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戦争回避のテクノロジー(原著 1987年、日本語版 1990年) - 「目次」と「序章 暴力の二世紀についての一般的考察」



戦争回避のテクノロジー(原著 1987年、日本語版 1990年)
戦争回避のテクノロジー(原著 1987年、日本語版 1990年)折り返し

戦争に関する書籍はいろいろありますが、こういった視点の本はなかなか無いように思います。

目次と「序章 暴力の二世紀についての一般的考察」について文字起こししました。怒られるだろう、きっと怒られるだろう。だけどこういう視点があることを知っていてもいいように思います。

中には「おいおい、それは違うだろ」というのもあると思いますが、でもそういう風に見られているというのも事実として知っていてもいいように思います。

では、いきます。

目次

序章 暴力の二世紀についての一般的考察
  本書の構成を要約すると-二百年間にわたる戦争データベース
第一部 戦争と平和の解剖
 第一章 戦争とはなにか
  戦争の多様性-大戦争、小戦争、多角的戦争-永久戦争-確信者と宗教戦争-市民の混乱
 第二章 戦争の六段階
 第三章 戦争の四つの原因
  長期的不満-国内的混乱-軍事的優越感-攻撃を受けることへの恐怖-原因と目標
 第四章 すべては誤算だった
  誤解-技術的偶発事件-意図的な偶発事件
 第五章 宣伝と戦う意志
  国基のもとへの終結
 第六章 交渉のすすめ方
  ゲームのルール-プロとアマ-狂気じみた外国人たち-共産主義は栄光である
 第七章 核戦争
  核戦争の型-核戦争はいかにはじまるか-同盟国、第三国、新核保有国-核戦争を停止させる力学-いかに核戦争を回避、あるいは中止させるか
第二部 歴史の教訓
 第八章 軍事史二百年の一瞥
 第九章 実現しなかった戦争
  なにが戦争の可能性を押さえこむか-実現しなかった戦争
 第十章 過去の戦争は回避できなかったか
  ヨーロッパでの第一次世界大戦-ヨーロッパでの第二次世界大戦-太平洋での第二次世界大戦-朝鮮戦争-ベトナム戦争-アラブ=イスラエル戦争
 第十一章 袋小路-戦争阻止を妨げるもの
  待ちの姿勢-外交的介入への依存-ソ連の世界支配神話への過剰反応-軍備競争の落とし穴
 第十二章 二つの軍事的伝統
  アメリカ合衆国-ロシア(ソ連)
第三部 将来の予測
 第十三章 主要な警告を示す徴候
  戦争回避のルールを破るのはだれか
 第十四章 将来の戦争
  大戦争(アメリカ対ソ連)-東ヨーロッパ-西ヨーロッパ-中東-イスラエル対アラブ諸国-アラブ人対イラン人-アラブ対アラブ-アラブ対アフリカ-極東=ベトナム-インドネシア-朝鮮半島-アメリカ大陸-ソ連と中国-南アフリカ-ブラック・アフリカ
 第十五章 データベース
  用語-各戦争の解説-過去二百年の戦争(用語説明)-実現しなかった戦争と将来の戦争(用語説明)
 第十六章 データベースにみる傾向(流れを知る手引きに)
  過去の戦争の吟味-現行および将来起こりうる戦争についての情報収集-パターンの決定-戦争終結のパターンの分類-戦争回避の行動の分類-どの戦争終結のパターンが現代の戦争に適用できるのかの決定
 情報源
 訳者あとがき
 索引

序章 暴力の二世紀についての一般的考察

 戦争にはすべて終わりがある。 ある戦争は勃発すらしない。 またある戦争は、拡大する恐れがありながら、小規模にとどまった。
 将来の戦争を未然に防いだり、止めさせる最良の方法は、過去の教訓を学ぶことである。われわれが知りたかったのは、戦争が未然に防げたり、止めさせられたケースにいくつかの型があるかどうかである。そこで過去二世紀間に起こった四百を超える戦争と戦争に到らなかったケースを分析してみた。われわれは軍事的シミュレーションを重視するタイプなので、正統でない方法で平和を見詰めてみた。こうした紛争を比較し、そこにいくつかの流れを見出せるよう、諸紛争のあらゆる局面に数量的評価を与えた。それぞれの紛争のかかえる複雑な歴史にその方式を当てはめた。
 こうして、実際そこに多くの流れを見出した。それを列挙してみると――。

▶戦争はしばしば偶発的に発生する

 誤算が最も普遍的な戦争の原因である。多くの戦争は意図的に起こされるが、煽動者の計画通りに発生する戦争の数は知れている。例えば一九三〇年代、ナチは、強引な外交、軍事力増強、他の大国が戦争開始に踏み切るのに不本意であることなどの諸要素を組み合わせた上で、ラインランドとオーストリア、チェコスロバキアを手に入れた。ヒトラーは同様の方法でポーランドを分割できると考えたが、その思惑が崩れ、第二次世界大戦が勃発した。

▶戦争発生の可能性に目をつぶることは、戦争に最も巻き込まれやすい型である

 軍事紛争の公算を無視した国は、その可能性が現実のものとなる時、パニックに陥りやすい。

▶不安定な政府は最も戦争に巻き込まれやすい

 安定した統治を効果的にすすめる政府はむやみに戦争の手段に訴えることがない。国内的混乱は他国を軍事的冒険へと誘いこませる。また安定した国は戦争に参加しても成功する公算が大きい。

▶政府は国民が "自発的に" 戦争に参加するよう仕向ける

 真珠湾、あるいはルシタニア号(北大西洋でドイツ潜水艦に爆毗された英国船で、米国の第一次対戦参加を促す)、メーン号(ハバナ港で撃沈された米船艦で、米西戦争の原因となる)、アルザス・ロレーヌ、ベルサイユ、奉天を思い出したまえ。これらはすべて当事国の戦争介入を正当化するため政府が宣伝した事件である。政府が戦争を行うが、戦うのは国民である。政府が秘かにすすめるに違いない不正な行動のひとつは、戦争へと国民を駆りたてることである。

▶軍部は通常、軍事的解決に反対の勧告を行う

 真の職業軍人は戦争への突入に積極的ではない。これはしばしば見過されている歴史的真実である。第一次大戦、第二次大戦のさい、侵略国の軍参謀は全体的にみて、戦争に反対する勧告を行ったが、そうした勧告は政治家に覆された。職業軍人はいかなる戦争でもそれに伴う大きな危険と先を読めないことをよく知っている。戦争を求めるには "愚か" であり、非情でなければならないのだろう。

▶通常、"敵" についての無知が戦争に向かわせる第一の根拠である

 侵略者がその餌食を負かすと確信して、その通りに事態を進めることはまれである。通常、侵略者は自国の戦闘能力、攻める相手のそれ、あるいはその双方について誤算する。その結果、当初予想していたよりはるかに血みどろの戦いとなる。 今世紀だけでも、そうした例は山ほどある。 世紀初頭に起こったボーア戦争では、四万の南アフリカ不正規兵が五十万以上の英国兵をてこずらせたが、これは英国にとってショックだった。一九〇四~五年の日露戦争では、日本はそれまでの数百年間で初めて、ヨーロッパの大国を打ち負かす非ヨーロッパ国となった。この事件はロシアの評価を下げたが、日本の軍事的評価がそれほど高まったわけではなかった。一九一三年の第二次バルカン戦争では、ブルガリアが過度の楽観論にたったために手痛い目にあったが、これは過ぎたる評価がもたらした古典的な事例である。 一九一四年にはじまった第一次大戦では、参戦国すべてが勝てると考えた故、形式的に勝者となった国も含めて全参戦国に誤算のある開戦となった。 第二次大戦では、ドイツが当初予想外の勝利を収め、それ故に間違った結論を引きだし、やがて一九四五年には国を分裂させられた。日本の場合も同様で、四一年の段階で予想外の勝利を収めながら、四五年には予想外の全面敗北を喫した。一九五〇年には、ソ連と北朝鮮が韓国とアメリカの抵抗を誤算し、一年足らず後にはアメリカが同様に、米軍を国境に近付けまいとする中国の決意にたいする判断を誤った。 そして「ベトナム」「イラン・イラク」「アフガニスタン」である。 自分が確信したいと思うことを確信する習慣は、ぶち破るのが困難である。

▶アメリカの戦争についての無知は、同盟国と敵性国の双方に恐れられている

 今日までアメリカが自国領土内で戦った数少ない大戦争は、英国にたいする独立戦争と南北戦争である。この二つの戦争では終結すると、ただちに軍を解体した。一九一七年、アメリカは急いで動員し、第一次大戦の最後の年に参戦したが、その後ただちに地上軍を解体している。だが第二次大戦後は、米軍は異例的に高度の兵力を維持した。
 第二次大戦を例外として、職業的な軍事経験が一つの戦争から次の戦争へと繰り越されることは滅多にない。経験豊かな世界中の職業軍人からみると、米軍は強力だが、素人集団である。さらに悪いことには、米国民は痛ましくも戦争の現実について無知である。強力で、しかも戦争に無知であることはきわめて危険なものとみなされよう。

▶大規模な戦争を実際に起こすのは難しい。だからこそ、その数はきわめて少ない

 過去二世紀間で起こった大戦争は(ナポレオン戦争と太平天国の乱、第一次、第二次世界大戦の) 三つで、その時の戦死者の数は(二百年間) 全体のほぼ半数に達している。

▶大戦争の重要な原因の一つは誤った記憶にある

 人々、とくにその指導者は、戦争がいかに恐ろしいものであるか、そして勝利を収めることがいかに困難であるかをやがて忘れてしまう。

▶真の大戦争は、新たな戦争を起こしたいという気持ちに、ある程度の免疫を生じさせる

 このような戦争行動への抵抗感はわずか二、三世代しか続かない。戦争に勝ちたい、あるいは単に生き残りたいとして戦争に傾く感情は、時間とともに大きくなるようだ。戦争の不快な記憶は、最悪の経験同様、年とともに薄れていく。第一次、第二次大戦も、この法則の例外ではなかった。第二次大戦は、一九一四年にはじまった第一次大戦のときほどの熱意もなく、三九年にはじまった。われわれは三九年の影をみながらいまも生きているが、記憶がぼやけるにつれ、その影は薄れている。新しい世代は戦争の不安や恐怖に無知だが、勝利の甘さを知らないわけではない。世界大戦は、丁度過去の大戦争同様、無知と誤った希望からはじまった。 これからの大戦争も同様な形ではじまるだろう。

▶勝利は安物買いのようなもので、しばしば、支払おうとする額より高くつくものだ

 さらに悪いことには、大半の戦争はそれをはじめる原因となった不満のタネさえ解決してくれない。

▶大戦争はしばしば判断の誤りからはじまる

 こうした誤った判断は非常に多くの場合、不正確な情報に起因している。

▶大戦争と大戦争の間に小規模の戦争が起こりがちで、今日小規模の戦争の数が増加している

 ある理論によれば、大戦争はまず単に緊張を高めるようないくつかの小規模の戦争が先行し、その後あいまいな目的を一掃しようとするさらに多くの小規模戦争が続く。
 世界的な富と人口の増加もまた、軍事紛争の数を増やしていく。

▶核兵器はいままでのところ、大戦争の勃発を阻止してきた

 ソ連が核保有国となった一九四九年以降、核兵器が使用されることへの恐怖から大国は戦争を自制してきた。これはなにも新しい現象ではない。核兵器の出現以前にも、一部の国々に抑止不可能な軍事力があるときには、紛争は阻止された。しかし、核兵器を永久に保持するとしても、大国が軍事的優位を失うことは考えられる。

▶核兵器による第三次世界大戦勃発の公算はきわめて小さい

 といっても、われわれが何千ものキノコ雲にさらされることは絶対にないとの保証があるわけではない。たえず世界的な大戦争発生の可能性はある。全体的な流れはその反対の方向に動いているが。本書の目的のひとつは、その流れをより正しい方向に向かわせる一助とすることにある。


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