな物語で考える:
 卑下かもしれないが、人類という種の一個体として私は淘汰される側なのだと確信している。一方で、"産業を発展させてもっともっと社会を繁栄させ資本を膨らめせるんだ!"といったスタンスが必然である世の中に対して、それは否定されるべきでないと理解できる。
 で、資本主義あるいは部分的にそれを取り入れた社会システムでは競争がある(いや国家などがなかったとしても集団動物である時点で必ず競争はあっただろうが)。ともかく、社会に人格を仮想したとき、私は自分を工場で廃棄される欠陥品に感じている。なので、"もっともっと成長して世の中に貢献する!"という考えはさらさら抱けない。いつか来る淘汰の形をビクビクしながら迎えるだけだ。
 しかし、これでは生きるパッションが湧かない。苦痛を乗り越えてでも何かを成し遂げるエネルギーが出ない。つまり、社会に対するフィードバックとして私の人生の意味を与えられない。ぐだぐだ書いているが、要は自分より遥に有用な人たちがいくらでもいる中で、自分が何かを成す必要があるのだろうか、ということ。
 ならばせめて社会の歯車として働け、という最低限の義務を要請されている。家族を仲介して、社会は間接的にお前を育てたのだから、(否応なしに)契約通りに発生した義務を全うしろ、と言われているようだ。

 ここまではビックなスケールで人生の意味を与えようと思考していた頃の自分の小っ恥ずかしい思想をつらつら書き連ねたものだが、どうにも消極的で重い。筆者が欲したのはパッションを呼び起こすような理屈だった。
 けれども、気付いたのは理屈なんてものは後からつけるモノ、あるいは自身の欲求を正当化するモノであった。それこそ上にごちゃごちゃ書き連ねた全ては生に積極的になれない自分が先にあって、後から言葉でなぞっているだけだった。こういうのを屁理屈と言うのだろうか。

 ともかく、大きなスケールで見て自分の人生には最低限の義務を果たすという意味しか与えられない。そこからまた紆余曲折して、もはやそれ以上の意味に囚われる必要などないと割り切った。良くも悪くも、諸々の状況で自分にどれくらいのことができるのかというのがわかってしまった。必要以上の意味を開拓できるかもという可能性を求めることがしんどくて嫌になった。前置きで書いたように、自然でもなければ精神的にも安定できない生き方になってしまう。

 という経緯によって、つまらない人間が一人出来上がってしまった。10代で筆者の告白を読んでくれた人がいたら、反面教師ということで勘弁願いたい(そもそも10代に向けて書いてなどいないが)。自分より下の代に伝えられる教訓はない。筆者のような輩は無味な知識を伝えることはできるかもしれないが、思想は淘汰される社会的弱者の理であって、およそ口に出すべきモノでないと考えているからだ。ほらあれだよ、これから勝負をする人間に勝負に負けた人間の理屈なんていらないだろう。

追記: 以上のことがちんぷんかんぷんだという人は多分正しい。人生に意味という救済を執拗に求めていた人間がこんなことを書いているだけだ。

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