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読書『悲しい曲の何が悲しいのか』(源河亨)

はじめに

 本記事はJLABというコミュニティにおける義務タスクの一環として、以下の書籍および書評・記事を読んだ上で作成したものである。

誰が書いたものか
 哲学博士号もち専門は心の哲学、美学。

大まかなテーマ
 人間がどのようにして音楽を鑑賞しているのかについて考える話。人間には客観的、あるいは間接的に客観的に"美しい"と言える基準があるのだという説を支持し、そのために確立されている理論的な枠組みを順を追って説明している。

本書の特徴として挙げられる点
・情報は充実している(門外漢視点)
・わかりやすい
・精確さ重視で、実にアカデミズムが出ている(僕的には好物)。大衆受けはしなさそう。

どういう人間に勧めるか
 ソースも確かなようなので、自然科学の文脈で鑑賞行為はどう解釈されるのかについて知りたい人がいれば勧める。

雑な感想
 学部生向けの教養科目の講義資料みたいで読みやすかった。


自分は音楽を聞かない方がいいのではないか

 この本を読んで考えてみたいことがある。音痴で音楽嫌いな自分がなぜ音楽を聴いているのか。

 自慢じゃないが、僕は育ちの悪い人間で、おまけに音痴と来たので音楽の授業はトコトン苦手だった。というか大嫌いだった。中学生になるとカラオケに行くことを覚えたが、大体点数が70点代をうろうろしていたのに対して、友達は90点を狙うレベルにいた。精密採点で音階を外しまくって赤が伸びる様を眺めながらよく歌ったもんさ。

 高校生の頃、音楽と数学の得意不得意は関連があるという噂を耳にした。その時は半分ショックで半分やっぱりそうなのかー、という感想を抱いた。というのも、もともと数学は苦手だった。音楽が呈する規則性と数学が扱う対象に通じるのはそれっぽい理屈にも聞こえて、何より音痴と輪にかけてダメ出しを食らった覚えがある。

 などなど,,,とにかく良い思い出が皆無な私なのだが、それでも流行りの音楽を視聴している。基本的に嫌っているくせに視聴をしているのはなぜだろう。

 そこで視聴している音楽がどんなものか振り返ってみたが、熱中していたアニメ・特撮モノのOP/EDとか、好きなタレントが歌っていた曲だったとか、いずれも音楽以外のところに理由が起因しているものばかりだった。曲を聴くことで脳内で記憶している映像を再描画している。むしろそれが目的なのではないかという疑いすらあって、少なくとも(ここでは音の羅列としての)曲自体には注意などほとんど払っていないのではないか。

 作業BGMに近いのかとも思った。というのも、聴いたこともない曲を流しながら作業するのだが、これは注意が作業に割かれている。作業BGMを聞きながら作業して曲を覚えている人なんているのだろうか?

 今回取り上げる本でいうところの、マルチモーダルによる音楽聴取になるだろうか。

 つまり、私の視聴習慣の話でいうなら、視覚的に”良い”評価をしている情報とくっ付いている曲を"良い"ものだとして視聴していた。だからアニソンあるいは特撮ジャンルこそ共通していたものの、曲のみで分類しようとすると全くバラバラで、落ち着いている曲もあれば激しい曲もあり、どういうのが好きなのか自分でもわかっていない。

 もっとも作業BGMに至っては、もはや作業がメインなので、視聴しているとは言えないと思う。むしろ、作業中は視覚と触覚によるインタラクティブなモータルと捉えて、スパイスとして聴覚を加えている程度に考えるべきだろう。

 こうして考えると、僕は'音楽'を"音楽"としては楽しんでいない気がしてきた。音楽何聴く?と聞かれても音楽は聞きませんって答えるのが正解かもしれない。つまり今まで通りだ….

P.S.
 そもそもJ-POPってなんだろう?なんでJ-POPばっかりなんだろう?思い返せば義務教育を除けば9割はJ-POP流れてる気がする・・・など考えて調べたら次のような記事が発掘されて、人によっては参考になりそうなので貼っておく。


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