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読書『世界はなぜ地獄になるのか』(橘玲)
本記事は、コミュニティJLABの定期タスクとして書かれたものである。
今回扱う本、および chiffon cake による書評は次のリンク先の通りである。
本書を取り上げた理由について:
・以前より気になっていた著者だった
・タイトルの印象が強烈だった
・社会評論について勉強したかった
と、知識を入れるために選んだ側面が大きい。
なお筆者は、正義がどうあるべきかについて語れるとは思っていない。
従って、本記事も各章の感想を並べていくに留める。
1章の感想
特になし。終始興味が持てない事件だった。
2章の感想
私が小学生だった頃は”人肉色”などと普通に使っていた言葉が今となってはバッシングを受ける危険を孕んでいる。正直何かの間違いで出ちゃいそうで怖い。(ちなみにペールオレンジ色)
もういっそのことカラーコード#FFE6CEにしていこうか…
まあ、ポリコレは仕方ないとして少しずつ覚えていくほかないだろう。
仮に不本意に相手の地雷を踏んでしまったときには素直に謝罪すれば解決するはずだ。
3章の感想
大変興味深い…
4章の感想
個人的にこの本で一番重要な章だと思っている。人間という動物が持つ習性が、終わりのない論争を加速させる原因という話。
この理由づけはすんなりと受け入れられたし、やっぱりそうなんだなと自分の理解と合致した。全ては動物としての生存競争なのだと片付けられる。
逆にいうと、私はそのように片付けてしまえる人間なのかもしれない。つまり、どう考えても自分に報酬が返ってこない活動ができる人物は存在しないと心底から思っている。もっというと、広義の損益であらゆる行動を捉えようとする。残念な人間になってしまったものだ。
ともかく、どんな社会正義も発する人間にとっての都合から発せられるというのが、少なくともこの本で肝心な主張だろう。
5章の感想
日本に生まれただけで恵まれているというやつだ。そのうち日本でもアメリのような対立構造が生まれるのだろうか。いや、筆者が知らないだけですでに随所で起きているのか。
6章の感想
「ジェンダー」「人種」など触れてはいけないテーマがあることだけは覚えておこう。幸い私個人は何とも思わないマジョリティ側なので触る必要がない。社会の一員としては責任逃れと叩かれそうだが、触らぬ神に祟りなしというやつで通そう。
一方で、考えておきたい問題がある。
例えば海外旅行で「君は日本人かッ!かつて君の国は我が国に侵略し悍ましい蛮行をやってのけたわけだな!君としてはどう思うかね!」と振られた場合だ。
実を言うと、帰国子女である筆者は幼少期に幾度か似たような質問を投げられた。陰湿に攻撃されているだけなのだが、もともと口数が少ない子供だったので何食わぬ顔で無視していた。
今ならどう答えるだろうか?本の内容によると、自分には関係ないといった言い分は成り立たないらしい。質問に無謀にも反駁するものなら、相手の裏に潜む数の暴力で滅多打ちにされてしまうだろうし、苦笑いで白旗を上げる以外の方法がいまいち思いつかない。
いや、それこそポリコレにしてほしいものだ。
読破後の感想
以前、別の本でとてもかっこいい文言があった。
自由と平等は相性が悪い
(手元になく何ページか忘れた)
技術評論の本であったのだが、奇しくも問題の起因は自由と平等のどちらをより尊重するかというので、そちらでもリベラルという言葉が取り上げられていた。
どちらがより大切かと訊かれたら、私は自由と答える。この本でいうところのリバタリアンなのだろうか。いつか他者の自由と衝突するときに、何らかの合意できる形式で決着をつける必要がある。道徳的・倫理的に基準を事前に定められず、従って自動的に決着が望めないので、よりシンプルで後腐れのない形式が必要があるのかもしれない。
P.S. 次はリバタリアンをテーマとする本、もしくは芸術論入門のようなものを読もうと思う。